異世界に再召喚された勇者の隠密できないアサシン無双 第一章(2)

 その後、俺は次の試練のために森の奥へと進んでいた。傍にはサイフォンがいて、一緒に森の奥へと探索している。

 今回の目的は、森で迷子になった子ども捜しだ。

 隠密者らしく振る舞うことはもちろんのこと、マスルールから課せられたのはチームプレイで、見知らぬ者と組んでも目的のために協力する姿勢を見たい。それが試練の条件だった。

 「……それはそうと、なにゆえ貴様がいる?」

 サイフォンが俺の後ろに話しかける。

 「べ、別にいいじゃない、迷惑をかけているわけでもないよね?」

 ファナだ。ローブを深く被り顔を隠している。

 「自分で言うな。大体、貴様、どちらかというと試練を判定する側だろう」

 「ふーん、ボクみたいなのが近くにいると、やりにくいのかな?」

 彼女は挑発するような視線をサイフォンに向けている。

 「そういうわけではないが……」

 そんな彼女は、もうサイフォンの言葉を聞いていないようだ。どうしてだか、俺の方を見つめている。

 「まだ落ち込んでいるのかな?」

 急に話しかけられて「え?」と困惑したが、彼女はそのまま言葉を続ける。

 「ほら、さっき我が師から隠密者に向いていないって言われたから。落ち込んでいるように見えたんだけど。違うのかな?」

 俺は「べ、別にそういうわけでは!」と誤魔化したが、本当はファナに「諦めない」って啖呵を切ったくせに落ち込んでいた。だけど素直にそれを口にするわけにはいかない。彼女は試験官みたいな存在だから強がるしかない。

 しかし、すぐに誤魔化しだとわかってしまったらしく、サイフォンは深くため息をつく。

 「……家に帰ったら、どうだ? 申し訳ないが、マスルール殿の言うように、貴様は隠密行動が必要とされる暗殺者には向いていない。もちろん隠密者としてもだ」

 「いやいや、まだわからない」

 そうムキになって答えたが、言葉に力がないのは自分でもわかった。

 「それに……俺には帰る家がない」

 そう答えてしまい空気が重たくなり、失言に気付いた俺は慌てて首を横に振った。

 「いやいやいや、そういう意味じゃなくてだな!」

 この世界の住人でないため、元の世界に帰る手段がないことを言ったのだが、サイフォンは俺の言い訳を別の意味に受け取ったらしく、哀れむような眼差しを向けてきた。

 「わけありか。……だが、暗殺者として経験ある者は、皆そんなものだ。なにも貴様一人だけが特別というわけではない」

 「い、いや、まあ、そうだけど」

 そもそも俺には、暗殺者としての経験自体がないのだけど。

 「帰る家がないから、帰る家を作りたいのかな? そのために頑張っているだけ?」

 ファナが口を挟んでくる。

 それにしても、なんでこの子は、こんなに俺の事情に首を突っ込んでくるんだ。

 「いやいや、頑張るも頑張らないも、単に試練に挑戦しているだけだってば。まだ俺は不合格になったわけじゃないだろ。全部の試練が終わったわけじゃないんだし」

 「でも、もう不合格も同然だよね。我が師にあそこまで言われちゃったんだから」

 はっきり言われて言葉に詰まる。

 どうして、この子はこんなに同じことを蒸し返してくるんだ。もう勘弁してほしい。

 狼狽する俺にサイフォンが低い声で尋ねてくる。

 「おい、こちらの話も聞け。それよりも、重要なことを確認させろ。……あの湖を蒸発させたのは貴様の力なのか? マスルール様が貴様に確認していたのを遠くから見ていた。だが……信じられん」

