魔王の後継者2(4)

 奴隷禁止令に続き、合意を経ない性交渉の強要禁止(通称、強制夜伽禁止)を布告した涼のことは、もちろんレイカの耳にも入っている。

 というか、夜にメイドが寝泊まりする宿舎で、友人のニーナに聞かされた。

 「厳しそうな布告に聞こえるけど、合意なら別にいいってところが、素晴らしいわぁ。陛下公認だもん。そういえば陛下は、魔王としては初めて、純血の人間なのね。魔族の血は一滴も交じってないって、凄くない? あたし、外のことはよく知らないから、人間といえば、レイカみたいに栗色の髪だと思ってたわ」

 金髪のニーナは、なぜか的外れな感心の仕方をした。

 魔王の副官格のグレースだって黒に近い蒼黒の髪だし、もちろん、人間が栗色の髪だなんて決まりはない。

 部屋に遊びに来られたレイカは、紅茶を飲みつつ、「髪の色や肌の色は、人間だって千差万別よ。それよりニーナは、夜伽も合意なら嬉しいのね?」とからかったほどだ。

 「もちろんっ。容姿に秀でた殿方で、しかも地位の高い方で、両思いなら嬉しいわよ。そしたらあたし、遠慮なくおねだりして、その方の花嫁にしてもらうもん」

 「花嫁が望み?」

 「そう、そうよっ」

 ソファーに並んで座るニーナは、しっかりと頷いた。

 「それも、ただの花嫁じゃなくて、高い地位があって──」

 「容姿に秀でて、両思いの人でしょ? さっき聞いたわよ」

 「じゃあ、レイカの望みは!?」

 熱弁を遮られたニーナは、不満そうに尋ねた。

 「わたし? わたしはね……少なくともメイドをやってるのが望みじゃないのは確かね」

 レイカはソファーの上で膝を抱え、ぼそりと口にした。

 風呂上がりのガウン姿だったので、裾がエラいことになったが、そばにはニーナしかいないので、特に気にしない。

 「掃除用具や窓拭き用の古布じゃなくて剣を、ホウキの代わりに魔法用のロッドを──それが望みかな。そして、母のような戦士になりたい」

 「レイカって魔法も使えるのっ」

 素っ頓狂な友人の声を聞き、レイカはくすっと笑った。

 「使えた方が、士官の道が開けるって聞いて、母から教わってるわよ。まあ、今の状態じゃ、全然使い道ないけど……見世物にするのも駄目」

 ニーナのわくわく顔を見て、レイカはしっかり先回りした。

 「ぶぅうううううっ」

 「ふふっ……ごめんねぇ」

 ブーイングを飛ばすニーナに笑いかけてから、レイカは自室の天井を仰いだ。

 ああ、わたしはいつまでこの仕事を続けるんだろう……いつになったら、母のような道を選べる自由が手に入るんだろう……戦女神フューリーよ、せめてわたしに、チャンスを与えたまえ! 広い世界へ飛び出し、己の力を試せる、チャンスを。

