魔王の後継者 1章(1)

第一章 魔族戦士との決闘

 異世界シャンゼリオン、という大陸から訪れた魔王の要請に従い、その世界へ赴く。

 ……聞くだに馬鹿馬鹿しい話だったが、天野涼はこの要請を受けた。

 もちろん、前提条件として「必ずしも俺があんたの後継になるとは限らないが、ひとまずそちらの世界へ同行はする。それでいいか?」と明言している。

 テスト的な戦いが終わった後でそのように言われた魔王グレイオスは、薄く血が滲んだ頬を指で撫でつつ、破顔した。

 「予のテストに見事に合格したばかりか、掠り傷とはいえ、予に傷を負わせた。であるからには、その程度の要望には応えてやらずばなるまい。まあ……まだ時間はある。それまでに決意してくれればよかろう」

 「俺だって、怪我はしてるんだが? しかもこっちの傷の方が深いしな」

 唸るように涼は主張したが、無視された。

 グレイオスが自分の頬に手をかざした途端、そこにあった掠り傷が、瞬く間に消えてしまう。しかも、ついでに自分が傷つけた涼の肩の傷も癒やしてくれるサービスぶりである。

 魔法というヤツらしい……信じ難いはずではあるが、そもそも一年前より以前の記憶がない涼にとっては、それがいかに不可解なことなのか、今一つ実感が湧かない。

 だいたい、自分だって異能力的なものは持っている。

 当然、己自身が魔法が当たり前のように存在する世界にいたという可能性も、涼自身としては十分にあり得ると思っていた。

 「しかし、またあっさりと異世界へ渡ることに同意したものだな? この世界に未練はないということか?」

 最初より声を抑えたとはいえ、相変わらずの胴間声でグレイオスが訊く。

 涼は肩をすくめ、頷いた。

 「ない。さっき教えた通り、俺は以前の記憶がないし、長らくこの世界の施設とやらに保護されていた身だ。最近になって里親に預けられたが、その二人も先週、事故で亡くなった。ここに留まる理由は本当にないね。……まあ、約束があるんで、クラスメイト達に別れのメールをする間だけは、待ってもらうけど」

 「先程おまえが言ってた、別れを惜しむ女達の話か? 予も側室を何人も持つ身だ。気が合うではないか。どうやら、よい後継者になりそうだ」

 「魔王の資質が、女好きにあるとは思えないぞ! それに、そこまで仲のいい子はいない」

 「既におまえには翻訳魔法もかかっているし、では魔族領で美姫を選りすぐればよい」

 グレイオスはあっさり話を打ち切り、涼を促した。

 「早速、その最後のメールとやらをしに帰宅するか?」

 「携帯使うより、家でゆっくりメールしたいから、そう願いたいね」

 ……結果的に、涼が日本を離れる前に済ませたことといえば、正味、このメールだけである。

 元より、「この世界は俺がいた世界ではない」と考える涼にとっては、以前から他の世界へ渡る方法を見つける必要に迫られていて、その意味ではシャンゼリオンという世界へ赴くのは、歓迎すべきことだったのだ。

 魔王の後継者となる話はともかく、魔法とやらが実在する異世界であれば、必ず自分もその手の転移魔法を覚えることができるはずだ。ならば、そのシャンゼリオン世界が元自分がいた世界ではなくても、己自身で探せばいい。