 答えないでいるとサイフォンが、むっとしながら言葉を続けた。

 「もし、そうなら俺は貴様に対する認識を変えなければならない。早く答えろ」

 「いやいや、答えたくないっていうか、こっちにも事情があってだな! 違うって言えばいいのか……?」

 「違うのか?」

 「う、うん」

 そう言ってからファナを見ると怪訝そうな顔をしている。あれは「なぜ隠そうとするのか、わからないなぁ」みたいな表情だ。頼むから下手なことは言わないでほしい。

 慌てふためいているとサイフォンが冷たい目を向けて言う。

 「そうか、違うのか……」

 そこで彼は、素早く鞘から抜きだしたサーベルを俺へと振り下ろした。慌てて俺は籠手でそれを防ぐ。

 「急に何をするんだ!」

 「……なるほど、武力という意味では、実力があるということか」

 そこで彼はサーベルをすぐに鞘に戻す。そして柔和な表情で問いかけてきたが、さっきまで俺に向けられていた刺々しい空気がなくなっている。一体どうしたのだろう。

 彼はどこか落ち着いた声で問いかけてきた。

 「今一度確認させろ。貴様、暗殺者としての実績はあるのか?」

 「実はないけど」

 「なるほど、どうりで私の攻撃を防いだ動きが馬鹿正直なわけか……いずれにせよ実力はあるのだろうが、経験のない貴様には、やはり隠密者は向いているとは思えぬ」

 「そのくらい、俺にもわかっている。だけど諦めたくないんだ」

 「なにゆえ、そこまで……? 言っておくが、マスルール様は隠密者という言葉を用いているが、必要とされる技量は暗殺者のものそのものだ」

 「それはわかっている。でもそれだと、おかしいだろ。だって今回の試練は森で迷子になっている子ども捜しだぞ。暗殺者の技能とは関係ないだろ!」

 そう俺が言うと彼はふむと呻いてから答えた。

 「そんなこともわからないとはな。……マスルール様の話から推察すると、あの方が目指すのは技能は同じでも暗殺者とは正反対──人を殺すのではなく人を生かすための存在だ。つまり暗殺者でありながら人を救いたい、それがマスルール様の信念なのだろう。この試練は、そうした隠密者のありようを汲めるかということも見ているのだろうな。いずれにしても暗殺者としての技能は必要ということだ。つまり何の経験もない貴様の力では……」

 「だけど……」といつまでも納得できない俺に、ため息をついたサイフォンが言った。

 「そもそも貴様はなぜ暗殺者の技能が生まれたのか知っているのか?」

 「少しだけ……隣国の暗殺教国ギズラが関わっているということぐらいは……」

 「ある程度は知っているっていうことか」

 今では無数の暗殺者を抱える暗殺教国ギズラだが、元をたどれば、たった一つの教団から始まった。

 この教団は、元々岩とか土を信仰する平和的な組織だったが、ギズラの前身の国がアニュザッサの侵攻を受けたとき、教団がこれに対抗することで暗殺とか過激な行動をとるようになってしまったという。なんとかアニュザッサの侵攻を防いだものの、団員たちは、その国を救った行為を盲信し、信仰のよりどころにするようになり、教団の方針や考え方が変貌してしまった。

 ──国を救ったはずの行為が信仰を歪めてしまったのだから皮肉な話だ。

 今では教団組織自体が国そのものになってしてしまった。さらに信仰心や残虐な行動思念は国として根付いている。つまり一つの教団の過激派が国家という形を作ってしまったということだ。

 はじめは対抗手段だった暗殺技術も、ギズラが国として暗殺者の養成を行い、他国に暗殺者を輩出するための暗殺ギルドを設立、運営している状況のようだ。

 「たとえば、今回試練に来た鎧を着ている冒険者を思い出せ。戦士のように見えるが、あれは変装だ。彼は変装の名人として有名で、彼の本当の姿は誰も知らない。それでも彼が知られているのは、あの鎧の姿そのものが有名だからだ。

 彼の他にも、あの踊り子の女は、どこにでも潜入して男を虜にし、情報を収集することが得意だという。彼女も、あの化粧や衣装が有名なだけで素顔は誰も知らない。おそらく彼らはギズラ出身の暗殺者だろう」

 サイフォンは両手を広げながら説明した。

 「……つまり隠密者には暗殺者としての特殊な能力が必要とされる。それは、わかりやすい攻撃や派手な演出めいた魔法ではない。誰にも知られることなく、物事を解決に導く力──平穏の中に潜む不穏を、不穏と同じ立ち位置で、誰にも知られることなく取り除く技量。……そんな力が貴様にあるのか?」

 「それは……」

 「マスルール様は全て持っているぞ。あのお方は素晴らしい暗殺者だ。過去の──誰が殺したかわからない権力者のほとんど、そしていつの間にか盗まれた情報や貴重品、急にいなくなった人質など……全て、あのお方の仕業ではないかと言われている」

 サイフォンは遠くの空を見つめながら言葉を続ける。

 ファナはそんな俺たちの会話を興味深げに眺めていた。

 「私のサーベルを防いだことから貴様に十分な力があることはわかる。だが暗殺者としての経験と才能がないというなら、さっさと勇者ギルドにでも所属して、その力を役立てた方がいいと思うのだがな」

 俺は彼の話から出てきた勇者という単語にピクリと反応してしまう。

 「い、いや、いやぁ、まあ……まあ、その……それは……」

 勇者ギルドというのは民間の警察的な存在だ。警備や事件解決、魔物の討伐などを、国や個人から受けて行う。

 名声を得やすくイメージもよいため、比較的なり手が多く、国からの大きな仕事、公共事業なども受けて組織が大きいギルドもある。

 以前は、個人経営のギルドが活躍していたが、今では、営業が仕事をとってきてそれをこなすような大規模なギルドも増えてきて、どちらかと言うと「会社」に近い形態を取っているようだ。その一方最近ではブラック企業のように、依頼料だけを受け取って依頼をこなさない悪質な勇者ギルドも増えていて、社会問題にもなっている。

