魔王の後継者2(2)

第一章 道を見失った少女

 レイカは自分を戦士だと思っている。

 まだ女の子と呼ばれる年齢ではあるが、特筆すべき実力を秘めた、戦士であると。

 事実、女戦士でしかも百騎士の一人でもあった母に幼少の頃から訓練され、実力のほどは彼女によって保証されている。

 残念ながら、その母も二年前に戦死してしまったが。

 当時まだ十四歳だったレイカは、早速、母のような戦士になるべく軍に志願したが……あいにく、現実は厳しかった。

 一応、百騎士を務めた戦士の娘ということで、当時の魔王グレイオスに謁見することはできたが、彼はなぜか女性が重要な地位につくことを好まないようで、年齢と「実戦はまだ未経験」という部分を聞くと、途端に鼻を鳴らしてこう言い放った。

 「失せろ、女。おまえごときを使うほど、我が軍は落ちぶれてはおらん。しかも、わしの見たところ、どうやら人間の血も混じっているようでもある」

 ……最後は図星だった。

 祖父の結婚相手が、確か人間だったと聞く。

 これまではバレたことがないのだが、さすがに魔王は慧眼だったらしい。

 さらに、落胆のあまり多少顔色が変わったレイカを見て、彼は死者に鞭打つように付け足した。

 「不満そうな顔よな? よし、決めたぞ。おまえは今後、このゴルゴダス城内でメイドとして働くのだ。断ることは許さん。死ぬかメイドか、どちらかだな」

 気安く命じた挙げ句、震えるレイカをしげしげと見て、「惜しいな。せっかくの美貌だが、あいにく予は子供は好まん。しばらく熟するのを待って、改めて話そうぞ」と大真面目に述べた。

 たとえ気まぐれの言葉であろうと、魔王の一言である。

 あの瞬間、レイカは城内の雑用をこなすメイドの一人となることが確定し、さらには「将来的にグレイオス陛下の夜伽をこなす女」として広く知られてしまったのだ。

 グレイオスの御代になってから、メイドの制服はスカートの丈がやたら短くされ、ストッキング着用もなぜか厳命となった。

 全ては陛下の趣味である、というもっぱらの噂である。

 レイカは絶望したが、魔界から逃げることは叶わず、以来、忸怩たる思いでメイドの職務をこなしている。

 メイドの着る制服とは思えない、短いスカート丈の制服を着込み、日々、魔王グレイオスを恨みながら。

 ただ、意外なことに、レイカに思わぬ転機が訪れた。

* * *

 「レイカ、もっと丁寧に拭きなさいっ」

 友人でもあり、朋輩でもあるニーナと二人で窓拭きをしている時、丸メガネをかけたメイド頭が、いきなりレイカを叱責した。

 「え? あ、はいっ」

 反射的に低頭したものの、レイカ的には納得がいかない。

 なぜなら、特にいつもの朝と違ったやり方はしてなかったし、手も抜いてなかったからだ。

 「なにか不満でもっ!?」

 ぎらっと彼女から睨まれ、レイカは慌てて首を振った。

 身内もいないし、後ろ盾もない身で、波風は立てたくない。

 「ならいいですけど、今後はびしびし指導しますからね。今までのようにはいきませんよっ」

 メイド頭のおばさんは、厳しく言い放ち、「ふんっ」と声にまで出して、ようやく去っていった。

 「なんなの……一体?」

 思わず呟くと、友人のニーナがため息をついた。

 「その分だと、まだ知らないらしいね?」

 「なにを?」

 「グレイオス陛下が崩御したこと」

 「ええっ」

 声を上げた後、レイカは窓ふき用の布きれを握りしめたまま、思わずぐっと拳を固めた。

 「……哀しくないの?」

 ニーナに不思議そうに言われたが、なにが哀しいものか。

 「哀しくないわよっ。危うく夜伽に呼ばれるところだったんだから!」

 結局、グレイオスはレイカと話したことなど忘れたようで、以後、夜伽の話は消滅したも同然だったが。

 「えーーっ。夜伽が嬉しいかどうかはおいて、陛下の側室の一人になれたら、それなりに楽しい人生になったと思うけどっ」

 一つ年下で、十五歳のニーナは、どうも処女のくせに貞操観念が緩く、「メイドとしての出世の道は、おばさんになってメイド頭になることじゃないわっ。地位の高い人に見初められることよっ」と日頃から断言している。

 良い子だけど、そこだけはレイカと全然意見が合わない。

 「わたしはごめんだわ、そんなのっ。このお仕事だって、嫌々やってるのに」

 「あ、そこはニーナも同じだよ。メイドのお仕事つまんない」

 ニーナが唇を尖らせてそんなことを言い放ち、レイカは思わずため息をついた。

 人の気も知らず、ニーナがひそひそとさらに囁く。

 「それはそれとして、メイド頭のリッカーさんには注意だよ。あの人、今まではレイカが陛下の側室確定だと勘違いしてたから何も言わなかったけど、本来、モテモテのレイカが嫌いらしいから」

