Walhalla《ワルハラ》第一章(3)

-e戦場の戦争芸術-《イーセンジョウノアートオブウォー》

 その頃ヒルドル軍の帷幄では、クランマスターのXxガンツェルxXが南国風の美少女NPCハウメア・C87・マルトーに沸き上がる苛立ちをそのままぶつけていた。

 「くそっ、Cleyeraの野郎! 人の苦労を台無しにしてくれやがって!」

 眼鏡をかけた知的マッチョなアバターにミリタリーグリーンのスーツと軍用コートを着せたガンツェルは、今回のクラン戦で名将ハンニバルの戦いの中でも、最も有名なカンネーの包囲殲滅戦を再現したいと目論んでいた。

 そのために、まとまった騎兵戦力を持つプレイヤーを何人も引き抜いてきていた。

 【Walhalla】では包囲殲滅、中央突破、斜行戦術、内線作戦による各個撃破といった、名作戦を成功させると『名将』の称号が授与される。その称号にはゲームプレイを進める上で大いに役に立つ各種の優遇措置がついているのだ。

 もちろん、そんなものがなかったとしても作戦級・戦術シミュレーションゲームに興じるような者ならば一度は歴史的な名作戦を再演したいと憧れる。しかし、それらの報償が加わったことでよりいっそうクランマスターの欲望はかき立てられ、強い誘惑にさらされるのである。

 しかし、今回の対戦相手であるブリュンヒルト・クランは簡単に倒せるような相手ではない。敵は騎兵、歩兵、弓兵を全く同じ比率で揃えて来たあげく、同じ陣形を作って向かってきたのだ。

 こうなると包囲殲滅作戦は諦めざるを得ない。会心の一撃を狙った隙の探り合いはみっともない消耗戦に堕すことがわかっているからだ。同数等質の戦力が、同陣形で激突したら問われるのは指揮官の力量のみである。

 「君と私、どっちが指揮官として優れているか勝負しよう」

 ガンツェルには、あえて正面戦を挑んできた敵クランマスターCleyeraからの挑発の言葉が聞こえるかのようだった。

 この状況で勝つには、高度な柔軟性を持った臨機応変の対処が求められるとガンツェルは考えていた。敵の繰り出す攻撃に対して堅実な対処を続けていくことで、焦った敵がミスをして隙を見せるのを待つ。それが勝利への早道だと信じているのだ。

 だが、それは自ずと待ち姿勢になることを意味する。

 主導権を敵に与えれば対処に翻弄させられる。将来が予測できないから不安になるし、腹も立つ。その上でさらに忌々しいのが麾下のクラメン達だ。

 特に許しがたいのが八咫烏。あの男は、何かとガンツェルの判断に楯突いてくる。今回も敵の迂回機動を防ぐためにクベりん隊を送り出したら『敵のアレは陽動だ。ひっかかるな』と言ってきた。その根拠は何だと問い合わせたら『そんな気がするからだ』と返してくる始末だった。

 そんな気がする!? そんないい加減なものに、誰が耳を貸すことなどできるだろうか?

 だが忌々しいことに状況は八咫烏の警告通りに推移していく気配がある。それだけにガンツェルは苛立ちが高じて、この感情を何かにぶつけずにいられなくなってしまうのだ。

 「くそったれめ!」

 それは癇癪を起こしてパソコンのキーボードを力一杯叩くとか、あるいはコントローラーを壁に向かって投げつけるといったことと類似したことなのかもしれない。

 「い、痛いです」

 指揮杖の一撃を二の腕に受けて尻餅をついたハウメアは、赤いミミズ腫れをおさえながらよろよろと立ち上がった。その抗議めかした目に、表情にガンツェルはいっそう苛立つのを感じた。

 「痛いか? 痛いならやめてやってもいいんだぞ」

 ガンツェルが言うと、ハウメアの瞳に怯えの色が走った。

 「あ、いえ……」

 ガンツェルはほくそ笑む。

 「そうだ。おまえはこれまで痛いと口にしても一度として嫌だと言ったことはない。本当に嫌だと言うならば口にするがいい。嫌だ、止めてくれと。そうしたら叩くことはしない。どうだ?」