 「でもさ、それなら今の魔王陛下は、レイカにとってチャンスじゃない?」

 「え?」

 ふいに言われ、レイカは魔族には珍しい、黒い瞳を瞬いた。

 少し垂れ目がちな、友人の瞳を覗き込む。

 「どういうこと?」

 「だってほら、革新的な改革多いし、何度かレイカの様子見に来てたし」

 「き、気付いてたのっ」

 「気付くよぉ、コンビ組んで仕事してるんだもん」

 「コンビって……まあ、そうだけど」

 確かに、初対面以来、なぜか涼は毎日のようにレイカが仕事中のそばを通る。偶然にしては頻度が高すぎるので、様子を見に来ているとしか思えない。

 しかし、別に話しかけるでもなく、単にチラ見するだけとなると──レイカとしては「もしや、グレイオスと似たような理由なんじゃ?」と邪推するわけである。

 「あれは……別に士官させてやろうとか、そういうのじゃないかもよ」

 ふうっとため息が出た。

 「また前の魔王みたいに、見かける度に飛んで逃げることにならないか、心配だわ」

 「そっち目当てじゃだめなの?」

 ニーナが無邪気に言ってくれた。

 「合意の上で夜伽して、望みを叶えたらいいじゃない? それに陛下は、なかなか素敵な方だと思うわぁ」

 夢見るように言うニーナである。

 「わたしは、わたしの肉体じゃなく、実力を見てほしいのよっ」

 思わず憤慨したレイカである。

 だいたい、レイカ的には、あんな線の細い美少年風の男は、好きじゃないのだ。

 それを言うなら、自分も見た目は似たようなタイプなのだが、だから余計に好かない。

 「わかったよ、レイカ。あんたは自分がやりたいことにどうしても手が届かなくて、哀しいのね」

 慰めるような口調で言われ、レイカは不覚にも鼻の奥がツンとなった。

 「そうね……このもやもやは、そういうことなのかも。やりたいことははっきりしているのに、どうしてもその目標に手が届かない……試させてももらえない。寂しいわ」

 「じゃあ、あたしが誰か偉い人の花嫁になるのを、どうか祈ってて、レイカ」

 ニーナは真面目な顔で熱心に述べた。

 「……どうして?」

 「もちろん、あたしが夫になった人に頼んで、レイカを軍にねじ込んでもらうのよっ。いわゆる、ツテっていうの?」

 ニコニコとそんなことを言われ、レイカは思わず微笑した。

 別に本気にしたわけではなく、友人の気持ちが嬉しかったのだ。

 そんな話をした数時間後、ニーナもおしゃべりに飽きて自室へ引き上げ、レイカもまた、明日に備えて眠っていた。

 メイドとはいえ、レイカとニーナの役目は八割くらいは城内清掃なのである。

 たかが掃除、されど掃除で、一日中働くとなると、これはこれで体力を使うのだ。

 だから、睡眠時間の確保は当然だが……あいにく今宵は、とんでもない時間に目覚めたらしい。レイカは大抵の場合、一度寝付くと朝まで目覚めないので、これはとても珍しいことだった。

 (なに? 今、なにか声がした!?)

 上半身を起こして耳を済ませると、今度こそ間違いなかった。

 隣室から、ニーナの悲鳴が聞こえた。それも、かなり悲痛な声で。

 「ニーナ!」

 一声叫び、今度こそレイカは跳ね起き、夜着の上にガウンを引っかけたのみで、部屋を飛び出した。

 なぜか隣室には鍵がかかっていなかったが、レイカが飛び込んだ瞬間、どういう事情かはっきりわかった。

 ベッドの上で、金髪を振り乱したニーナが泣きながら叫んでいる。

 「いや、いやあっ」

 「うるせー、貴様っ。俺がやってやるっていうんだから──」

 そこで、物音に気付いて振り向いた男は、レイカを見て眉をひそめた。

 「なんだ、おまえ?」

 「レイカっ」

 男のめんどくさそうな声と、ニーナのほっとした声が同時だった。

 「その子の友人で、同じメイド仲間です」

 相手の脱ぎかけたスーツを見て、一応レイカは敬語を使ってやった。

 家紋を施した縫い取りが、腕にあるのを見たからだ。家名など覚えてないが、どこかの貴族だったはず。

 「すっこんでろ、メイド」

 レイカとそう変わらない歳に見えるそいつは、うるさそうに手を振った。

 ただし、レイカを見るその目は好色そうに輝いている。

 「それとも……おまえが先に俺に抱かれたいか?」

 「誰がっ」

 我慢できずに怒鳴ってしまった。

 「だいたい、ニーナだって嫌がってるじゃないですか! 離れてくださいっ」

 「俺の家を知らんのか、メイド!」

 男は馬鹿にしたように顎を上げる。

 「こっちからわざわざ相手をしてやりに来たんだぞ? 感謝してもらってもいいくらいだ」

 「そんな時代は、もう終わりましたよ。魔王陛下の布告を知らないんですかっ」

 レイカは心ならずも、初めて涼を「魔王陛下」と呼んだが、その指摘は、さすがの彼にも多少は響いたらしい。

 盛大に顔をしかめたが、結局床にベッと唾を吐いて言い放った。

 「ああっ」

 床を見てニーナが哀しそうに声を上げたが、見向きもしないし、掴んだ腕も放さない。

 「新参の他種族魔王が、どうしたって!? 俺の名を聞けば、お偉い陛下だって、きっと折れるさ。そういうわけで、おまえも一緒に抱いてやるっ。さあ、こっちへ──」

 なにを勘違いしたのか、男は厚かましくもレイカにも手を伸ばしてきた。

 もちろんレイカは、大人しく胸に引き寄せられるような少女ではない。即座に腕をねじり上げ、「恥知らずの殿方ですねっ」と叫ぶや否や、足払いをかけてその場に蹴倒してやった。

 「うおっ」

 男はしたたかに背中を打って呻いたが、執念深くまだニーナの腕を掴んでいたので、「きゃんっ」と小さく悲鳴を上げて、ニーナまでころんとベッドから転がり落ちた。

 まあ、こっちはお尻を少し打っただけだが。

 「ご、ごめんねっ」

 早速、男の手を無情に踏ん付けて腕を外させ、友人を引き起こす。

 「ん〜ん……いいの。ありがとう、レイカ」

 夜着の袖で涙を拭き、ニーナがにこっと笑う。

 「どういたしまして」

 未だに痛がってゴロゴロ床を転がっている男を見て、レイカは小さく呟く。

 それにしても、なんという大げさな男だろうか。

 手加減したのだし、せいぜいちょっと背中を打っただけではないか?

