チート薬師のスローライフ 1章

1 異世界転移と創薬スキル

 あー会社サボりたい。永遠にサボりたい。

 そんなことを思いながら会社へむかって歩いていると、いつの間にか森にいた。

 「? どこだ、ここ……?」

 おかしい。おれがいる場所はオフィス街で、ビルが立ちまくっているはずなのに。

 今、周りには、ビルじゃなくて見たことのない木々が立っている。聞いたことのない獣の鳴き声も聞こえちゃったりしている。下を見ると、アスファルトだったはずが、今は土、土、土、あと枯れ葉。自然溢れる足元になっていた。

 ……夢か? 会社が嫌過ぎて妄想の世界にログインしちまったんじゃ……。

 きっとそうに違いない。バコン、と顔面を殴ってみた。

 「―いって!?」

 どうせ夢だからって、グーパンしたことを後悔した。ってことは、ここは夢や妄想じゃなくて現実の世界ってことか。

 「ブニャー」

 変な声に目をやると、豚が猫みたいな鳴き声をあげている。

 「豚……? それとも猫?」

 まじまじとその謎生物を見ると、頭の中に文字が浮かんだ。

 【ニャアトン:猫に似た豚。ポピュラーな食材でもある】

 ん。これ、ステータス―? 今まで見えたことはなかったのに。

 変な動物、見たことのない木々、何よりも街を歩いていたのにいきなり風景が変わった―。

 「ここはもしかして異世界ってやつなんじゃ……?」

 どうやらおれは、いつの間にか異世界にやってきてしまったらしい。

 「っしゃ!」

 おれは小さくガッツポーズして喜びを噛みしめる。

 寝坊を心配して眠ることや、満員電車、嫌いだった仕事とも、これですべておさらばだ!

 うん、だって仕方ないよね。おれは別に来たくて来たわけじゃないし。

 不可抗力だし。戻る方法もわからないし。あっても試さないけど。

 「おっと、喜んでいる場合じゃない」

 そうなってくると危険だ。ここは森。

 魔物や危ない獣とエンカウントすることが容易に予想される。

 「グロロロォォォ……ッ」

 ビクリ、とおれは肩をすくめた。どこからだ、今、獣の唸り声みたいなものが聞こえた。

 さっそくかよ。エンカウント早ぇよ。

 そうだ、こういうときは何かしらの良さげなスキルを持っているってのがお約束だ。

 おれ自身を意識して見てみる。

 【桐尾礼治:二四歳。異世界人】

 スキルはないのか、と諦めかけたとき、最後の一行にあった。

 【スキル:鑑定 創薬】

 ……これだけ? 魔法とか、そういう戦う系のスキルじゃないのか……。

 内心ヘコみつつ、おれはゆるんだ警戒心をもう一度引き締める。

 さっき聞こえた唸り声は、今も何度も繰り返されている。

 聞いた瞬間はテンパってわからなかったけど、よく聞けばどことなく苦しそうな声だった。

 「……」

 恐る恐る声のする茂みをのぞいてみる。そこには、大きな白い狼が横たわっていた。

 白銀の毛には血がたくさんついて、苦痛にまぶたを閉じている。傷痕からは血が滲んでいる。

 何かの罠にかかったのか、誰かにやられたのかはわからない。

 「おい、大丈夫か」

 狼は、おれの声に辛そうにまぶたを開けると、また閉じてしまった。

 見ず知らずの獣をわざわざ助ける義理なんてないのかもしれない。

 でも、見殺しにしたくはない。

 「何かないのか、薬みたいなもの―」

 自分の鞄を漁ってもそんなものは出てこない。おれは狼が下敷きにしている古ぼけた鞄を見つけた。

 肩から提げているから、きっとこの狼の物だ。

 「ちょっとゴメンな」

 鞄を引っ張り出して漁ると、人差し指くらいの小さな瓶を見つけた。

 緑色と青色を混ぜたような何とも言えない色合いの液体が入っている。

 【ポーション:普通のポーション。止血効果があり外傷に効きやすい】

 「ポーション! これだ!」

 ポーションって言えば、HPを回復させるメジャーなアイテムだ。

 おれは蓋を開けて狼の口元に持っていく。鼻がひくひく動くと、パチリと目を開けた。

 「ぐ、ぐるぅ!?」

 おれを見て驚いているというよりは、おれが手に持っているポーションを見て驚いていた。

 「これ。君が持っていたポーション。あーってして、あー」

 口を開けるように言うけど伝わっていないのか、ぷい、とそっぽをむいてしまう。

 尻尾がこっちに伸びてきて、ポーションを叩き落とそうとする。それをおれは回避した。

 「あぶね。ちょ、何するんだよ。自分で用意してた物だろう?」

 てか、狼が自分一人で飲めるのか? ま、いいや。

 人間のおれが持っているから、不信感があるのかもしれない。

 危険な物を飲ませようとしているって勘違いしているのか……?

