魔王の後継者2(1)

序章 かつての魔王と神器の消失

 透明化の魔法を使えるのは、なにもアリサ王女だけではない。

 例を挙げれば、大陸中にひそかに勢力を伸ばす降魔教団内においても、同じ魔法を使える魔法使いは何名かいる。

 とはいえ、仮にそういう人物が、魔界の帝都グラナガンへ侵入したとしても、さすがに魔王の居城とされる、ゴルゴダス城へ忍び込むのは無理がある。

 いかに透明化の魔法を使用していようが、誰かが気付く可能性が高い。

 しかし、城内に最初から降魔教団の信徒がいるとなれば、話は別である。

 深夜……ひっそりと寝静まったゴルゴダス城内において、メイド服を着込んだ女性が一人、安置室の鍵を開け、こっそりと忍び込んでいた。

 ここは、戦闘や急病などで城内の誰かが急死した場合、埋葬されるまで死体を保管する場所である。

 地下の階層にあり、必要に応じてコールドストレージの魔法を部屋全体にかけられ、常に極低温に保たれている。

 今も、たった一人の重要人物のために、広間ほどもある部屋がひんやりと低温状態に保たれていた。

 ただ、今保管されているのは、実は厳密な意味での死体ではない。

 ソウルプリズンに魂が捕らわれているので、もはや肉体は抜け殻に過ぎないし、確実に緩やかな死を迎えつつあるが、それでも魂さえ戻れば、復活の可能性はあり得る。

 なにしろ、鋼鉄製のベッドに寝かされていたのは、先の魔王だったグレイオスなのだから。

 「あらあら……傲岸不遜を地でいくような陛下も、ついにこのような有様となり、おいたわしい限りでございます」

 言葉の割に、くっくっと楽しそうな笑みが洩れ聞こえた。

 「今なら、裸に剥いて肉体を辱めようと、抵抗もできませんね。敗者とは、惨めなものですわ」

 勝手なことを言いつつ、うっとりとグレイオスの厳つい頬を撫でる。

 「でもご安心ください。我が教団が陛下の玉体を必要としているのです。もちろん、今はまだ宝物庫にある、神器ソウルプリズンも」

 ひそひそと魂不在の肉体に話しかけると、彼女は不格好なマスケット銃のようなものを懐から取り出した。

 銃把にあたる下方に、「NO.050」というナンバリングがある。

 これもまた、ソウルプリズンと同じく、戦神フューリーの手による、神器の一つなのだった。

 「神器、ナインミニッツ! たとえ抜け殻といえども、九分間は活動できますわよ。ただし、この私の命令に従うことしかできませんが」

 言下に、謎のメイドは銃の引き金を引いた。

 銃声などはしなかったが、光の尾を引いてなにかが飛び出し、グレイオスの抜け殻に命中する。一拍置き──カッとグレイオスが目を開いた。

 血のように染まった、赤い瞳を。

 「魔王グレイオス」

 メイドが落ち着いて命じる。

 「汝に命令を与える。城内の宝物庫に押し入り、神器ソウルプリズンを奪ってきなさい。その後、宝物庫の窓から外へ飛び出すのよ。四階程度なら、おまえには何ほどのこともあるまい。着地した後は、私の仲間が上手くやるわ」

 「……承知した」

 感情の籠もらない声で答えると、グレイオスはベッドを降り、すぐに階段を上って四階を目指した。

 巨大な背中を見送った後、謎のメイドは銃の形をした神器を懐へ戻し、自分も足早に安置室を立ち去っていく。

 「世界を業火で焼き尽くし、我が主君のものとする……なんと甘美な目標でしょう」

 不気味な独白など、しつつ……。

* * *

 「我が君、不祥事の報告をお耳に入れねばなりません」

 事件が起きた深夜、城内最上階の部屋まで足を運んだ涼に、ユリアは、苦しげな表情でそう言った。

 涼と同じくまだ眠っていなかったのか、いつもの壮麗なゴシックドレス姿だった。

 彼女の真の年齢は、人間で言うと千歳以上なのだが、ヴァンパイアとして数えるなら、まだ十歳程度らしい。事実、涼の眼前で恭しく片膝をつく彼女は、本当に十歳くらいに見える。

