Walhalla《ワルハラ》第一章(1)

-e戦場の戦争芸術-《イーセンジョウノアートオブウォー》

第一章

 みどりの草原が果てなく広がるクラムツェルの平原。そこは電子的に作られた仮想空間──グラントラ社製・全感覚没入体験型作戦級戦術シミュレーションゲーム【Walhalla】──の戦場の一つである。

 見渡す限り、膝まであるような雑草がびっしりと生い茂った大地が広がっている。山もなければ谷もなく、隆起もそれほど高くないから、青空から吹き下ろす風に牧草が靡く様子はあたかも波のようで、この景色が緑の大海原に見えることもある。

 こんな場所が現実にあるならば、白い羊の群れが草を食んで羊飼いの少年と飼い犬がその傍らで昼寝しているというのどかな光景こそが似合うだろう。

 けれどこの大地は、列をなす兵士達が軍靴で踏みしめるためにある。

 馬の群れが、蹄で泥を蹴散らしながら駆け抜けていくためにある。

 仮初めの命を与えられた彼らが、流す血を受けるためにある。

 「八咫烏様、敵が動き出しました!」

 黄金の馬アハルテケに跨がり白い革鎧で身を包んだ副官コレット・S05・リューは、エルフ族特有の笹穂耳をピンと立てて叫んだ。

 尖った耳が天を向いているのは、この小柄な美女が少なからずも動揺していることを示している。

 「君が言ってるのはどの敵だい? 俺達の前にいるのは敵ばっかりだ。しかもその半分以上が既に激しく動いている」

 けれどユーザーネーム八咫烏一二三こと谷田契斗は動じない。銀糸の刺繍が入った黒の革鎧をまとい、漆黒の軍馬スレイプニルに跨がると、黒貂の毛皮を襟につけた黒いケープを風に靡かせながら前方をじっと見据えていた。契斗が問いかけるように、今クラムツェル平原には彼我(敵、味方)合わせて約十万の軍勢がいる。

 互いに三万の歩兵を正面幅約三キロ、縦深十五行の市松模様型横陣形に並べて、その左右両翼にそれぞれ七千の騎兵部隊をおいて脇の固めとし、さらに予備戦力を五千、後方への備えも兼ねて本営の背後に控えさせている。

 全くの同数・同陣形で、鏡に映したように向かい合い、中央に位置する歩兵隊が激しい死闘を繰り広げているのだ。

 契斗とコレットはその右(南)翼騎馬兵部隊が作る隊列の中にいた。そして味方の柔らかな脇腹を守る位置に陣取って出撃の合図を今か今かと待っている。

 こんな状況で敵と言ったら、前方に見える方形の楯を構えた鉄鈍色の肌を持つレムス族重装剣兵、あるいは笹穂耳を持つエルフ族長弓兵、馬に跨がるスキュティ騎兵等々の亜人種五万人全てが当てはまってしまう。従って報告としては不適切である。不合格と契斗は告げた。