 それなら、おれが飲んで飲めるものだっていうのをアピールしよう。

 手にした瓶をおれは口元に持っていく。もわぁ~ん、とにおいが漂ってきた。

 「え、うわっ―くさっ!? ―ポーションくっさっ!!」

 異世界のポーション超くさい!! 驚きのくささ!! 生存本能が拒否するレベル!!

 「…………」

 おれはそっと小瓶の蓋を閉めた。

 「―そりゃ嫌がるわっ!」

 良薬口に苦しとは言うけど、それ以前に、単純にくさい。口に入れたくない。蓋を閉めてもちょっとにおう。くさ過ぎるっていう衝撃のおかげで、おもしろい域に到達している気がする。

 異世界のポーション、くさおもしろい。けど、何のにおいだろう、これ。

 牛乳を拭いた雑巾のにおいに、青臭さをブレンドしたような、強烈な仕上がりに……。

 RPGで戦闘中ピンチになったら、だいたいのキャラには飲ませた記憶がある。

 たぶん、あのキャラたちは嫌だっただろうな……。

 実際あのゲームの世界に行ったら、これ、絶対『ポーション運び係』あるよ。

 活躍出来なかったキャラ、ダンジョン内でポーション運ばされているから。

 気づいたら半径五メートル以内に仲間がいないなんて、ざらにある状況だから。

 くさおもしろいポーションに気を取られていたせいで、パシン、と狼が尻尾でポーションを叩き落としてしまった。

 「あ―、飲まないとヤバいだろう。どうするんだよ……。くさおもしろいっていう気持ちはわかるけど」

 「グルゥゥ……」

 苦しそうにまた呼吸をはじめた白い狼。このままじゃ、この狼が―。

 おれが悲観しかけたとき、はっと思い出す。そうだ―創薬スキル。あれなら、作れるんじゃないか。

 「ちょっと待ってろ」

 言葉も通じないだろう狼にそう言っておれは周囲を探す。

 創薬ってことは、薬を作れるスキルってことでいいだろう。

 幸いここは森の中だ。薬の元になりそうな、薬草や木の実があるはずだ。目についた草花や木を手当たり次第に鑑定していく。

 「あった」

 おれは薬の素材をいくつか集める。

 見慣れない名前の植物をいくつか採取し、根や茎や葉を切っていく。

 ろくに料理もしないおれに薬が作れるのか心配だったけど、『どうやって作るのか』という精製方法も創薬スキルに含まれるようで、手順は自然とわかった。

 植物の根や茎、葉をすりつぶした汁をおれの鞄にあった水の入ったペットボトルに入れる。

 あとはキャップを閉めて振る。たったこれだけで薬が出来るのか……? おれが半信半疑でいると、水が淡く光った。

 【ミネラルウォーター】

 ↓

 【ポーション(優):とても優れたポーション。止血効果があり外傷によく効く】

 「で―出来たっ!」

 草葉の汁を入れて少し緑色に濁った水が、今は半透明になっている。こうして見ると、スポーツドリンクのようにも見えた。弱っている狼を見ると、むこうもおれを……というか、ペットボトルを見つめていた。

