このダンジョンの設計者は元勇者です(1)

プロローグ

 その日、ディオンは勇者となった。

 地下二〇階層。街ひとつ分にも相当する超巨大ダンジョンの最深部、深淵の中にヤツはいた。

 黒龍グラスノチェダール。世界最大にして最強の覇王。青白い光がその輪郭を浮かび上がらせ、ずらりと並んだ牙の奥からチロチロとオレンジの炎が明滅する。

 「でけえ……」

 ディオンは、ごくりと唾を飲み込んだ。千年の眠りについていたはずの黒龍が目覚め、目の前にいる。

 噂に尾ひれはつきものだが、実際に目にした黒龍は、想像を遙かに超えて圧倒的だった。

 巨象を前にした猟犬のようだと、ふと思う。手にした剣がかすかに震えたが、黒龍の威容に恐れをなしたわけではない。

 考えていたのは、目前の相手を倒すことのみ。これまで積み重ねてきた冒険者としての経験が、無意識のうちに相手の弱点を探していて、それが剣の切っ先へと伝わったのだ。

 狙うべきは、おそらく喉。

 ディオンの眼光が黒龍を射抜く。グラスノチェダールは全身が鋼のような鱗に覆われているが、喉だけはブレスを吐く際に筋肉を収縮させる必要があるのか、肌が剥き出しになっていた。

 あそこを貫けば活路は開ける。ここまで来て引き下がるという選択肢はありえなかった。冒険者稼業を始めて三年、いかなるモンスターにも背を向けたことはない。

 「うおおおおおおっっっ!」

 愛剣パラムドリムを両手で構え直し、一気に距離を詰める。

 目障りな獲物を視界の隅に捉えたのか、黒龍の目がぎょろりと動いた。巨大な口が上下に大きく開かれると同時に、熱風を吹きつけてくる。

 ドラゴンブレスの前兆だ。息が詰まり、前髪が焼け、額から大粒の汗が噴き出してくる。

 ブレスをまともに食らったら、一瞬で消し炭になるだろう。ディオンはすばやく左方向に跳躍し、ダンジョン最下層を支えている石柱のうしろへと回り込む。

 直後、真紅の奔流がディオンの視界を埋め尽くした。

 猛烈なドラゴンブレスは数秒前までディオンがいた場所の床を舐めるように、側壁から天井へと移動していく。高熱にさらされて、ダンジョン側面に彫り込まれていた像が融解した。

 一拍遅れて、離れていたディオンの下にも熱波が到達する。喉が焼けそうになったのでとっさにマントで口元を覆い、酸素を確保しながら様子をうかがう。

 黒龍は巨大すぎるがゆえに、足元に目が届かない。一撃でディオンを仕留められずに見失ったことが腹立たしいのか、鎌首をもたげて咆哮する。

 グオオオオオオオ──────ン!

 その咆哮はすさまじく、ダンジョン全体にこだまする。

 そればかりか有形の圧力となって天井を圧迫した。ダンジョン最深部の天井に無数の亀裂が生じたかと思うと、粉砕された石灰岩が粉雪のように降ってくる。

 「やっべぇヤツだな。まったく」

 マントを掲げて岩の破片から体をかばいながら、ディオンは呟く。

 黒龍は、存在自体がスーパーSクラスの脅威なのだ。ドラゴンブレスや鋭い爪だけでなく、あらゆるものが武器になりうる。

 「ちくしょう。燃えてきたぜ」

 ディオンは、ぐっと剣を握り直す。こういうすごいヤツと戦いたくて冒険者になったのだ。

 冒険者の中にはダンジョンに隠されているお宝だけが目当ての人間もいるが、金持ちになりたいという欲求は正直ない。

 それよりも未知のモンスター相手に腕試しがしたい。そんな一途な思いのままにダンジョンを深く、もっと深く潜り続けて、こうして黒龍と対峙している。

 しかし、その興奮とは裏腹に、ディオンの心は冷静だった。

 黒龍は、獲物を見失ってとまどっている。しかし、ドラゴンの性質として執念深くプライドが高いので、このまま自分を見逃すことはありえない。己の縄張りに入り込んだ不愉快極まる闖入者を仕留めるために、頭を低く垂れながら、絶対に首を反転させるはず。