 「あ、す、すみません!」

 「いいんだよ。気にしないで、さあやり直してご覧コレット」

 あわてんぼという裏設定を持つコレットは、契斗の冷静な指摘に赤面した。そして波立った心身を整えるように「こほん」と咳払いすると前方に向けて手を差し伸べた。

 「警報いたします! わたくし達の正面約四百メートル、『宝箱の台』やや右に位置する七千騎の内の敵将マセナ率いるスキュティ軽騎兵約二千が動き出しました」

 契斗は人間の姿がどうにか見える程度に離れた、十メートルほど隆起した丘に視線を向ける。

 すると、そこに並んでいた土気色の肌を持つ亜人種族スキュティの軽装騎兵隊が前進を始めていた。

 「ああ、あれね。……大丈夫、心配ないよ。あれはこっちに来ないから」

 契斗は、自信たっぷりに断言した。

 「本当ですか? 本当にここに来ないんですか?」

 「コレットは心配性だなあ。こういう時の俺の勘があたるのは君も知ってるだろ?」

 すると契斗が言ったように『宝箱の台』を降りた敵騎馬集団は契斗達から見て右手の方角、戦場の南外方へと走り去ってしまった。

 「ほら、よそに行っちゃったでしょ?」

 「本当に行っちゃいましたね。いつもながら八咫烏様のおっしゃる通りです」

 コレットは契斗を頼もしそうに見つめ、そして続けた。

 「でも、そうすると敵マセナ隊はいったいどこで、何をしようとしてるんでしょうか?」

 「多分、陽動? って言う奴だろうね。だから、ほうっておいても良いよ」

 「陽動……ですか? けど、こちらの側背部に回り込まれてしまうのなら、ほうっておいてはダメなような気がするんですけど」

 「大丈夫。あの程度の数なら後衛でも処理できるから」

 契斗はまたしても断言した。

 しかし彼の属するヒルドル・クランのマスター、XxガンツェルxX(ユーザーネーム)は、契斗のようには考えなかったようだ。本営軍楽隊のラッパが高らかに吹き鳴らされ、右(南)翼騎兵部隊の泥鬼族兵達が一斉にサンドスタットに騎乗した。

 サンドスタットはダチョウに似た鳥を始祖とし、馬と同等の速度で大地を疾走することが可能な生き物という設定だ。持久力に優れて長距離機動を得意とする。欠点は二足歩行する動物だけに、馬ほどの重装備をさせられないこと。そして重さがないので敵と激突した際の衝撃力に欠けること等だろうか。

 「あれは?」

 「クランマスターからのクベりん様に対するご命令です。マセナ隊の迂回を阻止せよというものです」

 ユーザーネーム──クベりん。もちろん契斗と同じくヒルドル・クランに属するプレイヤーの一人だ。

 黒と赤からなる鎧で身を固めた彼女は、契斗と同じく騎兵のみで構成された傭兵団を率いている。彼女は三千の泥鬼兵の先頭に立って敵騎兵隊を追っていった。

 紅い髪を靡かせたクベりんが征く。それを見送った瞬間、契斗は彼女と視線が合ったのを感じる。そして頬を不満そうに膨らませた。

 「ガンツェルの奴、あれが見せかけの動きだってどうしてわからないんだろ? クベりんもクベりんだ。命令だからって闇雲に従う必要なんてないのに。コレット、手間かけて悪いけど本営に伝令を。伝令内容は『敵のアレは陽動だ。ひっかかるな!』だ」

 「復唱します。『敵のアレは陽動だ。ひっかかるな!』ですね?」

 すると伝令兵が本営から飛び出していった。それらの仕事を終えたコレットは、不思議そうな表情をして契斗に問いかけた。

 「八咫烏様は、あれが陽動だとどうしておわかりになるのですか?」

 「あんな見え見えな動き、陽動しかないからだよ。コレットにもわかるでしょ?」

 するとコレットは悲しげな表情をして静かにかぶりを振った。

 「いいえ。わかりません」

 「そっか……」

 契斗も寂しそうに呟く。それはまるで自分が独りぼっちだということを思い知ったような表情だった。

 するとコレットが契斗にアハルテケを寄せる。

 「申し訳ありません。けれどわたくしが八咫烏様を理解できないのは、八咫烏様のせいではありません。この【Walhalla】における副官NPCの役割はユーザー様から要求された各種の情報を提示し、ご指示を頂いたらそれを麾下(配下)の兵にお伝えすること。つまりゲームのコントロールパネルなのです。これによってユーザー様は何もない空間に浮かび上がる情報ウィンドウという古代ファンタジー世界にあり得ないものを見ずに済ませられます。しかしながらそれ故に、ユーザーのお心をくみ取れるほどの演算容量はデフォルトでは割り当てられていないのです」

