魔王の後継者 1章(3)

 グレイオスの終了宣言を聞いた瞬間、もちろん涼は素早くゲザリングと距離を取り、刀を鞘に戻した。当初からそういう約束だったので、当然である。

 元々、涼は喜んでこの挑戦を受けたわけではない。

 ゲザリングは呆然と上半身を起こしてグレイオスの方を見たが、グレイオス自身は涼の方を見て破顔していた。

 「はははっ。やはり神器トゥルーミラーは嘘をつかぬ。おまえの才能は驚くべきものだな。どこまで計算してやっていた?」

 「……計算というほどのこともなかったと思うがなあ」

 涼は正直に答えた。

 「相手の武器を奪ったと確信した時、大抵の敵は油断する。今回はその手を利用しただけのことだ」

 自分にしては謙虚に──というより、本心そのままに語ったつもりだが、なぜか周囲の野次馬魔族達から感嘆のため息が洩れた。

 渋々ながらではあるが、明らかに感心してくれたらしい。

 「うむ、なんであれ、ここでおまえが勝利を収めたのは互いにとってよかった。これで予も、堂々とおまえを後継者に指名できる」

 「いや、その件についてまだ俺は」

 などと涼が言いかけた途端、その場で狂ったような喚き声がした。

 もちろん、敗者となったゲザリングであり、涼と違って彼は魔剣を離しもしていなかった。

 「ま、まだ俺は戦えるうううっ」

 ほとんど狂ったように喚いて涼へ向かってこようとしたが、そんなゲザリングの前に、素早く立ち塞がった者がいる。涼が最初から注目していた青いゴシックドレスの少女で、手には巨大な漆黒の大剣が握られていた。

 「おい、これは俺の戦い──」

 「魔族の恥さらしっ」

 涼が手を上げるのと、少女が鞭のごとき叱声を飛ばすのが、ほぼ同時だった。

 しかも、叫んだ時には、右手の巨大な剣がゲザリングの頭上を襲っている。肉を絶つ嫌な音がしたかと思うと、ゲザリングは文字通りの唐竹割りになり、その場に潰えた。

 ……彼が叫ぶ暇すらなかったほどの、早業だった。

 「ユ、ユリア様っ」

 「ユリア様!」

 彼女の側近らしい男女が叫んだ時には、もはや全ては終わっていたのである。

 (いいのか、これ?)

 涼は他人事ながら、ユリアと呼ばれていた少女のやりように気を揉んだが──気のせいではない証拠に、グレイオスがさっとユリアの方を睨みつけた。

 「……なんの真似か、ユリア?」

 不気味に低い声が、彼の歯軋りのように聞こえた。

 「グレイオス陛下」

 ユリアは漆黒の剣をまさに魔法のごとく虚空へ消した後、微かに低頭した。

 「この者は」

 もはや肉塊と化したゲザリングを一瞬だけ見下ろし、唇を歪める。

 「陛下の命令に背き、後継者に指名された彼を殺そうとしました。それはまあ置くとしても」

 いや、置くのかよっ、とまた涼が思わず心中で突っ込む。

 涼の方など見もせずに、ユリアとやらはすらすら続けた。

 「勝負が決まっていたのは誰の目にも明らかだったのに、陛下の命令に背いただけではなく、魔族の誇りにまで泥を塗ったのです。セブンウォールトップとして、看過できませんでした」

 それきり、彼女は口を噤み、堂々とグレイオスを見つめた。

 両者の間には一種の緊張感と評すべきものが漂っていたが、少なくともこの謁見の間は、微かな称賛のざわめきで満ちている。他の魔族達がユリアの堂々たる説明を是としていることは、ほぼ間違いないだろう。