 「ぐるっ」

 目を輝かせながら、ダダダダ、と一気におれのところへ走ってきた。二本の後ろ足だけで立って。

 「―立てるのかよ!」

 驚いていると、狼はおれの手からペットボトルを取り、乱暴に口に流し込む。ちゃんと手も使えるんだ……。

 「ぐるぅ……」

 狼は足の怪我を思い出したかのようにへにゃり、と座り込んだ。

 痛みが引いたのか、苦しそうに唸ることもなくなった。

 おれはほっとひと息ついた。あんなに簡単に作れるとは思いもよらなかった。

 知識も技術もないおれでも、簡単楽チン、安心して作ることが出来た。創薬スキルおそるべし。

 鑑定スキルもあるから、成功したか失敗したかどうかや、害の有無もすぐにわかる。

 おれは味見をしてみようと、ペットボトルのポーションを一口飲んでみた。

 「うん?」

 ほんのり甘くて、後味がスッキリしている。普通に美味しい。

 「これ、飲んだことある味……スポーツドリンクと一緒……!?」

 おれが衝撃を受けていると、むくりと狼が四本の足で立ちあがった。……二本足じゃないのな。

 「もういいのか?」

 もちろんおれの問いには答えない狼。おれの周りをくるくる回って、膝の上に飛び乗った。

 大きな体のせいで、おれは押し倒される形になった。

 「るぅ」

 おれの胸の上で小さく狼が鳴く。

 その体が光ると、体毛が見る見るうちになくなり、大きな口も小さくなる。

 白い狼が、狼の耳と尻尾、八重歯のような牙を持つ銀髪の美少女へ姿を変えた。

 「へ? 女の子……?」

 おれは改めてステータスを見てみた。

 【人狼:人と狼の姿をとることの出来る亜人種】

 人狼だったのか、この子。もっと狂暴なイメージがあったけど、そうじゃないらしい。

 青い瞳がまっすぐおれを見つめる。

 「お礼、ノエラ、言う。ありがとう。死ぬ、思った」

 わさり、わさり、と尻尾を揺らしながらノエラと言った少女はしゃべった。

 「……どういたし、まして……?」

 「あれ、何。あれ、何、とても美味」

 「ポーションだよ」

 おれの話なんて全然聞いておらず、顔を近づけるノエラはすんすん、と鼻をひくつかせる。

 「ちょ、顔近い、顔近いってば」

 がしっとおれの肩を地面に押しつける獣娘のノエラは、じい、とこっちを見つめて、ペロペロとおれの唇を舐めた。

 「どわぁあああ!? 何だ!? 何でだ!?」

 パニクるおれはノエラの下から出ようとするが、出られない。ち、力強ぇえ! 人狼舐めてた!

 焦るおれなんて全然気にしない獣娘。

 「美味の味。口、美味の味」

 さっぱり意味がわからん。おれが困惑しまくっていると、また唇をペロペロされた。

 「こら、うわ、ちょ、やめろ―」

 クッ、異世界に来て早々、獣娘に押し倒され強制的に唇をprprされるとは―!

 キス魔か何かなのか、この人狼は。

 「美味の味、美味の味」

 あの味が気に入ったらしい。そうか。おれがさっきポーション飲んだから、それで唇に。

 「これ! この中にさっきのポーション―『美味の味』が入ってるから!」

 転がっているペットボトルを指差すと、獣の敏捷性を発揮しノエラは飛びついた。

 カリカリ。ペットボトルが開けられず苦戦している。

 カリカリ……。カリカリカリカリカリカリカリ……。

 「るぅ……」

 ノエラの頭頂部についている獣の耳がしょぼん、と垂れた。

 おれは立ちあがって「貸してみ」とペットボトルを持ってキャップを捻って開けてやる。

 渡すと、ごきゅごきゅ、とノエラは喉を鳴らして飲みはじめた。そんなにガブ飲みするもんじゃないんだけどなと、おれは苦笑する。けど、すごく美味そうに飲む。

 「一応薬なんだけどなぁ。まあ、何にせよ元気になって良かったよ」

 「美味の味。美味の味」

 「狼の状態でも、二本足で立てるんだな。急に走ってきたから驚いたよ」

 「? ノエラ、狼の状態で二本足、立つ、出来ない」

 ぷるぷる、とノエラは首を振った。あれ……じゃあ、無意識なのか?

 「おれ、これからどこかの町に行くから。ノエラとは、ここでお別れだ」

 「ノエラ、行く! あるじ、一緒、行く」

 「あるじ?」

 こくん、とうなずいたノエラはおれを指差す。

 「あるじ。あるじ、ノエラの命助けた。お礼、ノエラする」

 「おれのことか、『あるじ』って。主のつもりなのか……?」

 お礼をしてもらうつもりなんてさっぱりなかったけど、この世界のことをまったく知らないおれには、ノエラの案内があったほうがいいだろう。

 「ノエラ、一緒、行く」

 片言を繰り返すノエラ。なかなか意思が固そうだ。

 「……わかった。じゃあ、よろしく頼むよ」

 手を差し出すと、ノエラは両手でおれの手をきゅっと握ってぶんぶん嬉しそうに振った。

 わさわさわさ―と尻尾も勢いよく右に左に振った。狼っていうより犬みたいだ。

 「さっそくで悪いけど、一番近くの町ってどこ? 案内して欲しいんだけど」

 「あるじ、こっち」

 手を繋いだままノエラは歩き出す。

 人狼の女の子をお供に、おれの異世界生活はこうしてスタートを切った。