 「い、いえ。コマンダー、どうぞ心ゆくまで私を叩いて下さい。私の心は仮想人格。私の身体はポリゴンで作られた電子データに過ぎません。いくら叩いても決して壊れることはありません。苦痛も、一定の速度以上で身体に接触したら発生すると設定されている刺激情報でしかありません」

 「そしてその刺激が、おまえは大好物なわけだ」

 するとハウメアは恥ずかしげにうつむいた。

 「は、はい。私の仮想人格は苦痛を好むと設定されているんです。ですから……そのコマンダーに叩いて頂けることが私の悦びです」

 「なら、どうして不満そうに俺を見る?」

 「だって……もっと叩いて欲しくて。一発二発だけでは、生殺しなんですもの」

 「グラントラ社のキャラデザには、どうやら変質者が混ざっているようだな。これではまるで俺がサディストの変態みたいではないか!?」

 「違うんですか?」

 単刀直入に言われてガンツェルは深々と嘆息した。

 実は副官NPCは主の影響を強く受けて成長する。

 プレイヤーが【Walhalla】のアカウントを獲得した際に、副官NPCの種族や性別といった基本形を選び、続いて身長や体型、髪型、瞳の色を選び、衣服、装身具といった物を与えて外見の個性を作っていく。それと同様に、仮想人格も当初から持っている性格や嗜好、価値観といったものがプレイヤーとの交流によって変化し、プレイヤーにふさわしい性格、気性へと変貌していくのである。

 それはプレイヤーをモデルとして仮想人格が真似ていく部分もあれば、プレイヤーに欠けている部分を補うよう補完的に変わっていく場合もある。いずれにせよ長年連れ添った副官NPCは、プレイヤー自身を映し出す鏡と言える。

 要するにハウメアが変態ならガンツェルも同類。

 そのことをあからさまに指摘されることになったガンツェルは、その事実から目をそらすように意識を強引に今ここで行われている戦いへと戻した。

 「この戦い、勝敗分岐点はクベりん達が戻ってくる時だ。それまで耐えたら勝てる。それまで、とにかくそれまでの辛抱だ」

 するとハウメアは背筋を伸ばして言った。

 「次は焦らしプレイというわけですね。コマンダーのご命令とあらば辛抱します」

 「そ、その辛抱ではな~~い! どうして俺の副官NPCは、こんなんになってしまったんだ?」

 「さあ、ご自分の胸に手を当てて考えてみて下さい」

 ハウメアのこの性癖とてガンツェルが苛立ちに任せて手を上げた、最初の一回がなければ表に出てこなかったもの。つまり結局のところ全ての責任はガンツェルにあるのだ。

 「とにかく! 我が方の右(南)側背へと迂回しようとした敵騎兵は合計四千。その邀撃に送り出した我が方の騎兵部隊は、クベりんら合わせて六千。数の上ではこちらが多い。従って敵騎兵部隊の撃破には成功するはずだ。その後、戻ってきたクベりん達にブリュンヒルト軍の左(南)側背を突いてもらう」

 同戦力が正面からぶつかり合って拮抗した戦況は、それをきっかけに大きく動くだろう。何しろあの紅の鬼姫の攻撃なのだ。敵は大きく動揺し隊列は千々に乱れるはず。それはすなわち勝利を意味している。