 つまりは、それだけゲザリングという戦士が、人望も人気もなかった証拠である。

 さてあいつはどう出るか? と涼はグレイオスに注目したが、彼は涼以上に場の空気に敏感だったようである。

 しばらくして大きく息を吐いた後は、拭ったように憤怒の表情が消え失せていた。

 「なるほど、おまえの説明は道理だな。なにより、予の命令に背いたゲザリングの罪は大きい」

 皮肉とも取れる言い方をした後、グレイオスは一転してユリアから目を逸らすと、大股で涼に近付き、肩を叩いてきた。

 「幸か不幸か、ちょうどセブンウォールの一角が、空いたらしい。皆の者、よく聞けっ」

 グレイオスはその場でぐるっと臣下達を見回す。

 「この勝負で天野涼の実力もわかったはずだ。以後、この男は予の後継者として、まずはセブンウォールの次席を命じる。……後継者故に、トップと言いたいところだが……それはしばらく様子を見てのことだ」

 『ははあっ。仰せのままに!』

 今度こそどこからも異議は出ず、周囲を埋め尽くす魔族達が恭しく片膝を突き、命令受諾の意志を示した。

 ぼさっと立っているのは、当惑した涼と──眉をひそめてグレイオスを見据える、ユリアと呼ばれた少女戦士のみである。

 (このままで済むまい。どうも俺は、権力争いに巻き込まれているような気がするぞ)

 臣下筆頭らしいあの少女と、彼女を疎む魔王グレイオスとの間で、右も左もわからない自分が板挟みという、感涙にむせびたくなるような立場である。

 遅まきながらそこに気付き、涼は早くもうんざりしてきた。

***

 後継者の件ですらまだ考慮中というのに、勝手にセブンウォールなどという時代錯誤な地位に据えられた涼だが、少なくともグレイオスの言う景品の確保は無事に済んだ。

 つまり、純白のドレスで身を固めた敵国の王女とやらが檻から引き出され、涼に勝者の景品として引き渡されたのである。

 檻から出される時、槍を持った魔族の兵卒に腕を掴まれそうになるや、「わたくしに触らないでっ」と気丈に言い返した少女だが、それでも涼のそばには素直に歩み寄った。

 「……助けてくださって、ありがとうございます!」

 長い金髪を舞わせて駆け寄ると、いきなり涼の手を握り、輝く笑みと共に言ってくれた。

 邪気のない笑顔であり、魔族兵士達とは大違いの対応だった。

 「あ、ああ」

 意外だったので、涼ですら少し戸惑ったほどだ。

 檻の中にいた時は張り詰めた表情だったが、今はすっかり笑顔である。少なくとも、涼が本当に景品として自分をむごく扱うとは、思ってもいないらしい。

 ……まあ、確かに涼とてそんな気は微塵もなかったが。

 周囲では既に魔族達が謁見の間から解散しつつあり、グレイオス自身もどこかへ出て行った後である。放置された二人に、最初に涼を案内したエルフの女兵士が近付き、深々と一礼した。

