魔王の後継者2(6)

 レイカとニーナは数日後には元のメイド職に戻っていたが、大きな変化があった。

 メイド頭だったリッカーが解任され、彼女とは比べものにならないほど、穏やかな女性が後任についたのだ。

 仕事には真面目に臨むが、リッカーにあった尊大な部分や、過剰に厳しい部分が皆無である。

 レイカとニーナにとっては、望外のことだったが……なぜかそのさらに翌日には、二人は魔王の名の下に、謁見の間に呼び出された。

 レイカは今更処断されるのかと警戒したが、ニーナは脳天気にも、「あの方はそんなことしないよぉ。きっとご褒美をくれるんだよ」などと言う。

 そんな馬鹿なとレイカなどは思うが、広大な謁見の間に入ると、なぜかそこにいたのは涼のみだった。

 しかも、スーツの上着だけ脱いでいて、右手に刀、左手に長剣を持っている。

 「来たな! 拝礼はいいから、そばに来てくれ」

 レイカ達を呼び寄せると、涼はまず、レイカに剣を手渡した。

 「な、なんでしょうか」

 「おまえの腕を見てみたい」

 「う、腕、でございますか?」

 「ああ。もちろん、メイドの腕じゃない」

 当然のような顔で頷く。

 「おまえが、相当な実力者であることは、波動からも感じているし、掌を見れば、日頃から修練も怠っていないのもわかる」

 涼は、さらに驚くべきことを述べた。

 「これは、俺が最後の決断をするためのテストだと思ってくれ」

 「決断と言われますと?」

 「それは、テストの後で話す。まずは、一勝負だ。……もちろん俺は手加減するが、おまえは殺す気でかかってきていい」

 思わずむっとしかけたレイカだが、慌てて首を振った。

 たとえ相手が、人間の少年だろうと、彼はあのグレイオスを玉座から追い払った、剛の者なのだ。実際、レイカも涼から不思議な圧力のようなものを感じている。

 波動というのは初耳だが、涼が言うのは、おそらくそのことだろう。

 「お受けしなよ、レイカっ」

 ニーナが満面の笑みでレイカの肩を揺すった。

 「さっき言った通り、きっとよいお話よ」

 そばで聞いている涼が、思わず苦笑するほど、内心の思いを隠さなかった。

 「まあ、悪い話ではないと自負している」

 涼の言葉に、ようやくレイカも決心した。

 ……現魔王が相手というのは、考えてみればこれ以上はない試合相手だろう。

 ようやく、本当にようやく、自分の力を見せる時が来たのだ。それも、これ以上は望めない相手に!

 「わかりましたっ。本当に本気でかかっていいのですね?」

 「魔王相手に手加減してどうすんだ?」

 「確かに! では、参りますっ」

 一礼した後、レイカは剣、涼は刀を構えた。

 抜刀すると、刀身がくまなく魔法のオーラで覆われていく、魔剣である。もしかすると、あれが魔王が勇者から奪ったという、聖刀ブレイブハートかもしれない。

 「いつでもいいぞ、レイカ」

 涼が嘘のように静かな口調で述べ、レイカは息を吸い込んだ。

 一度だけ、遥かに高い天井を見上げ、きっと唇を引き結ぶ。

 (お母さん、見ていてっ)

 「──いきますっ。はあああああっ!」

 裂帛の気合いと共に踏み込む。

 一瞬で間合いを詰め、一呼吸の間に涼の頭上に剣を振り上げる。見ていたニーナが目を丸くするほどのスピードとタイミングだった。

 だが──鮮やかな剣撃は、涼の右腕が霞んだかと思うと、あっさり魔剣で受けられた。しかも、受けられただけではなく、レイカの手が痺れるようなスピードと重さがあった。

 (防御のために、魔剣を持ち上げたんじゃないわっ。即、攻撃に転じる気ね!)

 「くっ」

 「……まだ遠慮しているな?」

 疾風を思わせる踏み込みと、そしてレイカのがら空きの胴に叩き込まれた剣撃の割に、口調はごく静かだった。

 (わたしじゃ、敵にならないっていうのっ!?)