 おそらく、かつて魔王を倒した仲間たちも、どこかの勇者ギルドに所属しているだろう。

 サイフォンの言うことは厳しいが正しい。

 結局、勇者にしかなれないのかと現実を突きつけられ、俺は絶句してしまう。

 「……で、どうして諦めないのかな?」

 ファナもこの話題を蒸し返したいようだ。

 「今、駄目でも未来のことはわからない。始めることが大事だろ」

 「我が師から、あれだけ言われたのに」

 「言われたから諦めるっていうのも違うと思う」

 「そうだけど……ねえ」

 彼女は俺の前に回り込むと覗き込むようにして言ってきた。

 「はっきり言わせてもらうね。ボクも、この人と意見が同じなんだよ。だってキミは変だもの。普通はできもしないことに時間をかけたりはしないんだよ。無意味だし、他の人にだって迷惑をかけてしまうかもしれないから。……キミは問題ないって顔をしているけど、そんなキミに付き合わされる我が師の身にもなってみなよ。我が師の時間も奪っていることにもなるってわからないかな?」

 「……それは……」

 口ごもった俺を見て、彼女はフンと鼻息を荒くして言った。

 「本当に我が師のことを尊敬しているなら、邪魔はしないよね? どうして、そんな非常識なことができるのかな?」

 「いや、だって、そもそも、その程度で諦めるようなやつをマスルール様は認めたりはしないんじゃないか?」

 「そうだけど」

 ファナは俺の言葉に呆気にとられたような表情を浮かべて、確かめるようにどこか好奇心の入り交じった双眸で俺の顔を覗き込んでくる。

 「つまり、どうあっても絶対に諦めるつもりはないんだ? どうしてそんなに気持ちが強いのかな?」

 「強いっていうのか。ある意味、単に頑固なだけかもしれないけど……」

 そう俺が言うと、彼女はどこか寂しげな表情をした。

 「……ボクは諦めたのに。キミは違うんだね」

 「え?」

 「な、何でもない。気にしないで」

 そこで彼女は誤魔化すように微笑む。

 「気にしないでと言われても。なぜ俺の頑固なところを突っ込むんだ」

 「しいていえば、そんな頑固さが気になるからかな? だから、もう少し、そこら辺をキミとお話してボクは自分の気持ちを整理したいんだけど」

 俺は、このまま話を続けても苦々しい感情ばかり生まれてしまうと思い、話題を変えることにした。

 「ところでファナさんは、どうしてマスルールさんの弟子になったんだ?」

 「今はボクのことよりキミのことを知りたいんだけど?」

 即拒絶されてしまい戸惑ってしまう。ファナの外見はかなりのレベルの美少女だ。そんな彼女に微笑まれると胸がドキドキする。

 そういえば勇者をしていたときも、仲間の一人が驚くくらいに美少女だった。そのため美少女には慣れていたと思っていたが、実際はそうでもないようだ。今まで生きてきた中でも浮いた話なんて一つもない。ドキドキしてしまうのは仕方がない。

 俺は、さらに話題を変えることにした。

 「しかし今度の試練が、迷子になった子ども捜しとは……こんな魔物の呼び水があるような森で迷子になったのなら、試練とかではなく、優先して人手を集めて助けに行くべきじゃないか? それとも、そんなに切羽詰まっていないとか?」

 だが、そんな俺の問いに答えたのはファナだった。

 「……詳しくは言えないんだけど、ちゃんと理由はあるんだよ。とにかく試練をやれば、その子がやってくると思ったんだけど……」

 「なるほど。でも、それらしい子どもは会場にいなかったな」

 俺の言葉にファナがコクンと頷く。

 「だから今、我が師も一生懸命に捜しているんだ。我が師は、この森で捜すなら暗殺者としての技量も必要だから、試練にするには、ちょうど良いだろうとは言っていたけど……」

 隠密者としての特殊能力──暗殺者としての技量が必要とされる状況というのは気になる。この森には刺激してはまずいことでもあるのだろうか。

 そのとき、遠くから轟音が鳴り響く。

 森がざわめき、沢山の鳥たちが空めがけて羽ばたいた。

 「なんだ? 行ってみるぞ!」

 そう言って、俺たちが音のした方向に駆けだすと、その先から子どものか細い悲鳴が近づいてきた。

 「助けて、怖い!」そう言って幼い少女が俺たちの姿を見つけて、こちらに走ってきたのだ。

 「ごめんね、今すぐ助けるから!」

 「おい、突っ込むのは危険だぞ! 隠密者らしく立ち回る必要があるんじゃないのか!」

 俺が走っていくファナにそう叫ぶと、彼女が振り向いて言った。

 「この子が迷子になったのはボクのせいなんだ、だから!」

 そしてファナは逃げてきた少女を抱きしめる。

 ボクのせい? なんのことだ?

