Walhalla《ワルハラ》第一章(6)

-e戦場の戦争芸術-《イーセンジョウノアートオブウォー》

 ブリュンヒルト・クラン軍に完全包囲されたヒルドル・クラン軍の兵士達は混乱の極みにあった。

 兵士達から見れば前に味方の背中、後ろを見ても味方、右も左も味方が渋滞していて、行くことも退くこともできない。そんな中で四方八方から剣戟の音と兵士達の喊声と悲鳴が渦巻き、それがじわじわと近づいてくる。これで冷静になれという方が無理難題と言えよう。

 そしてそんな被包囲の中心に立つヒルドル・クランのマスター、XxガンツェルxXもまた混乱し、精神的な弱さを剥き出しにしていた。様々な感情の嵐にとりこまれ、理性的な判断力を大きく低下させていたのである。

 「ハ、ハウメア! 何とかしろ! 何とかしてくれ!」

 こみ上げてくる苛立ちで副官NPCの肩を揺さぶる。

 「統率のとれた味方に、混乱を収拾して頂かない限り無理です!」

 叫ぶハウメアの表情は、甘美な打擲への期待とは全く異なる感情で大きくゆがんでいた。

 「その統率のとれた味方というのはどこだ?」

 「ステータスが混乱状態にあるため、わかりません!」

 「誰か手近なクラメンと連絡をとるんだ」

 「ステータスが混乱状態にあるため、伝令を送り出すことも不可能です!」

 「だったら何ができるって言うんだ!?」

 「何もできません!」

 混乱は伝播する。混乱は他の部隊を混乱させ、他の部隊の混乱が自分の部隊を混乱させる。そのためガンツェルの本営は混乱から立ち直ることができないのだ。

 「くそ、役立たずが!」

 「きゃ!」

 ガンツェルはハウメアを突き飛ばしてしまう。ハウメアは小さく悲鳴を上げて尻餅をついたが、すぐに立ち上がって主へと正対した。

 「俺は、誰かが助けに来るまでこうして黙って待っているしかないって言うのか!? クベりんは、あの女はまだ戻らないのか!? どうなんだ!?」

 「わかりません! ほんとうにわからないんです!」

 こうしてヒルドル・クランの本営は機能停止を続けていた。だがそれでもブリュンヒルト軍の猛攻を前に、あっけなく無抵抗に倒されてしまうまでには至っていなかった。

 包囲されてどこにも逃げ道がない時、人間は必死に戦うものだからだ。

 戦うか死か、それしか道がないのだから必死で剣を振るう。怖じ気づいたって後ろに逃げ道はない。腕を怪我しても、足が痛くても敵に向かって剣を振りかざすしかないのだ。

 そしてNPCに装備されている仮想人格もまた、人間が持つその必死さを真似てそれぞれに粘り強い抵抗を示す。だからこそ包囲の輪に閉じ込められても、戦いの勢いがどちらかに一気に傾くということは起きないのだ。戦いは今や将帥の力量ではなく、兵士一人一人の必死さによって支えられていた。

 「逃げ道が開いたぞ!」

 「八咫烏隊が救援に来てくれた!」

 ところが一度逃げ道が開くと、今度は助かりたい一心で頭がいっぱいになるのが人間だ。そのため兵士達は戦いを放棄して自分だけは助かろうと一斉に走り出した。

 契斗の切り開いた脱出口は、ヒルドル・クラン将兵にとっては救いの道であったが、同時に味方を全面潰走へと誘う死出の門にもなったのである。

 これを全軍崩壊へと結びつけないためには、優秀な指揮官による強力な統率が必要となる。しかしガンツェルは指揮統率を回復できないでいる。ただ黙って状況の推移を見守るしかない。

 「くそ、このままだとモヒの戦いを再演することになってしまう」

 ガンツェルは戦史の中から自分達の置かれた状況に類似した例を思い浮かべた。

 西暦一二四一年、東欧へと侵入したモンゴル軍とこれを迎撃したハンガリー軍との戦いが、これと似た形で展開した。モンゴル軍に包囲されたハンガリー軍は、モンゴル軍が意図して開いた逃げ道に我先にと殺到した。突然開いた脱出口に向かって味方を押しのけても助かろうと進み、さらなる混乱を引き起こして敵の攻撃に対して秩序立った抵抗も有効な反撃もできないまま大鎌で刈り取られる麦穂のごとく一方的に薙ぎ倒されていったのだ。

 士気喪失、全面崩壊。

 ブリュンヒルト軍の一方的な攻撃によって、クラムツェル平原もまた人馬の死体で埋め尽くされようとしている。

 「このままではクランが全滅してしまう。俺のクランが、作戦が……くそおお、どうしてくれるんだ、ちくしょうめ!」

 ガンツェルはハウメアにすがりついた。わかっていても何もできない無力感に、怨嗟の呻り声をハウメアの胸の中でくぐもらせたのである。

 彼の副官NPCハウメアは、その小柄な身体で主の巨体を懸命に支えていた。

 そして自分にすがる主を混乱の目差しでじっと見つめていた。何が起こったのか、何をすべきか全く理解不能という様子だった。だが、時間が経過して彼女の動転が鎮まっていくと、彼女の主へと注がれる瞳の色は次第に愛おしげなものへと変わっていったのである。