 驚愕の思いと、そしてやりきれない怒りの両方に動かされ、レイカは大きく飛び退き、一旦間合いを開けようとする。

 とにかく、胴を輪切りにされる前に、避けた──つもりだった。

 しかし、それは単なる幻想に過ぎなかった。

 豪快に空振りしたはずの涼は、無駄な動きを最小限に留め、呆れたことにレイカが飛び退いたのと遜色ないタイミングで、同時に床を蹴ったのだ。

 まだ攻撃動作の途中だったのに、レイカに追従してみせたのである。

 「う、嘘よっ」

 「おまえの負けだ!」

 涼は、驚愕のあまり叫ぶレイカの直上にあり、これもレイカとほぼ同時に声を張り上げていた。

 次の瞬間、レイカが必死で持ち上げた剣に、涼の剣撃が激突し、その勢いでレイカは謁見の間の床に叩きつけられた。

 亡母から受け身を教わっていなかったら、重傷を負っていたかもしれない。

 ……どのみち、涼が舞い降りた直後には、レイカは気絶していた。

 目が覚めた時は自分の部屋で、ベッドの隣でニーナが覗き込んでいた。

 「わ、わたしっ」

 「起きない方がいいわよ、まだ」

 起き上がろうとしたレイカを、ニーナが慌てて押し留める。

 「陛下がね、今はゆっくり休ませてやれって。これからが大変だからって」

 「これから!? だってわたし、陛下に全然歯が立たなかったのに!?」

 レイカが驚いて口にすると、ニーナは呆れたように首を傾げた。

 「そもそも、誰も勝てないから、陛下は玉座にいるんじゃない? ユリア様みたいに底知れぬ人もいるけど、基本的に魔王陛下は魔界最強でしょう? そうじゃないと玉座に着けないんだから」

 「そ、それはそうだけど……それで、陛下はなんて?」

 「席次七番目のセブンウォールとして、当面、見習いのつもりでいろって」

 しれっと言われて、レイカは大きく息を吸い込んだ。

 「せ、セブンウォールっ。そんなテストだったの、あれ!?」

 「そうみたいよ」

 ニーナはあっさり告げたあと、破顔した。

 「あたしもねぇ、実はご褒美もらっちゃって。百騎士以上しか入れないサロンの世話係になったのよ。レイカとも距離は近いままだし、偉い人がたくさん来るし、花婿さん探さなきゃ」

 嬉しそうな友人の声に「よ、よかったわね」と反応はしたものの、レイカはまだ上の空だった。セブンウォール……席次七番目で、まだ見習い待遇とはいえ……それは、レイカが到底叶わない望みとして、想像すらしなかった地位である。

 士官どころの騒ぎではない。

 「他に……陛下はなんと?」

 重ねて尋ねる声が、思わず掠れた。

 「他に? そうねぇ」

 思い出すように眉をひそめつつ、なぜかニーナは優しい目でレイカを見つめた。

 「そう言えば、あのお方は、レイカを抱き上げて運ぶ時にこう言ってたよ。『レイカの剣技の才能は、もう疑いようがない。あとは、セブンウォールに恥じない将帥として、戦略面を学ぶだけだろう』って。どうやら魔王陛下は、出会った最初からレイカを認めていたみたい。あたしも鼻が高いわー」

 「わたしを……認めていた」

 その瞬間、なぜかレイカの身体は震えた。

 亡母以外に、誰がいただろうか……これほどまでに、自分を認めてくれた人は。

 この瞬間、レイカの現魔王への評価は、沸点に達したと言っていい。

 彼女は生まれて初めてといってもいい、大声で叫びたいような、あるいは身も世もなく泣き出したいような、不思議な衝動にかられていた。

 「わたしは……自分の道をようやく見つけたかもしれないわ」

 ひっそりと呟いた時、既に心は決まっていた。

 ……自分をここまで認めてくれたあのお方のために、残りの人生を捧げようと。

 心から仕える気になるお方に巡り会ったのだから、一片の迷いもない。

 特に哀しくもないのに、なぜか涙が溢れていたが、レイカはそれにすら気付かず、微笑んでいた。

 これから、本当のわたしの人生が始まるのだ……あのお方と共に。