魔王の後継者 序章

序章 後継者への誘い

 クラスメイト達との「お別れ会」に呼ばれたお陰で、深夜に下校中だったその日、天野涼は、自分を尾行する者の存在を感じ取った。

 不思議と気配に敏感な涼だが、つけてくるヤツの濃厚な気配たるや、「もしかして虎や熊のような野獣が後ろからついてくるのか?」とかなり本気で疑ったほどである。

 もちろん、涼は真剣に警戒していたが、特に恐怖は感じていなかった。これはいつものことだから、別に今日が特別というわけでもない。

 とはいえ、他人を巻き添えにするのも申し訳ないので、わざといつもの通学路を逸れ、町外れの児童公園へと入っていった。

 昼間なら子供連れの母親達がぽつぽつ見られる場所だが、零時に近いようなこの時間帯は、公道からかなり遠いこともあり、人影などは皆無である。

 涼は別に気にも留めず、コンクリート製の滑り台の影に当たる部分までずんずん進んでいく。テントウムシを象ったこの滑り台の向こうにいれば、万一にも外を誰かが通っても、気付かれまい。

 「──さあ、そろそろ出てきたらどうだ!」

 わざと陽気に声をかけてやった。

 自分でも呆れることがあるが、相手がどんなヤツだかわからないのに、ここまで大胆に振る舞えるのは、恐怖を感じない者の特権かもしれない。

 「帰宅した後だと、都合が悪い。いろいろ用事があるんだよ、俺も。別れを惜しんでくれたクラスの女の子達に、今夜中にメールするからって約束したんでな! お陰でやっとお別れ会を抜け出せたんだ」

 ちなみに、これは嘘ではない。

 入学してたった二カ月ほどだったが、やたらと女の子の知人が増えて、今日を限りに涼が二度と登校しないと担任が告げた途端、悲鳴の大合唱が起きたほどだ。

 ……叫んだ後で耳をすませたが、結果は同じだった。返事なし。

 「無視かよ、おい!?」

 五月末とはいえ、まだ夜は冷えるが、精神が研ぎ澄まされているせいか、寒さなど一向に感じない。涼は全身を緊張させ、あらゆる事態に備えようとしていたが、あいにく応答はない。

 ここから見えるブランコも鉄棒も、夜の闇に紛れていて、誰の姿も見えない。公園の外の歩道にも、人影はなかった。

 だが、相変わらず気配は感じる。確実に誰かがつけてきているのだ。

 たとえ、目に見えないとしても!

 「お互い、時間の無駄を省こうじゃないか、なあ?」

 涼はわざとらしくため息をつき、もう一度声をかけた。

 「自慢じゃないが、俺は高一にして一人暮らしでな。里親の二人は、もう亡くなってしまったんだ」

 微かにため息をついた後、涼は続けた。

 「だから、帰宅しても俺だけだ。家で襲うのもここで襲うのも同じことだと思わないか? それともなにか、あんたはこんなやせっぽちのガキ一人が怖いのか?」

 あえて挑発してやると、ようやくどこからか声が聞こえた。

 『……なぜ、予がおまえを襲うと思うのか?』

 やたらとドスの利いた、低い声音だった。

 聞いた瞬間、もちろん「一人称が『予』と来たかっ」と眉をひそめたものの、それ以上に、過去に大勢殺していそうな凄みがあった。

 おまけに、その声は少し反響を伴っていて、場所が特定できない。面白くない状況だった。

 「なぜおまえを襲うのか? そりゃ馬鹿でもわかるだろう。それだけ殺気を漂わせていたらな。こう見えて、俺はそっちの鼻が利くんだ」

 (理由を訊かれても困るけどな!)

 という言葉は、喉の奥に押し込んでおく。初対面のストーカーに語ることでもない。

 だが、あいにく向こうの方から尋ねてきた。

 『おまえは不思議な男だな、天野涼。この世界の脆弱な人間共は、普通自分が危険にさらされたと思えば、助けを求めるのではないか?』

 「つまり、助けを呼ぶのに電話しろってことか? 警察とか消防とか、あるいは命の電話とかに!? あいにく、そういうのは気が引けるタチなんだ」

 応じつつ、涼はそっと足元の小石を拾い上げた。

 (おまえの位置はわかったぞ、殺人鬼のストーカー野郎!)

 「なにせ俺は、一年前にこの世界に迷い込んだ、記憶喪失のガキだからな。散々世間様に迷惑をかけておいて、今更この世界の便利なシステムに頼るなんて、厚かましいにもほどがあるってもんだろう──がっ」

 最後の「がっ」のところで、涼は手にした小石を豪快なフォームでぶん投げた。

 石は何もない空間をよぎって、公園の外に飛び出しそうになったが、しかし途中で歪な音とともに砕けてしまった。

 バラバラと破片が落ちた次の瞬間、その空間が揺らぎ、一人の偉丈夫が姿を見せる。

 まさに偉丈夫としか言いようがない大男であり、高一にして百八十センチ近い涼より、はるかに背が高い。身体つきもがっちりしていて、仮に涼が金属バットで思い切り殴りつけても、平然としていそうに見えた。