 しかし、困惑したのはこの後のことである。

 騒ぎを聞きつけたのか、メイド頭のリッカーが、警備兵を連れて駆けつけてきたのだ。

 「何事ですかっ」

 入るなり、一喝する。

 「この宿舎は、城の敷地内にあるんですよっ。ここでこんな騒ぎは──」

 「おい、メイド頭と警備兵っ」

 途中で、涙目の男が割り込んだ。

 「俺は、スタイン家のザーグだ! すぐに家の者を呼べっ。それと、こいつらを拘束しろっ」

 レイカ達をびしっと指差す。

 「なにを寝言をっ。押しかけてきたのは、そっちじゃないですかっ」

 「す、スタイン家ですって」

 レイカの抗議そっちのけで、リッカーが大仰に呻く。

 「貴女達、この方にご無礼があったの!?」

 「は、はあっ!?」

 あまりにも一方的な言い方に、レイカは呆れるより先に情けなくなった。

 このおばさんメイド頭……なに考えてんのかしら。

 しかし、なぜかレイカとニーナの訴えには誰も耳を貸さず、警備兵達はむしろリッカーとザーグとかいう馬鹿の指示通り、こちらを拘束しようとした。

 現金なことに、警備兵やリッカーが自分の味方だと知ると、いきなりザーグは床から復活を遂げ、「ふははっ、思い知ったか、馬鹿な女共っ」と喚いたばかりか、「処刑の時には、二人共まず裸にひんむいて、俺が犯してやる。その後は、使用人達にくれてやり、散々辱めてから殺してやるからなあっ」とまでヒステリックに叫んだ。

 完全に狂気の目つきであり、本気であることは疑い得ない。

 おまけに、リッカーや警備兵達は沈黙したままなのだ。

 ニーナは震え上がるし、レイカはもちろん責任を感じている。

 一人だけなら暴れて死ぬのもいいが、ニーナまで巻き込めない。今更ながらに自分の浅はかな行動を悔やんだその時、再度の転機が訪れた。

 「……ここにいる者達は、どうやらそこのメイド達を除き、俺の布告を完全に無視したいらしいな」

 静かな──しかし、やたらと胸に刺さる重厚な声がして、皆が一斉にドアの方を見る。

 そこには、背後にユリアを従えた、新たな魔王……の少年が立っていた。

 彼はずかずかと部屋に入り、警備兵達を傲然と無視してザーグの前に立つ。

 「貴様が最後に喚いていたセリフで、もうだいたいの事情はわかったも同然だが。メイド達に乱暴を働こうとした言い訳があれば、一応、聞くだけは聞いてやろう」

 体格はザーグの方が勝るが、涼は落ち着き払っていた。

 「な、なんだ貴様は。俺が誰だか知らんのか! 急にしゃしゃりでてきおっ──でええっ」

 ザーグの語尾が悲鳴に変化したのは、皆まで聞かずに、涼がいきなり蹴飛ばしたからだ。それも、レイカが足払いで倒した時の比ではなく、部屋が振動するほどの派手な音を立て、ザーグは壁に叩きつけられた。

 そのままゆっくりと顔面から床に倒れ込み、ぴくぴく痙攣していた。

 鼻血が静かに広がっていき、もはや当分、起き上がる気遣いはなかった。レイカとしては、溜飲が下がる思いである。

 正直、新たな魔王をかなり見直した!

 「おまえなんか知るか、馬鹿」

 涼が今頃、言い返す。

 その後、思いだしたように周囲を見た。

 「アレだよ……魔王に対する礼儀を欠いていると思ったんだ」

 なぜか、独白気味に説明してくれた。

 「不敬を見過ごすと、立場もなにもあったものではないしな、うん」

 くすっとユリアが笑ったのが、印象的だった。

 「その実、蹴りたいから蹴ってしまった、というのが正解ではありませんか?」

 むしろ、そうであってほしそうに尋ねる。

 「かもしれない」

 大真面目に涼が頷く。

 「しかし、公式には今のが正式な理由だ。魔王であろうと、やはり蹴りたいから蹴飛ばしたというのは、ちょっとな。感心できないよな」

 今度はニーナが「きゃはっ」と妙な声を上げた。

 なぜかウケたらしい。

 すぐに涼がニーナの方を見たが、特に叱責はせず、むしろにこっと微笑んだ。

 「さて、これで蹴飛ばした件はおしまいとして、警備兵達とメイド頭……それに、被害者に見えるそこのレイカとニーナから、事情を聞こうかな」

 涼が──いや、魔王がささっと話を変えた。

 ただ、レイカには静かな口調に聞こえたが、その実、付け加えた言葉には、非常にドスが利いていたように思う。

 「……最初に言っておくが、虚偽の説明をしたヤツは、俺がまた蹴飛ばしたくなるかもしれないから、そのつもりでいるように」

 じろっと、主に警備兵達とリッカーを睨むと、呆然としていた彼らが、慌てて何度も頷いた。