 そう考えていると、少女の後ろから、むっとするような獣臭と不気味なうなり声が聞こえてくる。怖気の走るような気配に、背中がぞわっとした。

 「なんだ? なぜ、魔物が……? で、でかいぞ!」

 魔物がここまで凶暴になるわけがない。人間に襲いかかることもあるが、魔王の支配から離れた今、普段はおとなしく、刺激しない限り自ら襲いかかることは、ないはずだった。

 だが目の前にいる二階建ての家くらい巨大な猪のような魔物は、猛々しい角を俺たちに向けて走ってきた。

 魔物を倒すのは簡単だが、子どもを護りながらだと不利だ。巨大な魔物は木々をかきわけて、とんでもない速度で襲撃してきている。

 俺は、魔物のこんな様子を見たことがあったが、それは魔王が支配していた頃の話だ。だが魔王は俺たちの手で倒したから、魔物がこんなふうに暴れるわけがない。

 「ああ、ファナお姉ちゃんが!」

 子どもが俺にしがみつきながら魔物の方を指さす。

 ファナは少女を置いて魔物へと向かっていってしまったようだ。

 「お兄ちゃん! ファナお姉ちゃんを助けて。私のせい、私のせいなのに!」

 少女は大声で泣き喚いている。

 「私のせい?」

 さっきも聞いた言葉だ。ファナは「ボクのせい」と言っていたが。

 「私があの魔物の仔、逃がしたの! ファナお姉ちゃんが殺そうとしていたのに、可哀相だって思ったから。でも、あの仔、可愛がっていたのに急に怖い感じになって、大きくなって……私、試練の話を聞いたから……だから、他の人たちの迷惑になる前に何とかしようと思って……」

 涙で顔をグチャグチャにしながら言葉を続ける。

 「お願い。ファナお姉ちゃんを助けて!」

 「わかった。任せてくれ」

 そう俺は少女に言葉をかけた。

 巨大な魔物はファナを追いかけて方向転換したようだ。

 彼女は少女を逃がすために囮になったのか、それとも魔物を殺そうとしているのだろうか、どちらにせよ魔物を倒せば問題ない。

 俺は、少女をサイフォンに任せて魔物に立ち向かおうとしたが、彼に腕を掴まれて引き留められる。

 「おい、これも試練のうちだ! 冷静になれ! おそらく一人の力では、あの魔物を倒せないだろう、ならばここは真正面から倒しにいくのではなく、少女の保護を優先した上で、いったん退却して……」