 その時こそチャンスだ。ブレスを吐くより先に首の下へと滑り込み、剣を無防備な喉元へと突き上げる。

 腹ばいになって息を殺し、慎重にその機会をうかがう。

 やがて黒龍は鼻をひくひくと動かしながら、ゆっくりと頭を巡らせた。巨体を支える後ろ足が、ダンジョンの床を踏みしめる。

 あともう少し……

 息づかいを懸命に押し殺しながら、ディオンは間合いを確認する。

 三歩、二歩……一歩。

 「いまだっ!」

 覚悟を決めて腰を浮かしかけた、その時だった。

 黒龍の鱗に付着したヒカリゴケ以外はほとんど光源がなく、海の底にいるかのようだった地下ダンジョンに、揺らめく灯りが見えたのだ。

 ディオンから見て向かって右。床で燻っているドラゴンブレスの残り火ではない。

 あれはたいまつの炎だ。誰かがたいまつを持って、最深部への階段をゆっくり降りてくる。

 「なんでこんなところに人が!?」

 他の冒険者がここまでやってくるのも驚きだったが、最悪なのはそのタイミングだった。

 このままでは、あいつは極限までいらだっているドラゴンの格好の餌食だ。

 「逃げろっ!」

 自分の居場所が黒龍に知られるのも構わずに叫ぶ。

 たいまつの動きがぴたりと止まった。それから心中のとまどいを表すかのように、頼りなげにふらふらと揺れる。

 あいつ、まさか黒龍に気づいてないのか? だとしたらとんだ素人だ。冒険者の風上にも置けない。

 いても立ってもいられずに、ディオンは柱の陰から飛び出していた。たいまつの炎目がけて全力疾走していると、背後に生暖かい吐息を感じる。

 (気づかれた!)