 「ハウメア、斥候を送り出して状況を確認させろ」

 するとガンツェルが突きつけた指揮杖の先端に、ハウメアは自分の胸を強く強く押しつけた。

 「はあ、はあ……ど、どちらに、どのくらいの数の斥候を出しますか?」

 鎖帷子越しに感じる苦痛に興奮しているのか、ハウメアが頬を赤くしている。ガンツェルは「わあっ」と怯えるように指揮杖を引っ込めた。

 「せ、せ、斥候を出さなきゃ状況がわからんのはクベりん達の動向に決まってるだろうが!? わかりきったことをいちいち確認しようとするな!」

 「で、でも私にはそれを推測するだけの演算容量は……」

 「いちいち口答えするな! 我が右翼方向……南だ、南に斥候を送るんだ!」

 「は、はい」

 すると本営所属の騎馬斥候が三騎、本営からはじかれたように飛び出していった。

 実際に斥候が赴いて現地を視察し、報告に戻ってくるまでは相応の時間がかかる。中には敵に襲われて斥候が戻ってこないこともある。プレイヤーは時間の経過に対して相当の忍耐力が求められるのだ。

 しかしガンツェルは激高を抑えられなかった。

 「報告が遅いっ、どうなってるんだ!」

 やがてハウメアが竿を操って砂盤の赤い兵棋を移動させた。斥候が戻ったのかと期待して見れば砂盤上で動かされた兵棋はガンツェルの予想した物ではなかった。

 「八咫烏様より報告です。敵、ブリュンヒルト軍が後方に拘置していた予備槍兵部隊を敵左(南)翼騎兵部隊三千の後方へと移動させたとのことです」

 実際に動いた赤駒は、動いて欲しくないと彼が心の底で願っていた物であった。

 「くそ、いよいよ来るか……この攻撃に予備部隊は果たして耐えきれるか」

 ガンツェルはくびりと唾を飲み込んだ。

 手勢わずか一千の八咫烏隊にこれを防ぐことができるはずがない。後衛の予備部隊を動かして鉤型陣形をとらせてはみたが、敵もそこに予備槍兵部隊を投入して来たら、防ぎきれるかどうかは大いに怪しくなってくる。

 「右(南)翼後方に回した予備部隊に伝えろ! どんなことがあってもそこを動くなと!」

 「伝令内容、どんなことがあっても動くな……かしこまりました」

 ハウメアが指示を復唱すると、本陣から伝令兵が予備部隊へと走っていった。

 だが、その時ハウメアが砂盤上の赤い兵棋を一気に後ろに下げた。

 「ど、どうしたんだ?」

 「各部隊より伝令。敵、中央歩兵部隊が突如後退を始めました!」

 「なんだと!?」

 ガンツェルは砂盤から顔をあげて敵の方角へと目を向けた。

 残念ながら遠方にずらりと並ぶ味方の隊列に隠れ、敵の姿を直に見ることはできない。

 山のような高いところか、空から鳥瞰するのでない限り、最前線で戦う兵士達の様子など後方からは見えないのが普通だ。だからこそ砂盤がある。

 状況は中央で戦っていた敵が後退を始めたところだ。しかも横一線に並んでいたはずの敵が中央部を大きく引き下げていく。

 正面から敵を圧倒しようとしていた味方は当然、敵が後退した分だけ前進していく。そのため歩兵部隊は敵の作り上げた半月状の弧の中に少しずつ収まっていこうとしていた。

 そしてそれに合わせたかのように敵の南北両翼騎兵部隊が前進を開始。それぞれ正対しているヒルドル軍の騎兵部隊へと向かった。

 「くそっ、このままでは半包囲されてしまうぞ!」

 ガンツェルはこの状態を見た瞬間に、中央突破を決心した。

 「各部隊に伝達、敵をそのまま押しまくれ! 二号作戦発動、中央突破するんだ!」

 戦力を中央に集める指示を伝えようと、ハウメアが伝令を送り出したその時である。

 突然、敵左(南)翼騎兵部隊三千が進路を変えた。

 敵の後退に誘われて大きく前進した歩兵部隊と、敵の迂回を防ぐために鉤型に並べた予備部隊との間に大きく開いた間隙を通り抜けて、直接ガンツェルのいるこの本営目がけて突き進んだのである。