 魔法の習得については、涼には自分でも説明のつかない、不思議な自信があった。

 いずれにせよ、グレイオスと天野涼の思惑は一致し、約束通り最後の用事を済ませた後、涼は彼と共に見知らぬ世界へと転移した。

 ***

 ……眼前の景色は一瞬で変わり、涼とグレイオスは白壁の随分と広い部屋へと転移していた。

 床には輝く魔法陣のような図柄が描いてあったが、涼達が到着した途端、輝きが薄れて消えた。この魔法陣は、転送装置のような役割だろうか。

 人間世界ではあり得ないことに、天井辺りに人魂みたいなのがふよふよと浮いている。

 明かりの代わりらしい。

 「ここは城内にある、控えの間でな」

 グレイオスは涼の肩を結構な力で叩いた。

 「今から、臣下達を集めておまえを予の後継として紹介する。数分ほど、ここで待っているがよい。なに、予告はしてあるから、すぐだ」

 「俺はかなり内気なタイプで、人と打ち解けるのに十年はかかるんだが?」

 着くなり、いきなりかよっ、という抗議のつもりで涼が顔をしかめると、グレイオスは返事もせずに馬鹿笑いをして、一方のドアから出て行った。

 ……この部屋には、他に反対側の壁にもドアがあるが、他の二カ所の壁には、まるでウォークインクローゼットのように壁と壁の間に金属棒が渡してあり、そこに古めかしい衣装がどっさりかけられている。元いた日本の感覚でいえば、おそらく百年以上は時代がズレていた。

 なんとなく手で壁を触ってみると、冷たい石材の感触がした。白い色は塗ってあるだけのようだ。

 ここで待てという話だが、お茶くらい出ないのだろうか。

 小さな鏡が壁にあったので、涼はふと覗き込んでみた。

 学校指定の黒いブレザーの制服を着用し、手に刀を持つ、実に不機嫌そうな少年と顔を見合わせる。前髪が少し片目にかかり、自分で言うのもなんだが、落ちぶれた浪人風に見える。

 鏡の中の切れ長の目が、「おまえ、立場的にかなりヤバいよ?」と言いたそうに見つめていた。まさに、涼自身も同感である。

 刀は、テストが終わってから鞘付きでグレイオスから借りたものだが、本人が気前よく「おまえにやろう」と言ってくれたのだ。遠慮しようと思ったが、全然知らない土地──しかも魔族がわんさかいるという場所に行くにあたり、武器は必要だろうと考え直した。