 「そうだったね、忘れてた」

 「八咫烏様に思うところがおありでしたら率直に話して頂けると幸いです。わたくしに、気がつくことを求められても──現状のままでは不可能なのです」

 「けど、コレットってNPCって言う割には、ホント人間くさい反応するよね。慌てたり、驚いたり、からかえば怒るし……こうして触ると柔らかい」

 契斗は轡を並べるコレットに手を伸ばすと彼女の頬をつまんでフニッと伸ばした。

 「だから、時々君が人間なんじゃないかって錯覚してしまうんだ」

 するとコレットは微苦笑しつつ契斗の手に触れる。手を引き離そうとするでもなく抵抗するでもなく、ただ包み持ったのだ。そして落ち着いた口調で語る。

 「それは仮想人格があるからです。このゲームに登場する全てのNPCは兵卒から部隊長に至るまで、全て仮想人格が設定され、それが与えられた演算容量の範囲でキャラクターを演じます。それがこの作戦級戦術シミュレーションゲーム【Walhalla】のセールスポイント、リアル感の源泉なのです」

 契斗はコレットの頬から手を離すと自分の手をまじまじと見た。

 そこにあったのは精巧ではあるがポリゴンで作られた借り物の手である。そしてそれはコレットの身体だって同じはずであった。しかし伝わってきたのはコレットの頬の柔らかさ、肌のなめらかさ、手の温もりだった。まさに生きた人間そのものである。

 さらに凄いのが目の前にいるエルフ美女の物問うような表情だ。感情の揺らめきを感じさせるように絶えず変化している。

 そして投げ返してくる言葉だ。こちらの働きかけに対するバリエーション豊かな反応は、人間と比べて全く遜色がなく知性が感じられる。

 まっすぐ見据えてくる瞳の輝きからは、意思の存在がはっきりと感じられた。

 「仮想人格か、本当に良くできているよね。時々、どこかの人間のスタッフが君のアバターを操ってるんじゃないかなって思う時がある。もしそうならオフで会ってみたいな。ねぇ、コレットの中にいる君、直接会ってみない?」

 「中の人なんていません」

 コレットはきっぱり言った。

 「お約束通りの回答ありがとう」

 「そもそも直接会って、どうなさるおつもりですか?」

 「そりゃあ話をしたりとか、いろいろ。わかるだろ?」

 「わたくしの演算容量では、そのいろいろを推測することはいたしかねます」

 コレットはしれっとした表情で首を傾げる。その様子があたかもとぼけているようだったから、契斗はおいおい本当にわからないのかと問いたくなってしまった。

 するとコレットが、いたずらっぽく微笑んで返してくる。

 「そもそも、もし仮にアバターを操る中の人がいるとして、それが男性や八咫烏様が求めてらっしゃる以上に年上な女性だったらどうなさるおつもりなんですか?」

 「しまった、それは考えていなかったよ……もしかして君、男なの?」

 「いいえ、違います。先ほど申し上げたようにわたくしは量子コンピューター【柊】上で稼働している人工知能プログラム【仮想人格】です。なので本来の意味での性別はありません。コレット・S05・リューに設定されたステータスはFemale。しかしながらそれはパーソナリティの傾向や嗜好性、アバターの種別を意味するだけなのです」

 「で、年齢は?」

 「今年で百八十二歳になります」

 「ひ、……ひゃく?  そんな年上なのかよっ!?」

 「八咫烏様。わたくしはエルフですよ。その設定をお忘れですか?」

 「あっ……そうだった」

 コレットが笹穂耳をぴくぴくと震わせながらクスリと笑い、契斗は思い出したように自分の頭を掌でぺしゃりと叩いた。

 ファンタジー世界でお馴染みのエルフという種族は、長寿命である。そのため若々しい容姿ながらも驚くような年齢であるのが当然とされている。

 「しかし、人間としか思えないという評価を頂けているのは嬉しいです。プロデューサーやシステムエンジニア達も大いに喜ぶでしょう。彼らは、わたくし達人工知能の能力向上に情熱を注いで参りましたので。わたくしもそれに応え人間を超えようと努力して参りました。それが認められるのはとても嬉しいことなのです」

 「そうなんだ」

 「はい。それらのご感想は是非ともグラントラ社【Walhalla】のカスタマーレビューにご記入下さいね」

 コレットはそう言うと、人工知能とはとても思えない満面の笑みを浮かべたのだった。