 「涼様、お部屋へご案内します」

 「そりゃ助かった。今夜はこの寒々とした部屋で雑魚寝かと、半ば覚悟していたところだ」

 半分くらい本気で答えたが、相手は当初のようにキツい視線で睨んだりはしなかった。

 それどころか恐縮したように頭を下げ、「ご案内が遅くなり、申し訳次第もございません!」と謝罪したほどだ。

 「……いや、なんか態度変わってないか? 俺は半時間前と、なに一つ変わってないのに」

 訝しむ涼が尋ねると、背後から返事があった。

 「今この瞬間から、おまえは魔族達の中でも魔王に次ぐ地位である後継者であり、さらには最強のセブンウォールの一人でもあるわ。その権勢を考えれば、彼女の怯えは当然ね」

 振り向く前に、先程ゲザリングを真っ二つにしたばかりのユリアが現れ、涼の前に立つ。

 慌てたようにエルフ耳の兵士が跪いたのが、印象的だった。

 「少し、彼と話があるわ。おまえ達は、先に戻りなさい」

 さらに彼女は、直属の臣下らしい男女をなぜか手を振って遠ざけた。二人の戦士は、素直に低頭して謁見の間を出て行ってしまう。

 ちなみに……二つ割にされたゲザリングの死体は、今も兵卒達が数名がかりで片付け中だが、彼女はそちらを見もしないし、反省の欠片もない。

 肝の太さは、さすがに魔族の重鎮と言えるだろう。

 とはいえ、涼としてはむしろ世話になっているので、低頭して礼を述べておいた。

 「先程は、手間をかけた」

 「気にすることはない。おまえの実力なら、どうせ同じことの繰り返しだったはず。……ただし、あいつが魔法を使わなければ、ね」

 ユリアは、なかなか痛いところを突いてくれた。

 確かに今の涼に魔法など無縁である。いや、なんとなく使えるような気がしてならないものの、現状では単なる根拠のない自信に過ぎない。

 ただし、他の切り札もあるといえばあるのだが……などと涼が考え込んでいると、今気付いたように、王女が呻き声を洩らした。

 「この人が……あのセブンウォールトップのユリア」

 「黙りなさい、人間」

 ユリアの切れ長の目は、王女の方を見もしなかった。

 「お呼びじゃないわ。ユリアは今、この涼と話しているのよ」

 むっとしたように息を呑む気配がしたが、さすがに気丈な王女も言い返さなかった。

 「俺になにか?」

 涼が水を向けると、ユリアは小さく頷き、ひたと涼を見た。

 「瞳をよく見せてほしい」

 「今、見つめ合っていると思うが?」

 薄赤い綺麗な目をひたと見つめ、涼は小首を傾げる。

 少し目を見開き、ユリアは苦笑した。

 「ああ、そういう意味じゃなく、もっと間近で」

 「なんなら、抱き上げようか」

 かなり本気で申し出たのだが、冷え切った声音で「……おまえ、死にたいの?」と言われてしまった。

 「つまりなにか、もっと腰を屈めるなり膝を突くなりして高さを合わせ、間近で目を見せろということか」

 「そう、そうよ! 身長差があるから、どうしても間近で見られないでしょう!? 理解しなさい、そのくらいっ」

 「なるほど」

 頼みごとの割に態度がデカいぞっ。

 涼としてはそう言い返したかったし、実際に口にする寸前だったが……彼女には借りがあるので、渋々言われた通りに腰を屈めて背丈を合わせてやった。

 なにしろこのユリアと来たら、実力の割に見た目は小学生くらいなのだ。

 「これでいいかな?」

 「いいわ。しばらくじっとして、ユリアの瞳を見て」

 「──いけない、涼様っ」

 それまで大人しく見守っていた元捕虜の女の子が、ふいに警戒の声を上げた。

 「なんだ?」

 「その人は──魔族のセブンウォールトップで、マインドヴァンパイアなのっ。魅了の術にやられたら、意のままに」

 言いかけたが、じろっと睨んだユリアを見て、慌てて自ら目を逸らした。

 「マインドコントロールをかけるつもりはないわ。……ただ、彼が本当に恐怖を感じないのか、知りたいだけ」

 「恐怖を感じない?」

 涼が首を傾げると、呆れたように言われた。

 「自分で気付いてない? 先程、おまえは、普通なら人間が感じるはずの恐怖を一切感じずに戦っていたはずよ」

 「……怯えるほどの相手じゃないと思っただけだが、違ったのか。まあ、俺は天下無敵の記憶喪失だからな。去年以前のことはさっぱりわからない」

 ぶつぶつ言いつつ、涼は今度は両膝を突いて本格的にユリアと視線を合わせた。

 「ぜひ、確かめてくれ。なにかヒントになるかもしれない」

 「……景品王女の警告を無視するのかしら」

 「無視するんじゃない。ここであんたの視線にやられるようなら、魔王の後継者なんて到底、無理だと思っているだけだ」

 「なるほど」

 感心したようにユリアが目を細めた。

 「少なくともおまえは、ゲザリングよりはかなりマシね」

 褒めたのか貶したのか微妙なことを述べると、ユリアは本当に互いの鼻先がくっつくほど間近に顔を寄せ、薄赤い瞳でじっと涼の瞳を覗き込んだ。

 よくよく見ると、瞳それ自体が光を放っているようにも見え、なにかこちらの魂にまで眼光が届くような、不思議な気持ちになる。

 しかし、涼は気を張ってその視線を受け止め、決して目を逸らさなかった。

 静まり返った謁見の間で、どれほど時間が経ったのかわからないが、とにかくしばらくして、ユリアが深いため息をついた。

 「信じ難いことに、おまえはユリアの瞳を直視しても、動じることがないわ。魔族戦士ですら、恐怖を完全に克服した者は、数えるほどもいないというのに。人間の身で全く恐怖を感じないなんて、驚くべきことね」