 俺は腕を振り払い、少女を脇に抱えた。「え?」と戸惑う少女に「大丈夫だ」と頭を撫でてサイフォンに向き直る。

 「おい!」と困惑するサイフォンに向かって笑った。

 「大丈夫だ、二つとも同時に叶えればいいんだろう。少女を護りつつ、魔物を倒す。そしてお姉ちゃんも助ける」

 「それじゃ三つだよ、お兄ちゃん!」

 子どもの突っ込みに俺は苦々しい顔して笑ってしまった。たしかに三つだ。

 「いや、だから、まてまて、何しに来たんだ、貴様! マスルール様の弟子になりたいんじゃなかったのか? それなら隠密者として任務遂行を優先するべきだろうが!」

 「いやいやいや、そういうのも含めて全部、何とかしてみせる。だからこそ全て叶えて達成してみせたときに、光輝く者になるんだろう。そういう者に、俺はなりたいからな」

 「……なんだって?」

 サイフォンは目を見開いて、俺の言葉に怪訝な顔をする。

 多分、俺の力ならば魔物の動きを止めることはたやすい。

 サイフォンを背にして俺は、遠くに見えた魔物に指先を向け、魔物の傍に熱風を生じさせる。

 急に顔に当たった熱に驚いたのか魔物の足が止まり、うめき声を上げながら無様に地団駄を踏むようにもがいていた。

 俺は少女を抱えたまま魔物に近づいた。

 さて、どうしたものかと迷っていると、暴れている魔物の背中から声がした。

 「来ちゃったんだ? ……って、どうして女の子も一緒にいるのかな、キミ!」

 「え?」

 「え、じゃないってば。早く女の子を安全な場所に連れて行ってよ!」

 「目のつくところにいてくれた方が安全だと思ったんだ」

 「はあ? 何を言っているのか、わからないかな! 試練の相手がいたよね? その人に預けてきてよ!」

 とてつもなくファナが怒っている。どうにか宥めなければいけないと思ったが、どう言葉を選べばいいのか、わからないため正直に本音を口にする。

 「いや、だから自分の目の届く範囲にいた方が、ていうか、俺の傍にいてくれた方が、何があっても、何とかなると思って……」

 「やっぱり、わけがわからないし! 何のための試練なのかな? 一緒に組んだ相手とも協力しなきゃ駄目だよ!」

 「そうかもしれないけれど、一番効率が良くて成功率の高い方法がこれだと思って……」

 「え? それで女の子を脇に抱えて魔物と真正面から対峙しているってわけ? そんな意味不明なことしているから隠密者に向いていないんじゃない!」

 憤慨だと唇を尖らせたファナは、懐からナイフを取り出した。ナイフの刃先は毒々しく紫色に塗られていた。

 「もう、君と会話していても、らちがあかない!」

 そう言いながら彼女はナイフを魔物の頭に突き刺す。だが魔物は変わらず暴れ回っている。

 動転した彼女は振り落とされないように掴まりながら口を動かしていた。

 「嘘、即効性なのに毒が効かない? この魔物に耐性はないはずなのに!」

 遠くから唇の動きを読んだだけだが、どうやら、そう言っているように見える。

 危機的状況だった。

 魔物の内臓の一部を熱で溶かすくらいなら、外から見ても何をしたかわからないだろう。

 俺は指先に力を込め、意識を集中させる。そして暴れ回る魔物の中身へと意識を移した。

 すると、その意識に呼応するかのように、魔物の体内で熱が生じて内臓が溶けていく。魔物の動きがピタリと止まった。

 どうやら攻撃がうまくいったのか魔物はおとなしくなったが、頭をガクンと急に落としたせいで、ファナが空中に放り出されてしまった。

 俺は少女を下ろすと同時に、足に力を込めて空へと跳躍する。

 落下するファナを抱きかかえて、そのまま彼女に負担を与えないように気をつけながら着地した。尋常ではない身体能力も勇者として経験を積んだ成果だった。

 「わあ」

 ドスンと倒れた魔物を眺めながらファナは、間抜けな声を出した。

 抱きかかえられたまま、俺に顔を向けて、自分がどうしてこうなったのかわからないような顔をして、目をパチパチした。

 「大丈夫か?」

 彼女に呼びかけるとファナは、頬を赤く染めて俺から顔を背けた。

 「大丈夫だけど、その……」

 言いづらそうにしながら言葉を続ける。

 「あ、あの……。なぜ、ボクを助けてくれたのかな? ボクを助けても意味がないよね?」

 「え? 当たり前だろ」

 「当たり前って……キミの目的は隠密者として任務をこなして試練を乗り越えることだよ! ボクを助けることじゃないし! 大体、隠密者は、ひっそりこっそり隠密して自分の正体がばれないように仲間と協力して、依頼を達成する必要があるんだよ。こんな目立つようなことをしちゃ駄目なんだから!」

 怒られてしまった。俺は困り果てながら言う。

 「いやいやいや、意味がないかは決めつけちゃ駄目だろ。それにこうやってファナさんを助け出したことは意味があることだろ」

 「で、でも隠密者として……わ、我が師の弟子になりたいんじゃないのかな! そうやって屁理屈こねて変だよ! おかしいよ! だから隠密者には向いていないんだよ!」

 「屁理屈だとか言われても……向いているか、向いていないかも、今がそうなだけで、だから未来はわからないだろ」

 そう困ったように言いつつ俺は彼女を地面に下ろした。傍にいた少女が「ファナお姉ちゃん!」と言いながら彼女に抱きついた。彼女は安堵したような表情を浮かべ、そんな二人を見て俺も安心した。

 少女は涙を流しながらファナのお腹に顔を埋めている。

 「ごめんなさい、私が魔物を助けたから。悪い仔じゃないと思ってしまったから。それでお姉ちゃんに迷惑をかけてしまって……!」

 「大丈夫。キミは悪くないよ。お姉ちゃんの方こそ、ごめんね」

 そう言う彼女の眼差しは優しげだった。

 「しかし、どうして魔物を逃がしてしまったんだ? 少女に頼まれたからといって、ファナさんは、そんな甘いことをするように見えないが」

 そう俺が問いかけるとファナは意味ありげに少女を抱きしめて見つめた。

 「……それは、私が……」

 少女は戸惑っている。代わりにファナが口を開いた。

 「キミには覚えがないかな? 一人でいるのが嫌で、誰かと一緒にいたいこと」

 「もちろん、あるさ」

 その気持ちこそ、俺の源だ。

 誰にでも心のよりどころがほしいときがある。

 俺が暗殺者に憧れて隠密者を目指そうと思った理由に根付いている感情だ。

 昔、魔物に襲われたときに暗殺者に助けられたことがあった。

 そのとき、怖くて寂しくて、誰かに助けられたあとも、ずっと誰かと一緒にいたいと思った。

 俺を助けてくれた暗殺者は俺の傍にいてくれた。

 誰かに救いを求める気持ちに覚えがあるからこそ、誰かにそれを与えたいと思った。

 ──だから、自分を信じて

 その温かい気持ちこそが、誰かのためになるんだって。

 「うん、だからボクだって……あるんだ」

 だからこそ、そう言うファナさんの気持ちに共感した。

 彼女は言葉を続ける。

 「……魔王との戦いで、大勢の人間たちが亡くなった。そう、この子も両親を失ったの。魔王がいなくなって魔物もおとなしくなっていたから、この子に懐いている魔物は大丈夫かもと思ってしまったんだよ。でも大丈夫じゃなかったんだ。……魔王が倒されてから魔物が暴れるなんて、今までなかったけど、結果として今回のことはボクが原因だから……」