 「敵がまっすぐこちらに来ます!」

 「やられた! Cleyeraの奴、最初からこれを狙っていたのか!?」

 八咫烏隊は、鉤型に並んだ味方の予備槍兵部隊が邪魔になって左に曲がれない。

 そして予備槍兵部隊も、敵の騎兵部隊に追従して突入してきた敵予備部隊と衝突して、その場に拘束されてしまう。

 ブリュンヒルト軍の騎兵部隊三千が、遮る者のない無人の野を疾駆する。

 ガンツェルは本営にわずか数百の護衛部隊しか置いていない。彼が自ら率いていた戦力のほとんどは予備部隊に組み入れていたのだ。

 「不味い、これではガウガメラの再演になる!」

 ガウガメラの戦いとはアレキサンダー大王率いるマケドニア軍五万が、ダレイオス率いるペルシャ軍十五万(諸説あり百万とされることもある)に勝利した戦いのことだ。

 アレキサンダーは対峙するペルシャ軍に対して部隊を右横へと機動させ、それに対応して横機動をしようとしたペルシャ軍がそれぞれの速度の違いで隊列に大きな間隙が開いたのに乗じて、その隙間を抜けると直接ダレイオスの本陣めがけて突き進んだ。

 我が身に危険を感じたダレイオスはそこで退却。ペルシャ軍は、数の優位を生かすこともできないままに多大な損害を出して敗北することとなった。

 「ハウメア! 護衛部隊に戦闘態勢を!」

 「はいっ!」

 「それと帷幄を閉じろ。我々も戦闘態勢に入るんだ……馬引け!」

 矢継ぎ早に指示を飛ばすガンツェル。護衛の兵士が帷幄にガンツェルの馬を連れてきた。

 「ダ、ダメです! 間に合いません」

 だがその時、敵騎兵部隊が本営に達した。

 本営に詰めている鼠族や蠹王種などの様々な種族兵が迎え撃とうとしたが、隊列を整える間もなく軍楽隊が蹴散らされ兵士達も次々と倒れていった。

 そして敵が本営中枢に置かれた帷幄に達した時、ハウメアが叫んだ。

 「敵部隊、帷幄に突入。これより指揮系統は機能停止します。繰り返します。全ての指揮命令系統は機能停止します」

 「くそっ!」

 このゲームではプレイヤーと副官NPCが戦死することはない。

 ただし『帷幄』が攻撃に曝されると『混乱』状態になり、マスターとしての指揮が一定時間できなくなるというペナルティが課される。

 そうなるとクランメンバーは、独自に戦況を判断して行動を決しなければならなくなる。

 問題は個々のプレイヤーが入手できる情報はクランマスターと比して著しく少ないこと。具体的にわかるのは直接見聞きできる範囲にとどまるため、できることは現状維持か退却か。つまり帷幄が混乱から解放されるまでは敵に好き放題されることになるのだ。

 本営を蹂躙したブリュンヒルト軍の騎兵部隊は、そのままヒルドル軍左(北)翼の騎兵部隊に背後から襲いかかった。

 同数の騎兵同士が正面からぶつかり合っていたところへの、背後からの襲撃である。ヒルドル軍左(北)翼の騎兵部隊はたちまち士気を喪失して蹴散らされてしまった。

 ブリュンヒルト軍騎兵はその後、一団となってヒルドル軍後背部を駆け回って予備部隊に痛打を加える。そして中央突破しようと前進の勢いを強めていたヒルドル軍歩兵部隊の背後を脅かした。

 後方を敵に掻き回されたヒルドル軍の戦意はどんどん減衰していく。

 拮抗していた戦況が大きく崩れていく。ヒルドル軍の隊列が乱れ、圧力に屈する。中央突破のために戦力の多くを供出していた両翼から崩れるようにして後退を始めた。

 ブリュンヒルト軍は、それに合わせて投じた網を手繰り寄せるように両翼を閉じていった。そして後方に回った騎兵部隊が蓋を閉じる。

 カンネーの戦いを彷彿させる包囲殲滅作戦はここに完成したのである。