 「……しかも、古くさい裾の長いスーツなんか着込んでるし。髪は真紅のオールバックときた。どう見ても日本人じゃないよな?」

 涼はまた一つ小石を拾い上げ、手の中で無意識に弄ぶ。

 まあ、想像したよりは人間タイプに見えるのが、唯一の救いか。まだ涼が対処できそうだからだ。

 「日本人に見えぬのは、おまえも同じだろう」

 特に警戒するでもなく、相手は大股で近付いてきた。

 「黒髪に黒い瞳はこの国の民と共通するが、肌の白さや鼻筋の通った顔立ちは、他の民とは似ておらんな」

 「そこで止まれ」

 涼はすげなく命じた。

 「自分の間合いに見知らぬ他人が入るのは、あまり好きじゃないんだ」

 自分の言い草に自分で顔をしかめてしまったが、とっさに口から出てしまったのである。

 相手は特に文句も言わずに足を止めたが、腹を立てるどころか、満足そうに唇の端を吊り上げた。

 「予が姿を隠しているのを見破ったばかりか、無意識に戦いを想定しているらしいな。どうやらトゥルーミラーは嘘をつかなかったらしい」

 「……トゥルーミラー? 鏡なのか、それ。童話に出てくる鏡とか言うなよ?」

 「多分、それに近いであろうな」

 相手はあっさりと言い返す。

 「だが、その話は後にしよう。天野涼、予はおまえに特別な要請をするために、この世界へ渡ってきた」

 「世界を……渡る?」

 ますます顔をしかめる涼を気にも留めず、相手は小さく頷き、続けた。

 「そうだ、予はおまえを迎えに来たのだ。我が後継者となり、魔族を治めさせるために。天野涼、予と共に魔族領へ来るがよい!」

 さすがの涼も無言のまま相手を見返した。

 しかし、本人は返事を待っているのか、じっと涼を見つめている。薄い黄金色の瞳で。

 やむなく、涼は自ら促した。

 「今、自分の正気を疑ってるところなんだ……悪いが、もう一度頼む」

 「予の後継者になれ! 今すぐとは言わない……皆には伏せているが、もうすぐ予の寿命が来る。その後はおまえの天下になるぞ」

 涼は男の顔を見上げた後、眉根を寄せた。

 「俺には俺の事情があって、確かに異世界へ行けるのは渡りに船かもしれない。しかし、名前も知らない男の後継者になれと言われてもな。それに、おまえだって俺のことをなにも知らないだろうに」

 「予の名はグレイオスという。魔王グレイオス……元のシャンゼリオン世界で、予の名を知らぬ者はいない。そして──」

 ニヤッと精悍な顔を綻ばせると、グレイオスとやらは、なんと虚空に手をやり、真紅の大剣を掴み出した。

 「……予とて、トゥルーミラーの答えを、そのまま鵜呑みにする気はない。天野涼、おまえの才能が本物かどうか、それは今、この場で確かめさせてもらうとしよう」

 「そういうテストかっ」

 飛び退くようにして間合いを開け、涼は唸った。

 「自称魔王のくせに、品行方正でいたいけな少年に対して、自分だけそんな大げさなグレートソードを使う気か!?」

 通常の剣より特に大きなものをグレートソードと呼ぶが、涼自身、どうして自分にそんな知識があるのかは、説明できない。

 だが、グレイオスにはちゃんと通じたらしい。

 「はははっ。口の減らない男よな! 予を前に、いい度胸だ。どう見ても普通の人間には見えぬし、これは期待が持てそうだぞ」

 ぎらぎらした黄金の目つきで涼を見やり、グレイオスは再び虚空に腕を入れ、今度は刀を抜き出した。真っ黒な刀身の、実に陰気くさい刀を。

 「これを使うがよいっ」

 結構な勢いで放り投げられたその刀を、涼は器用にも、ちゃんと柄の部分を握って受け止めた。その場で即、二度三度と振ってみて、重さや刀身の長さなどをとっさに確認していた。

 眺めていたグレイオスが、上機嫌で目を細める。

 「予の見間違いでなければ、扱い慣れているように見えるな。本当は、別の世界の人間ではないのか、天野涼」

 「だから俺は、一年前から絶賛記憶喪失中だって言ってるだろ! 人の話を──」

 「問答無用だっ」

 大喝して、グレイオスが大剣を振り上げた。

 「死にたくなければ戦え。予に才能を見せない限り、おまえはここで確実に死ぬぞっ」

 怒濤の勢いで駆け出したグレイオスを見て、涼は負けじと叫んだ。

 「ああ、そうかよっ。あんたこそ、葬式会場でも予約してから来るんだったな!」

 涼は、逃げるどころか、腰を落とした低い姿勢から一気に敵の間合いに突っ込んでいく。それこそ、一陣の風のごとき速度で。

 「なにっ!?」

 豪風のごとき風切り音と共に振り下ろされた大剣は、涼の肩口を掠ったに留まった。

 剣の軌跡を先読みしたように、涼がほんのわずかに身を捌いたせいだ。それでもぱっと鮮血が飛び散ったが、涼は顔色すら変えず、グレイオスの至近に飛び込んでいる。

 ちょうど、彼の死角に当たる位置へ。

 そして、低い姿勢から斜め上へと豪快に刀を振り切った。狙いは、グレイオスの首である。

 「おまえの負けだ!」

 涼の叱声が、公園に響き渡った。