 「いやいや、そんなふうに自分を責める必要はないだろ。ファナさんは少女を助けようと頑張って、ちゃんと助けられたんだ。それだけでいいと思うけど」

 俺がそう言うとファナは考え込むような様子を見せた。

 「……そうだね。ボクも、この子も無事だったんだもんね。もしかして、あの魔物はキミが倒してくれたのかな? よくわからなかったけど、急に弱ったように見えたから。何か特別な力でも使ったのかな?」

 「え、ええと……」

 どう答えようか。俺の正体がバレるわけにはいかない。だが試練を考えると俺の成果だと言った方がいいのかもしれない。どうするべきか。下手に動いて正体がバレた上に試練も失敗になってしまうのは最悪だ。

 口ごもっていると彼女はフンと鼻息を洩らした。

 「キミじゃないなら、別の冒険者のおかげなのかな。どちらにせよその人には、後でお礼を言わないとね」

 そんな彼女の声を聞きつつ俺は倒した魔物を眺めた。

 倒れている魔物を後から来た他の冒険者たちが切り刻んでいく。既に死んでいるのだが、外からだと、それはわからないからだろう。

 凶暴化した魔物が最後のあがきとして暴れ回ることも多いため、念のためにトドメをさしているのかもしれない。

 この様子だと俺が魔物を倒したことは誰もわからないだろう。これで良かったのかもしれない。少女とファナが助かったのだから。俺は声を弾ませて独り言のように言った。

 「うん、結果的にはうまくいったわけだから、マスルール様に認められるかもしれないしな!」

 「無理だと思うけど」

 はっきりファナに言われてしまい、俺はがっくりと肩を落とした。

 「まだわからないし、結果は言われてないし! そうやって決めつけるの、よくないって!」

 「確かにキミはボクと子どもを助けたけど、魔物を倒したわけでもないし、隠密者らしく行動したわけではないし、協力して任務にあたったわけでもないんじゃないかな? そこはちゃんと自覚した方がいいと思うよ」

 「それは……いや、いやいや、でも!」

 そこまで俺が言うとファナは少女から身を離して俺へと近づいてきた。

 のぞき込むようにして顔を近づけてくる。

 「ねえ、改めて聞くけど、どうして諦めないの? だって適性がないのに。……ううう、もう、やだ! こんなことで悩みたくない。キミのことが気になって仕方がなくて苦しいんだよ! お願いだから、ちゃんと教えて。ボクはキミの気持ちが知りたい。どうして一生懸命に頑張ろうとするのかな。叶えられない夢かもしれないのに! 無駄かもしれないのに!」

 どうにも、しつこく食いついてくる。そんな彼女を怪訝に思いながらも首を捻った。普通に答えただけでは納得してくれそうにない。

 もしかしたら俺が隠密者になりたい理由を具体的に伝えれば、わかってくれるのかもしれないが、あの出来事は、今の俺を支える軸のようなものだ。

 先ほども思い返した記憶──そう、俺が昔、暗殺者に助けられたときの気持ちだ。

 でも会ったばかりの、あまり親しくない相手に話すのは躊躇う。ならば彼女の行動にたとえたら、わかってくれるかもしれない。

 そう思った俺は彼女を真っ直ぐに見据えながら言った。

 「ファナさんだって、さっきの魔物のこと……失敗しても、それを取り返そうとして少女を助けようとしていただろ。自分の身を危険にさらすかもしれないのに。それはどうしてだ?」

 「だって、それは助けたかったから……」

 「そう、そこに強い気持ちがあったからだろ。何が何でも、なしとげたいという想いが、目的に向かって突き進みたいという気持ちがあったから。ファナさんの中にもある想い、それを俺も持っているだけなんだ。

 当たり前のことだよ。当たり前のように、やりたいことに向かって、行動したいだけだ。後悔したくないから、できることを全力でしたいんだ。誰でも持っている当たり前の気持ちだ」

 俺の言葉にファナはキョトンとしたような顔をした。

 「……」

 そうして彼女は、ふっと表情を和らげる。

 「当たり前のこと」と、そう俺の言葉を噛みしめるかのように口の中で繰り返していた。

 「当たり前のこと……私の中にもあるのかな……?」

 「うん、ある。だからこうして言っているんだ。だってファナさんは実際に少女を助けようとしたじゃないか。俺は、あんな危険な魔物を相手にしても、迷わずに少女を助け出そうとしたファナさんを眩しいと思ったよ。うん、尊敬するよ」