 「なによそれ……」

 いい加減うんざりして、レイカは城内の高い天井を仰ぐ。

 だいたい、自分は別にモテてない。ただ、好色な目で男からジロジロ見られることが多いだけだ。

 レイカの思いはともかく、事態はさらに急展開となった。

 先帝である魔王グレイオスが崩御した理由もおいおい伝わってきたが、なんと倒したのは異世界からやってきた後継者の少年であるという。

 グレイオスに裏切られ、重臣のユリア共々敵に引き渡されそうになり、逆襲したのだと。

 しかし、その「敵」というのが誰を指すのか、なぜか布告はその辺に触れていなかった。

 ただまあ、魔界の秘密主義は今に始まったことではないので、それはいい。

 驚いたのは、即座に新魔王が決まり、問題のその少年が、玉座についたという。

 しかも当の少年は、一年前以上の記憶が全くないとか……少年であるということ以外、年齢すらはっきりしないという。

 先日と同じく城内の窓拭き掃除にいそしんでいたレイカは、ニーナからたっぷりと魔王とその周辺に関する噂を聞かされた。

 「でもそれって、血筋至上主義の魔界にしては、珍しくないかしら」

 かつてグレイオスに、祖先に人間の血が混じっていることを看破されたレイカは、ふと眉をひそめた。

 「それがねぇ……」

 ふいにニーナが、ひそひそと声を低める。

 「どうやら、あのユリア様が、新たな魔王陛下にベタ惚れしちゃったらしくてぇ」

 「あ、あのお方がぁ!?」

 「──あのお方とは誰ですか、レイカっ」

 不意打ちを食らい、レイカとニーナは飛び上がりかけた。

 見れば、ひっつめ髪のメガネおばさんであるメイド頭のリッカーが、冷えた目つきでレイカを見つめていた。

 「い、いえ……ただの噂話です」

 「仕事中に噂話ですか? この前注意したのを、もう忘れましたか? いつまでもグレイオス様の時代じゃないですよ!」

 「……別に先の魔王陛下は関係ありません」

 思わず言い返したのがまずかったらしく、リッカーは口元に残酷な笑みを浮かべた。

 「どうやら貴女は、一度懲罰房へ行きたいらしいですね」

 「いえ、そんなっ」

 懲罰房とは名ばかりで、そこは城内で大きなミスを犯した使用人が入れられる、牢獄に等しい場所である。

 窓もないし、天井も低い……剛の戦士でも、ぶち込まれると数日以内に音を上げるらしい。

 「わたしはそこまでの──」

 「そこまでのミスかどうかは、この私が決めます!」

 意地悪くリッカーが言い放った途端、落ち着いた声がした。

 「少し、過剰な罰に思えるな」

 「誰です!? 余計な──」

 素早くそちらを見たリッカーはたちまち口を噤んだ。

 いつ、この一階大ホールに入ってきたのか、黒髪黒瞳の少年と、そして……セブンウォールのトップである、あのユリアが並んで立っていたのだ。

 「おまえ達、慎みなさいっ」

 いきなりユリアが厳しく申し渡した。

 「魔王陛下の御前よ!」

 「な、なんとっ」

 青ざめたリッカーはもちろん、レイカとニーナも慌てて跪いた。

 「見苦しいところをお見せしました!」

 メイド頭の掠れ声に、少年……新たな魔王は鷹揚に頷いた。

 「いや、ふいに声をかけた俺がよくなかった。それより、君はメイド頭だな?」

 「は、はいっ。リッカーと申しまする」

 「ふむ。後ろの二人は?」

 「レイカでございます」

 「ニーナですっ!!」

 レイカが低頭したのに続き、一際大声でニーナが名を告げる。

 あわよくば側室という夢がちらついているのが、かなり丸わかりである。

 「うん。……ではリッカー、メイド頭の職務もわかるが、ミスをしない者はいない。ここは俺に免じて水に流してやれないか? なにしろ、雑談で懲罰房送りという前例を作るのは、ちょっとな」

 「ははあっ」

 リッカーは額を石床に擦りつけるようにして答えた。

 「わかってくれて、嬉しい。みんな、立っていいぞ。ふいに声をかけて悪かった」

 魔王にそう言われ、レイカ達はおずおずと立ち上がる。

 すると、ふと相手──つまりスーツとクラバット姿の新たな魔王が、レイカを見て首を傾げた。

 「レイカだったな?」

 「は、はいっ」

 「ちょっと」

 まさか「掃除中なので」と断るわけにもいかない。

 レイカは渋々と魔王の前に立った。

 「妙なことを言うと思うだろうが、掌を見せてくれないか? 左右の手の」

 「て、掌でございますか」

 命令された通り、掌を上に向けて見せると、魔王は少なくとも十秒以上はじっくりと眺めていた。

 そのうち一つ頷き、「ありがとう」と声をかけ、後はそのまま去ってしまった。

 大ホールから二階へ上がる階段へ向かう二人を、レイカ達はぽかんと見送ってしまう。

 ただ、二人の姿が見えなくなると、拗ねた声でニーナが言ってくれた。

 「わー、またレイカが見初められた。再び夜伽チャンスじゃなーい!」

 「いや、そんなまさかっ」

 レイカは当然、全力で首を振った。

 グレイオスの時だって、初対面で夜伽の話など持ち出され、以後は彼を見かける度に、飛んで逃げたのだ。

 やっと解放されたと思ったら、またしても同じ道を辿るのは、ご免である。

 (冗談じゃないわよ、本当にっ)

 ニーナはともかく、メイド頭のリッカーの憎悪の目つきも、とばっちりもいいところである。