 まあ、自由に年齢を加速することも可能らしいから、真の年齢とやらに、そう意味はないかもしれない。

 「不祥事といっても、ユリア自身のではないんだろう?」

 「は、はい。ユリアは私用を片付けるために、つい先程戻ったばかりです。戻った時には、全てが終わった後でした」

 彼女は、悔しそうに低頭した。

 「しかし、セブンウォール筆頭の身としては、城内で起きたことについては、全て責任がございます……面目次第もございません」

 「それを言うなら、最終的には魔王たる俺の責任だ」

 涼は柔らかく述べ、ようやく尋ねた。

 「それで、なにが起きた? さっきかなり下の方の階で、少し気になる気配がしたが」

 「さすがは……」

 ユリアは心底感心したようにため息をついた。

 そこで涼が手を差し伸べ、「とりあえず、立って話そう」と勧める。

 ユリア自身は少しためらいを見せたものの、二人だけのためか、素直に立ち上がった。そのまま、涼と共に窓辺に立つ。

 しかし、嬉しそうな笑みはすぐに消え、表情を引き締めて報告する。

 「宝物庫に収めた神器ソウルプリズンと共に、あのグレイオスの肉体が消えました」

 涼は眉根を寄せたが、特に大声は出さなかった。

 ただし、内心では無論、多少の驚きはある。

 かつての魔王、それも涼によって彼が玉座を追われたのは、まだ数日前のことにすぎない。

 肉体と魂が分離された状態なので、もちろん彼の肉体はまだ生きているが、どのみち最終的には処刑されることが濃厚だった。

 仮に新魔王である涼が許しても、降魔教団と通じていたかつての魔王に、臣下達のほとんどが激怒していたからだ。

 「あいつの魂を封じた神器ごと肉体が消えたということは、誰かの差し金か?」

 「……おそらくは」

 憂いに満ちた顔でユリアが頷く。

 「しかし、殴られて一瞬で倒された宝物庫の兵士達が、妙な証言をしております」

 「どんな?」

 「……宝物庫を襲い、自分達を倒してソウルプリズンを奪ったのは、かつての魔王、グレイオスその人だと。ひどく生気のない顔だったが、間違えようもない──二人揃って、そう証言してますわ」

 「ふむ?」

 涼はただ冷静に頷き、窓から帝都を眺める。

 どうせユリアのことだから、既に十分な追っ手を放っているだろう。しかし、どうもグレイオスはもう安全圏に逃げている気がしてならない。

 「生気のない顔というのが、一つのヒントだろうな。誰かが計画したことなのは、間違いないはず。ソウルプリズンとグレイオス……この二つを必要としたのだろう」

 「となると、やはり犯人は?」

 「証拠もないのに断定して悪いが、降魔教団とやらの関係者じゃないか? また、随分と簡単に侵入を許したものだが」

 涼は顔をしかめた。

 内通者の存在を疑ったのだが、王たる者が軽々しく臣下を疑うのはよくないだろう。

 「グレイオスの肉体は魂を失ったままなので、気配は皆無だったはず。それに、脱出を助けたと思われる侵入者も、よほどの戦士でもなければ、そうそう気付くはずもございませんわ」

 涼の沈黙を勘違いしたのか、ユリアは懸命に慰めてくれた。

 「それにしても、タイミングが気に入らないな」

 涼の言葉に、ユリアは察しのよいところを見せた。

 「昼間、勇者を僭称する女が来て、捕虜交換の相談を持ちかけたばかりですが……そのことでしょうか?」

 彼女が指摘した通り、昼間にシャリオン教団所属の勇者ロザリーが訪れ、先の大戦で双方が抱える捕虜の交換条件を話し合ったところだったのだ。

 ちなみに、相談は涼が「捕虜交換に異論はないが、まずそちらが占領したままになっている、魔界北部の領土を返してもらおう」と答えたので、この件は一時棚上げになっている。

 魔界の北部にある大渓谷一帯を占領したのはロザリーの功績だが、返還するとなると、彼女が所属するシャリオン教団はもちろん、教団が本部を置くヴァレンシア王国にも相談しないといけないからだ。

 魔王に即位したばかりの涼の立場としては、「前の魔王であるグレイオスの不手際で奪われた領土を取り戻す!」というのは、ごく当たり前の話だったのだが、ロザリー側……というか、ヴァレンシア王国と教団側は、まさかそのような要求をされるとは、思いもしなかったらしい。

 未だ、王国側有利だと勘違いしているのかもしれない。

 涼は、昼間のロザリーとのやりとりを思い出し、顔をしかめた。

 考えてみれば、交渉に来るのも早すぎた気がする。まだ先の大戦が終わって、数日しか経っていないのだ。

 「そう、捕虜交換の話の直後というのが怪しい。おそらくこれは、なにかの悪巧み……の布石の気がするな」

 涼は小さく頷く。

 「まあ、勇者を名乗るロザリーは関係ないと思いたいが……教皇は怪しいだろう」

 「御意」

 以前、ロザリーの罠に嵌められたせいか、内心では二人共怪しいと思っていそうな顔のユリアは、しかし素直に頷いた。

 「気にはなりますが、ひとまずの急務は、グレイオスを取り戻すことかと。そのために、最善を尽くしております」

 ユリアは自分が打った手を生真面目に報告した。

 「既に帝都内に追っ手を放ち、捜索範囲を帝都の外にまで広げるよう、命じました。国境付近にも厳重警戒を呼びかけていますので、犯人かグレイオス本人の捕獲まで、今しばらくお待ちください」

 最後に低頭して話を結んだが、涼は「ご苦労様」と述べた後、微かに首を振った。

 「しかし……ここまで鮮やかなやり口からして、おそらく敵は手持ちの神器でも使ったのかもしれないな」

 さりげない言い方に、ユリアがさっと顔を上げる。

 しかし、口にしては何も言わなかった。

 おそらく、涼が遠回しに「敵は逃げただろうな」と言いたいのを、いち早く悟ったからだろう。

 事実、その日から夜を徹した捜索が何日も続いたのにもかかわらず……ついに、グレイオスもソウルプリズンも見つからなかったのである。