 「え? 尊敬……? ああ、そういうことなのかも」

 ファナさんは手の甲で目をこすった。そして俺の顔を真っ直ぐに見据えて告げた。

 「私の中にある、この熱は、キミを尊いと思う感情なんだね」

 「──え? ん?」

 ちょっとよくわからないことを言われて俺は戸惑ってしまう。

 構わず彼女は早口で言葉を続ける。

 「気付いてしまえば、とても温かくて心地よい気持ちだね。うん、教えてくれて、ありがとう。ようやくスッキリしたかも」

 俺の言葉に頬を染めながら、喜びに満たされた双眸で、そんなふうに言われると、何だか恥ずかしくなってしまう。傍にいた少女も戸惑っているようだ。

 俺は居たたまれなくなってファナに別の話題を振る。

 「でも、どうして魔物が凶暴化したんだろうな。だって魔王を倒したから、魔物は動物みたいになったはずじゃ……」

 「わからない。それはボクも気になっているんだ」

 ファナは腕を組んで首を捻っている。彼女にも理由はわからないようだ。

 俺はもう一度、凶暴化した魔物のことを思い返す。

 「いやいや、あれは凶暴化したわけじゃないのか? あれは……」

 そう、さっきも思ったが、魔王に支配されている状態の魔物に酷似していた。

 「もしかして元の状態に戻っただけなのか?」

 魔王の支配下にいるのが魔物にとって自然な状態だ。それならば魔王が復活してしまったということなのだろうか。

 「え?」とファナは素早く顔を上げて、こちらを見てくる。まずい。失言してしまったのかもしれない。

 「いやあ」と誤魔化しながら明後日の方向を見ていると、複数の足音が近づいてきた。

 「やれやれ、非常事態が多く戸惑ってしまったが……」

 マスルールが呆れ果てた顔で、森の茂みから現れた。彼の後ろにはサイフォンがいる。

 「子どもが見つかったことはよかったが、隠密者として冷静に状況を見る者がもっといるかと思ったのじゃが……唯一ましだったのは、自分一人ではどうにもならないと判断して、すぐにワシを呼びに来たお主くらいなもんじゃな」

 「そのように評価していただけて感謝致します」

 サイフォンが静かに言った。

 「今回の試練はサイフォンだけを弟子として認める。これにて試練は終わりじゃ!」

 志願者たちを目の前にして「さあ、解散、解散」とマスルールは片手で振り払うような仕草をした。

 冒険者たちは何がなんだかわからないといった様子だったが、マスルールのそれ以上何も言おうとしない様子を見て諦めて、気落ちした顔や悪態をつきながら立ち去っていく。

 一人取り残された俺はマスルールを見つめながら、その場に膝をついた。

 そうか、俺は駄目だったのか。やはり落ちてしまったのか。

 近づいてくる気配を感じたので顔を上げると、そこにはマスルールがいた。やれやれというような呆れかえった表情だ。

 そんな彼に俺は問いかけた。

 「ええと……それで……次回の試練はいつですか?」

 「お主、そうくるか……うーむ」

 マスルールは顎を撫でながら困ったような顔をした。そして問いかける。

 「お主、まさか合格するまで延々と挑戦し続ける気か」

 「はい!」

 「だが、お主に隠密者としての才能は微塵も感じられん。正直、ワシの弟子になったところで見込みはない」

 「わかっています。でも何事もやってみないとわからないのでは。たとえ今、見込みがないとしても、それでも!」

 「しつこい奴じゃの。やる前から、わかることもある。ワシくらいになれば、見ただけで隠密者の適正がある程度はわかる。お主では、ワシの技を身につけることはできんじゃろう。何もできないのなら、最初から、やらん方がええこともある」

 「でも俺は、どうしてもあなたの弟子になりたいんです!」

 そう俺が言い切るとマスルールは深くため息をついた。

 「なかなか、しつこいのう」

 「我が師、多分、彼は諦めないと思いますよ」

 「お主も、そう思うか」

 話しかけてきたファナを一瞥したマスルールは、もう一度、何かを確かめるかのように俺の顔をじっと見つめてきた。

 「……一つ尋ねよう。お主、なぜファナを助けた?」

 突然、別のことを質問されて頭を切り換えられなかった俺は、そのまま思ったことを口にしてしまう。

 「い、いやいやいや、だって助けるでしょう、普通。もちろん少女に助けてとお願いされたのもありますが、あのまま放置するのはありえないし」

 「そういうのは嬉しいけど、でも、少女も一緒に連れてきたのは減点かな!」

 ファナが俺の答えを聞いて苛立った口調で返してくる。

 「……ううむ、ならば、なぜ少女も一緒に連れてきた?」

 「え? そ、それは……近くにいた方がいざというときに少女を守れると思ったのもあるけど……ファナさんも一緒に助けることもできるから。場をしのぐ方法としては確実かな、と思いましたので」