 「……他になにかわかったことないか?」

 立ち上がった涼が興味津々で尋ねたが、ユリアはあっさり首を振った。

 「おまえの心は不可視の縄で縛られているかのように、がんじがらめに封印されている。誰かが……あるいはなんらかの事象が起きてそうなったみたいだけど、記憶を取り戻すのは至難の業だと思うわよ」

 「戻らないものは仕方ないとはいえ、嬉しくない試練だな」

 「せいぜい、がんばりなさい」

 既に興味を無くしたのか、ユリアは軽く頷いて去って行こうとする。

 そこで涼は反射的に呼び止めていた。

 「礼代わりに、一応あんたに警告しときたい」

 「……警告? 人間のおまえが、このユリアに?」

 振り向いた彼女が、また切れ長の目を細める。

 「そう睨むなって。借りがあるし、言っておきたかっただけだ。とはいえ、あんた自身も気付いているかもしれないけどな」

 涼は王女とエルフ兵士に聞こえないように、ユリアの耳元で囁いた。

 「魔王グレイオスは、おそらくあんたを疎んでいる。気をつけた方がいい、あんたを見るあいつの目は、明らかに仇敵を見る目つきだ」

 「……礼を言うべきかしらね」

 ユリアは口元を少し綻ばせ、涼を見上げた。

 「ユリアとおまえの間に貸し借りなどないけど、忠告には礼を言いましょう。おまえこそ、注意しなさいな。自分の立場が強固じゃないのは、わかっているでしょうけど」

 逆に忠告されてしまい、それを最後に、今度こそユリアは悠然と歩き去った……あたかも、大海を進む鮫のごとく。

 なるほど、ユリア本人は魔王の不興を知りつつ、あの態度を変えずにいるらしい。

 「……あの子は筋金入りだな」

 嫋やかなドレスの背中を見送りつつ、涼は感心したように呟いた。

***

 謁見の間を出た魔王グレイオスは、自室にしている城の最上階へ戻った。

 七本ある漆黒の柱が、白亜の天井を支える広大な空間だが、グレイオスは脇目も振らずに、北側の壁にかけられた鏡へ向かった。

 スーツの上着を脱ぐ暇もあればこそであり、ひどく性急な歩き方だった。

 ただ、その合間に口元からは呪詛の声が洩れている。

 「……ユリアめ、このところ、日を追うごとに、予への敬意がおろそかになる。予の運命は見えているにしても、あの女も道連れにしてやりたいものだ」

 物騒な内容だが、あらかじめメイド達は下がらせているので、聞く者はいない……唯一、彼が所持する神器、「トゥルーミラー」を除いて。

 所有者に関する未来のこと〝のみ〟を答えるという、ある意味で限定的な使い方しかできない魔法の鏡である。

 横二メートルに縦が三メートルもある巨大なものだが、この広い部屋の中にあっては、さすがにさほど大きくも見えない。

 飴色に光る重厚な木枠に嵌まった鏡であり、その本体である鏡のずっと下の方に、小さく「No.033」とある。これはこのトゥルーミラーの神器ナンバーを示す。神器は全部で百種類あり、ナンバーも当然、百通りあると言われている。そのうちの一つが、このトゥルーミラーというわけだ。

 持ち主であるグレイオスが前に立つと、すぐに鏡に変化が生じた。

 例によって鏡の中央に小さな黒点が現れたかと思うと、たちまちその点が拡大し、鏡の中を暗黒が覆っていく。

 それはまさに、鏡の向こうの世界が、完全なる闇に覆われたかのようである。

 やがて鏡それ自体が、漆黒の穴のようになってしまうと、グレイオスは性急に尋ねた。

 「トゥルーミラーよ、おまえが提示した通り、異世界の少年を連れ帰ったぞ。リョウ・アマノだったか? そいつだ。……しつこいようだが、今一度問う。ヤツは本当に、予の後継者にふさわしいのであろうな?」