 背中はまったくの無防備。今ドラゴンブレスを吐かれたらひとたまりもない。

 しかし、黒龍も炎は続けざまには吐けないはずだ。肺に空気を溜める必要があるとかなんとか、冒険者の宿で仕入れたそんな噂にすがるしかない。

 なんとか無事にたいまつのそばまでたどりつくと、ようやく持ち主の姿が見えてきた。ゴーグルを付けた、白い服の女の子だ。年齢は自分とそう変わらない気がする。

 「おまえ、何やってんだ!」

 怒鳴りつけると、彼女はびくりと肩を震わせた。

 「あの、わたし……ダンジョンの点検に来て……」

 「あれが見えないのか!」

 少女の言葉を遮って黒龍を指差す。それでようやく少女は気づいたようだった。

 「グラスノチェダール! 今は休眠期のはずじゃ……」

 「そんなことを言ってる場合じゃない。いいから早く逃げろ!」

 上層に誘導するが、少女は呆然と黒龍を見つめたまま動こうとしない。

 なんて鈍くさいやつなんだ。

 舌打ちしながら、ディオンは剣を構え直す。黒龍が迫ってきていて、もう逃げだす暇はない。

 血走った目が、殺戮を求めてディオンを睨む。

 黒龍の口から、ちろちろと炎がこぼれ出す。今にもブレスを吐きかねない。

 一騎打ちなら望むところだが、彼女を守るとなると話は別だ。死力を尽くした大乱戦に巻き込ませないためには、一気に決着をつけるしかない。

 「こうなったら最後の手段だ」

 この手はなるべく避けたかったが、もはやためらっている場合ではない。ディオンは腰のポーチからすばやくある物を取り出した。

 流しの武器商人から大枚をはたいて買い込んだ、手投げタイプの爆薬だ。それをしっかり握りしめると、黒龍の眉間に狙いをつける。

 「もうこれしか方法がない」

 ディオンは承知の上で大きく振りかぶる。

 「だめっ!」

 そこに少女の腕が絡みついた。腕が後ろに引っ張られてバランスを崩しかけ、危うく転びそうになる。

 「何するんだ。放せ!」

 「だめったらだめ!」

 ディオンが必死なら少女も必死だった。ハーフアップを振り乱してすがりつく。

 「ダンジョンを壊すなんて絶対にだめ!」

 「そんなことはしない。きっちり黒龍だけを狙って足止めするつもりだ」

 黒龍はふたりの至近距離まで近づくと動きを止めた。鼻孔が膨らみ、噛みしめた牙の隙間から炎が漏れ出す。ドラゴンブレスをチャージしているのだ。

 もはや一刻の猶予もない。

 「食らえ!」

 力任せに少女をふりほどくと、ディオンは爆薬を黒龍の眉間めがけて投げつけた。

 「よし、狙い通りだ!」

 ディオンは拳を握りしめる。

 しかし、爆薬が命中する直前に、黒龍が翼を大きく羽ばたかせたのだ。土煙が巻き起こり、激しい風にあおられた爆薬は目標を外れて天井を支えていた石柱に命中する。

 「そんなバカなっ!」

 石柱は轟音と共に粉砕された。それが引き金になり、連鎖的に残りの石柱も崩れ落ちていく。

 大崩壊が始まった。

 「迷宮が!」

 天井が崩れ落ちてくるのを見て、少女の表情が絶望の色に染め上げられる。

 緻密な設計により絶妙なバランスで構築されていた迷宮は、一本の石柱の破壊がきっかけとなって加速度的に崩落範囲を広げていった。

 「逃げるぞ。走れ!」

 突然窮地に立たされてしまった。このままでは生き埋めになる。ディオンは少女の手を掴むと、全力で階段を駆け上がる。

 背後から苦悶に満ちた咆哮が聞こえてきた。黒竜グラスノチェダールはその巨体が災いし、崩れ落ちる岩盤から逃れることができない。

 断末魔の悲鳴も、すぐにダンジョンの崩壊音に掻き消された。

 どこをどう走ったのか記憶がない。気がつくと地上への脱出に成功していた。

 全身埃まみれだが、幸い怪我はないようだ。

 「怪我はないか?」

 「こほっ……はい」

 少女は、咳き込んでからうなづいた。埃で顔が真っ白だが、無事らしいのでほっとする。

 振り返ると、ダンジョンは跡形もなくなっていた。

 地表部分も、隕石でも落ちてきたかのようにクレーター状にごっそりとえぐれて陥没している。地下に至ってはどんな惨状になっているのか想像もつかない。

 「ううっ。ぞっとするな」

 さすがのディオンも、この結果は予想外だった。

 爆薬を使って黒龍を一時的にでも足止めできれば御の字と思っていたのに、まさかダンジョンごと崩壊するなんて。

 「結果オーライってことかな。とにかく俺がドラゴンを倒したんだ」

 冒険者なら知らぬ者はない、黒龍グラスノチェダール。自然界の頂点に君臨する畏怖すべき覇王を、過程はどうあれディオンはたったひとりで退治したのだ。

 いつの間にか、周囲に人垣ができていた。

 顔なじみもちらほら見える。宿屋のおやじに定食屋のおばちゃん。彼らはディオンとは一定の距離を置きながら、いぶかしげにこちらを見ていた。

 「あれはディオンじゃないか?」

 「そうだ。顔は真っ白いが、『猪突猛進』のディオンだよ」

 街の人たちの囁き交わす声が耳に入る。

 「ものすごい音が聞こえたが、いったい何があったのかね?」

 魚屋のご隠居が不安げな目で尋ねてくる。ダンジョンの崩落は、少し離れた場所にある市街にも轟いたらしい。

 事情を説明していくと、話の途中で街の人たちが怯えた顔でざわめき始めた。

 「ダンジョンが破壊されたって?」

 「まさか、黒龍が目覚めるなんて……」

 「ヤツが暴れ出したら手がつけられない。すぐに避難の準備だ!」

 ディオンは、浮き足立つ人々を落ち着かせるために堂々と両手を広げ、一歩前に進み出た。

 「みんな、心配はいらない」

 街の人たちをゆっくりと見回す。たっぷりと勿体をつけてから、声高らかに宣言した。

 「俺が、黒龍グラスノチェダールを倒したぞ!」

 「なんだって!?」

 人々は互いに顔を見合わせる。

 「それは本当か?」

 「まさか、あのディオンが?」

 「安心してくれ。ダンジョンはぶっ壊れたけど、黒龍は永遠にがれきの下だ」

 「そうか……」

 ようやく人々は状況を飲み込んだらしく、あちこちから称賛の嵐が巻き起こった。

 「あいつは王国警備隊でさえ歯が立たなかった『伝説の』モンスターだ。なんとか迷宮に封じていたが、万が一地上に現われたら大変なことになっていただろう。君は街のみんなを救った勇者だ!」

 「俺は、ただみんなを救いたかっただけだ」

 あまりにみんながほめるので、かえって恥ずかしくなったディオンは、照れ隠しにわざとそっけなく応じる。

 けれども、内心では冒険者としての義務を果たせたことが嬉しかった。

 『困っている人を助けるべし』それが冒険者の心得第一条だ。少女だけでなく、街の人たちみんなを救えたことが誇らしい。

 そう思ったら、また興奮が蘇ってきた。

 「俺があの黒龍を倒した、初めての冒険者だ!」

 拳を天に向かって突き上げる。そして子供たちにせがまれるまま、爆薬を使ってダンジョンを破壊し、黒龍を岩盤の下に埋めた顛末を語った。

 「それは本当か?」

 突然、後ろの方で声が聞こえて、ディオンを囲んでいた人垣がふたつに割れた。

 銀色の鎧に身を包み、槍を持った男たちが進み出てくる。胸甲には双頭の蛇の紋章。

 泣く子も黙る王国警備隊だ。

 「ディオンといったな。今の話は事実か?」

 先頭の赤マントの隊長が念を押す。

 「えっ? ああ」

 無邪気にディオンはうなずいた。

 「ドラゴンを倒してダンジョンを破壊したことを認めると?」

 「そうだ」

 「そうか。それはお手柄だな。君は黒龍退治の勇者というわけだ」

 「いやー、勇者だなんて、照れるなぁ。ははは」

 頭をかいてにやけるディオンとは対照的に隊長の声は冷たく、強面の顔からはどんな感情も読み取れない。

 「それではご同行願おうか」

 「同行? どこに?」

 隊長は返事をしない。代わりに無言で顎をしゃくると、左右の兵士たちがさっと槍を構えた。

 ディオンは警備隊に取り囲まれ、隣にいた少女からも引き離されてしまう。それで遅まきながらようやく不穏な気配に気がついた。

 「おい、なんのつもりだ!」

 「冒険者ディオン。貴様をダンジョン破壊罪で逮捕する」

 抵抗する間もなく手錠を掛けられる。

 その日、ディオンは勇者となり、同時に前代未聞の犯罪者となった。