 「つまり、二人とも間違いなく助けられると思ったわけじゃな」

 そこまで言った彼は深く頷いた。

 「正直、ワシは正義感しかない馬鹿は嫌いじゃ。お主がただそれだけの男なら問答無用で切り捨てようと思ったが、お主は人を救いたい気持ちと、それに伴う実力はあるようじゃな……ふむ、じゃあ、お主は弟子ではなく、弟子見習いにでもするか。……ぶっちゃけ、試練のたびにお主の顔を見るのも面倒じゃからの」

 その言葉に俺は頬を弛ませる。素早く立ち上がり、頭を下げて声を上げた。

 「ありがとうございます」

 「いや、礼を言われるほどのもんじゃない。ワシがお主を認めていないのは変わっておらん。今は、ただ付きまとうことを許しただけじゃ。お主の行動によってはすぐに切り捨てる」

 ひどい言われようだが、俺には嬉しかった。

 尊敬する人物の傍にいられるだけでも、何かを学べるきっかけになるかもしれない。

 そんなふうに喜んでいる俺にファナが近づいてきた。

 彼女はニコリと微笑むと、ゆっくりと顔を近づけてくる。困惑している俺の頬を、さらりと撫でてきた。

 びくりと飛び退くとファナは、自分の唇を指で触れて、くすりと笑う。まるで俺の反応を楽しんでいるかのようだった。

 「ちょ、ちょっと、どういうことなんだよ!」

 「どうって……さっきも話したよね。ボク、キミのこと、気に入っちゃったんだ。今のはボクなりの敬愛の情かな。びっくりさせちゃって、ごめんね」

 小さく舌を出しながら彼女が俺に笑いかけてくる。

 「我が師の了承を得たようだし、これから、ずっと傍にいられるんだね。あのね、ボクはキミの姿勢に好意を持っちゃったんだ。これは……精神的な意味での……」

 恥ずかしそうにモジモジしながら彼女は言葉を続けた。

 「ボクの二番目の導き手になってね、お願いね」

 なんだ、それは。

 呆然としている俺の手を彼女はぎゅっと握りしめてくる。

 「よろしくね、サスケ様」

 物語の中から出てきた可憐なお姫様のような、とんでもない美少女に甘い声で、囁くようにそう言われると、鼓動が喧しく高鳴ってしまう。

 いや、俺は騙されない。心を強く持つ必要がある。

 わけのわからないことを言って彼女は、俺が誘惑に耐えられるか試しているのかもしれない。

 暗殺者は妖艶な房中術で相手を誑かして殺すこともあるという。彼女も、その類なのかもしれない。とは言え、そんなことをされる理由に思い当たる節はないので、単にからかって遊んでいるのかもしれないが……。しれない、ばかりのことを考えてしまうくらい、とにかく混乱していた。

 だが、そんな俺の混乱もサイフォンの声によって我に返る。

 「マスルール殿、あれを……!」

 サイフォンの指差した先で、死んだ魔物が黒い塵となって消えていくのが見えた。魔物の倒れた地面に禍々しい紋様が刻み込まれるように現れた。

 「うっわ、なんだ、これ」

 思わず、そう叫んでしまう。

 だが、どこかで見たことがあるような紋様をまじまじと確認していると、傍にきたファナが俺に腕を絡ませながら言ってくる。

 「見ているだけで気持ちが悪くなってしまうような紋様だね」

 「これが魔物を凶暴化させた原因なのかのう? どうにも、よくわからん」

 マスルールも首を捻って不思議そうな顔をしている。

 「サスケ様、何か知っていそうだったよね。心当たりあるのかな?」

 そうファナに問いかけられて俺は、驚いて首を素早く横に振った。

 「いやいやいや、ないない、なんのことかな。ないない、なーい!」

 慌てて否定する。

 勇者のころの情報を少しでも話すと正体がバレてしまう。それはまずい。

 せっかくマスルールの弟子見習いになれたのに、弟子見習いもなかったことにされるかもしれない。それだけは嫌だった。

 「原因がわからんにせよ、警戒した方がええじゃろ」

 「ならば近くの村や町に声をかけましょう。魔物の住まう場所には近づかないように警告しなければ。もし万が一、魔物の襲撃があった場合に備えて、勇者ギルドたちにも依頼した方がよいとも提案しましょう」

 サイフォンの言葉にマスルールが大きく頷く。

 「それならば勇者ギルドたちに紋様のことを報告した方がよいじゃろうて。今のあそこはゴタゴタしておるようじゃから、どうなるかわからんが……やらないよりはマシじゃろうて」

 そう言いながら彼が俺の方を見てくる。なぜそこで俺に視線を向けてくるんだ。

 「わかりました、任せてください」

 サイフォンの言葉にマスルールが目を閉じて満足そうに笑った。

 俺は、こっそりファナの腕をはがしながら、いつまでも不気味な紋様を眺め続けた。