 『貴方も、一度ならず、彼の才能をご覧になったはず』

 鏡はいつものように、白い文字を黒一色の中に示した。

 グレイオスが見守る間にも、流れるように文字が増えていく。

 『ですが、お望みとあらばもう一度答えましょう、我が主人よ。リョウ・アマノ……無数にある世界の隅々まで渡り歩けば、彼より剛力な者は大勢おります、彼より俊敏な者もわずかにおりますし、それに彼より速く走れる者も多少はおります。しかし──』

 もったいぶるように一拍置いて、鏡は結論を浮き上がらせた。

 『……数多の世界を覗こうと、彼より戦いの才能に恵まれた者はおりません。実に、一人も存在しないのです。貴方が、ご自分の死後、魔族が世界を統一することを望むのであれば、あのリョウ・アマノがベストの選択です』

 「そうか……」

 グレイオスはほっとしたような、あるいは少し失望したような……実に複雑な表情を見せた。

 「ちなみに、これもいま一度問うが、予は本当にマジックポイズンなどに侵されているのか? 寿命が残り少ないというのは、間違いない事実なのだな?」

 『事実でございます……我が主人』

 相手は、戦女神フューリーが太古の昔に創造した神器だけに、魔王が相手といえども、全く遠慮がなかった。

 『貴方は魔法を生み出す素となるマナの使用が過ぎ、その毒素に全身を侵されています。今より半年後には身体が弱り始め、それから三カ月も経ずして死に至ることでしょう……』

 「あのユリアめは、百五十歳に過ぎない予の何倍も年上だぞっ。それなのに、どうして同じ病にかからない!? 魔法の使い過ぎが病の原因なら、あやつとて危ないはずだっ」

 同じ返事がかえってくるのがわかっていながら、グレイオスはまた訊かずにはいられなかった。もちろん、鏡の返事は同じである。

 『なぜかは、私にもわかりません。しかし魔族や人間も、同じ環境で過ごしたとて、重大な病にかかる者とかからぬ者がいます。それと同じことかと』

 「ふん、そう言われると反論もできんわ。都合のよい答えよな……ははっ」

 グレイオスは諦めたように笑った。

 このトゥルーミラーの予知があればこそ、グレイオスはわざわざ異世界にまで赴き、自分の後継者を見つけて連れ出したのである。

 自分が死んだ後に、人間共にこの大陸──彼の物になるはずだったこのシャンゼリオン大陸全土が蹂躙されるのを、どうしても許せなかった故だ。

 逆に言えば、もしも「マジックポイズン」などという、ほとんど世界に知られない病に侵されていることを知らなければ、後継者探しなどは考えもしなかっただろう。

 「死の運命を回避することはできぬか……」

 『いえ、わずかな可能性が生まれました』

 「なにっ」

 質問ではない独白に答えた鏡に、グレイオスは大きく息を吸い込んだ。

 「以前、予が同じことを尋ねた時、おまえは『死を回避する方法はない』と答えたはずだっ」

 『それはあの時点でのことでございます、我が主人』

 相手は鏡だけに、別段の焦りも見せずにしれっと文字が連なっていく。

 『今、わずかな可能性がありますと申し上げたのは、あれから微妙に事情が変わったためでございます。これは、以前にはなかった事情です』

 「事情が変化するのまでは、神器といえども予知できなかったわけか」

 『私が予知するのは、その時点における、我が主人の未来の情報のみ……なぜなら、未来は常に流動的ですから』

 別に言い訳でもないだろうが、鏡の表面にそんな文字が浮かび出た。

 「……まあよい。おまえのロクでもない予知を読まされてからこっち、一番マシな返事だ」

 皮肉を述べて唇の端を吊り上げた後、グレイオスは我知らず、尋ねていた。

 「それで……そのわずかな可能性とはなんだ? その可能性を高めるために、予はなにをすればよい?」