 ……それはともかく、約束の数分が過ぎても、特に誰も来ない。

 涼はグレイオスの指示など放置して、あちこち見て回るかと思ったが……せめて、あと五分ほど待ってみようかと思い直した。

 幸い、亡き里親が与えてくれた携帯は、未だに制服のポケットに入っている。

 瞬く間に五分が経ち、涼は一つ頷いて正面のドアノブを掴もうとした──が。

 先にがばっとドアが開き、全然知らない女性が顔を見せた。

 「──っ!」

 出て行こうとした涼と顔を突き合わす形となり、相手がぎょっとしたように目を見開く。レザーアーマーなど着けていたが、どう見ても人間ではない。

 なにしろ、髪が緑色で耳がエルフのように尖っているのだ。

 「ああ、すまない。退屈なので、出て行こうとかと思って」

 涼が表情を変えずに低頭すると、その軍人じみた女性は少し唇を尖らせたが、気を取り直したように自分も低頭した。

 「お客様、魔王陛下がお待ちでございます」

 「わかった」

 わざと何気なく頷き、涼は彼女に従ってドアの外へ出た。

 ……出るなり、一気に周囲が明るくなった気がする。

 コンサートホール並みに広い場所であり、天井にはクリスタル製らしきシャンデリアが、幾つも吊り下げられている。

 ただし、そこで光源となっているのは蝋燭などではなく、さっきの部屋でも見た、外観のみ人魂に酷似した、明るい球体である。

 広間の正面……に当たる部分には赤いカーペットが敷かれた階段が数段ほどあり、そこにグレイオスが座って愉快そうに涼の方を見ていた。

 「来たな! 我が元へ来いっ」

 「……わかった」

 涼が肩をすくめて答えると、呼びに来た女性兵士がぎょっとしたように見つめてきた。

 「魔王陛下には敬語をお使いくださいっ」

 別に反抗するつもりはないが、涼は物怖じせずに相手を見返した。

 「まだ敬語を使うほど、グレイオスのことを知っているわけじゃない。魔族の王には違いないんだろうが、俺は呼ばれた側だし、彼の臣下でもないぞ」

 「まあ!」

 感心しているわけではない証拠に、その声音には微量の抗議の意が籠められていたが、また呼ばれたので、涼はそのまま正面へ進んでいく。

 途中、玉座を見上げるような位置に、魔王グレイオスの臣下らしい者達が大勢集まっていた。

 ざっと百数十名はいたはずだ。

 玉座へ至る階段下まで来て涼が止まると、グレイオスはさらに涼を手招きした。

 「よい、そのまま上がって我が右手に立て。そこでは紹介もできぬ」

 「刀は誰かに預けた方が?」

 刀を持ち上げて訊いてやったが、グレイオスは破顔して首を振った。

 「今日からおまえは、特別な地位に就く。例外として、武器の携行を認めてやろう」

 「……ありがたき幸せ」

 皮肉まじりの返事と共に、涼は刀を片手に階段を上がっていく。

 その姿をまるで珍獣が降って湧いたような顔つきで、その場の全員が凝視していた。

 涼はざっと見て、最前列に並んでいる面々が、魔族達の中でも立場の強い戦士なのだろうと見極めをつけた。

 なぜわかるのか自分でも不思議だが、どうもそれぞれが放つ存在感というものを、肌で感じ取ることができるような気がするのだ。

 意外なのは、中でも最大最強の力を持っていそうだと涼が判断した人物が、まだ少女だったことか……もちろん、見かけだけのことかもしれないが。

 彼女は、一人だけ皆と同じ位置に立たず、集団から離れた場所に、自分の臣下らしき者達と固まって立っていた。

 せいぜいローティーン程度の年齢にしか見えないが、青いゴシックドレスを纏った銀髪の少女である。しかもなぜか、涼の方を瞬きもせずに見つめていた。

 (まさか、ガンをつけられているんじゃないだろうな?)

 涼がそう疑ったほどである。

 ……数段上がり、言われた通りに玉座の横に立つと、魔王グレイオスはおもむろに一同の者を睥睨して、割れ鐘のような声で命じた。

 「全員、謹めっ」

 『ははあっ』

 一斉に声がして、全員が片膝を突く……いや、よく見ると全員ではない。

 涼が「この子はかなり手強そうだ」と見た少女一人のみが、右隅で立ったままである。

 グレイオスが一瞬そちらを見やり、忌々しそうな表情を見せたのを、涼は見逃さない。彼らの関係と魔王の彼女に対する心証が、この一瞬でわかってしまった気がする。

 しかし、グレイオスはたちまち表情をくらませ、何事もなかったように告げた。

 「そのままで聞くがよい。先日予は、自分の後継を探すために、神器の一つであるトゥルーミラーを使い、その所在を尋ねた。もちろん、魔王の後継者にふさわしい才覚のある者を求めたのは言うまでもない」

 ……既に臣下達からざわめきが洩れ始めたが、グレイオスは一顧だにせず、話を進めた。

 「神器の返事を聞き、予自らが異世界まで赴き、見出したのがこの人間だ。名を、天野涼という。予が求めた後継者にふさわしい男であると認めた故、今後はおまえたちも彼を後継者として認め、敬意を払うよう命じる」

 どうも、このグレイオスの宣言はかなり意外なものだったようで、片膝を突いたままの一同が全員ざわついていた。

 「先に言っておくべきだと思うので、俺自身が明言しておくが」

 黙ったままだとまずいような気がして、涼はしっかり主張した。

 「俺はこの世界を訪問することについては自分でも納得しているが、魔王の後継者になるかどうかは、まだ決めていない。というのも、まだ魔族領についても魔族についても何も知らないのだから、考える時間は必要だ」

 あんたらもそう思うだろ、なあ? と言わんばかりに見渡したが、反応は皆無だった。

 それはそうだ! と賛同する声などどこからも上がらず、涼の発言でざわめきが一層、激しくなっただけだった。