このダンジョンの設計者は元勇者です(2)

第一章 華麗なる転職

 「人生なんてわからないもんだなァ」

 水桶に積まれた食器皿を、ディオンはひたすら洗っていた。

 「ううっ、冷てぇ」

 夏も終わりに近いこの季節。井戸から汲んだ水は、氷の刃のように容赦なく手に突き刺さる。

 背後の扉の向こうからは、冒険者の陽気な笑い声が聞こえてくる。ほんの一か月前までは、ディオンもそのひとりだったのだ。迷宮に潜ったあとは、疲れを癒やすためにたらふくうまいものを食べ、仲間に今回の冒険の自慢話をする。

 食器とは料理を食べるためのもので、あかぎれを作りながら洗うものではなかったはずだ。

 「しっかりやってるか? これも追加で洗ってくれ」

 フロアから戻ってきた居酒屋ぽっぽ亭の主人──ポルコが、食べ残しの入った皿をディオンの前に積み上げる。それから水桶をのぞき込んで渋い顔をした。

 「なんだ。まだこれっぽっちしか洗えてないのか? 遅い遅い遅ーい! 仕事は山ほどあるんだぞ。皿洗いが終わったら、包丁磨きと店の前の掃除だ」

 「クラーケンじゃあるまいし、そんな一度にできるかよ。俺の手は二本しかないんだぞ……おっと、しまった!」

 洗った皿を脇に置こうとして、ディオンは手を滑らせた。ぽっぽ亭の中でも一番高価な陶器の皿が床に落ちてパリンと割れる。

 ポルコは、エプロンのポケットから取り出した手帳を確認する。

 「これで七枚目か。おまえ、人は救えるのに皿は救えないんだな」

 「皿が勝手に逃げていくんだよ。ったく、皿洗いはゴブリン退治より難しいぜ。だいいち、今まで冒険しか経験ないんだからしかたないだろ」

 「警備隊の連中、おまえから冒険者免許を取り上げたんだろ?」

 ポルコは、気の毒そうな目でディオンを見つめる。

 「冒険者免許がなけりゃ迷宮に潜れないし、財宝を集めることもできないんだろ。商売あがったりじゃないか」

 「ああ。だからこうしてここで働かせてもらってるんじゃないか」

 「街を救ったからダンジョンを壊したことはお咎めなしになったとはいえ、おまえも苦労してるんだなぁ。うんうん」

 ディオンの背中を叩きながら、ポルコはエプロンのポケットから小さな革袋を取り出した。

 「今日までの給金だ。これっぱかししかないが受け取ってくれ」

 「ど、どういうことだ? 働き始めてからまだ十日だぞ。一か月の契約って話だったじゃないか」

 「はっきり言って、おまえこの仕事は向いてないよ。このペースで皿を割られちゃ商売あがったりだ。すまないが他の仕事を探してくれ」

 三軒目の仕事先をクビになった瞬間だった。

 「大丈夫、おまえならきっとどこだってやっていけるさ」

 「たった今、俺をクビにした人間の言うセリフじゃないと思うんだが」

 「さっき割った皿の分だけは引かないでおいてやるよ。じゃ、今度は客としてきてくれよな」

 受け取った革袋は、涙が出るほど軽かった。

 律儀に残った皿洗いだけはきっちりと済ませて、ディオンはぽっぽ亭を出る。

 すっかり日は暮れていた。これから酒場に繰り出すだろう冒険者たちが、陽気な歌を歌いながら横をすり抜けていく。

 ほんの一か月前までは、自分もあの中に混ざっていた。迷宮で手に入れたお宝を手に、意気揚々と街を闊歩していたものだ。それがこんなことになるなんて。

 「人生なんてわからないもんだなァ」

 今や口癖となってしまったセリフが飛び出す。ポルコに言われたように、ディオンは冒険者の資格を失っていた。ぽっぽ亭のバイトもクビになり、今や無職というわけだ。

 腹の虫がキュウと鳴る。

 そういえば、今日は朝から何も口にしていない。せめて賄い飯を食べてから辞めればよかった。今からでも店に戻ろうか。ポルコもそれくらいは許してくれるだろう。

 「いやいや。何をみみっちいことを思ってるんだ。たとえ免許がなくたって、冒険者の気概だけはなくさないぜ」

 『冒険者は常に堂々たれ』それが心得第二条だ。

 夕飯は干しイモで我慢すればいい。そう決めて、ディオンは公園へとやってきた。

 大通りから外れた場所にある公園は、昼間こそ子供たちがはしゃいでいるが、宵闇に包まれたこの時間はディオンの他は誰もいない。

 なけなしの干しイモをかじりながら、公園の池に映った自分の顔を見つめる。

 少しやせただろうか。

 ディオンは頬に手をやった。こうして見てみると、ひどくみすぼらしくなった気が……

 そこまで考えた時だった。

 「だめっーーーー!」

 背後から声がしたかと思うと、背中に激しい衝撃を受けていた。あっと思う間もなく突き飛ばされて、そのまま池に転落する。

 「うぎゃーーーーっ、つめてぇ!」

 両手をバシャバシャさせながら、ディオンはずぶ濡れで岸に這い上がる。その前には白い服の少女が立っていた。少女は涙目で、何事か訴えかけてくる。

 「どうか早まらないで!」

 「えっ?」

 「簡単に諦めないで。生きていればきっといいことがあります。どうか思い詰めないでください。私でよければ相談に乗りますから」

 「待ってくれ。どういうこと?」

 ディオンはとまどいながらも、いったん少女の言葉をストップさせる。

 「ひょっとして、俺が池に飛び込んで死ぬとでも思った?」

 「はい。だってすっごく深刻な顔でじっと池を見つめていたから……違うんですか?」

 「違うわ!」

 冷静でいられるのもここまでだった。

 「ひえっ」

 少女はびくっと細い肩を震わせる。ディオンは詰め寄ると、

 「どんだけ思い込みが激しいんだ。池に映った自分の顔を見ていただけじゃないか。そもそも止めるつもりなら押さないでくれ。冬場だったら本当に死んでたかもしれないぞ」

 「ご、ごめんなさい。池に飛び込もうとしているって思って、とっさにタックルしてたんです」

 「おりゃ」

 思わず少女の額に軽いチョップをかます。

 「ああっ、すみません~」

 「心配してくれたのはありがたいけど、びっくりするじゃないか」

 「わたし、無我夢中になると突撃しちゃうタイプなんです」

 「今度からは、突撃の前に状況をよく確認しろよな。へっくし!」

 ディオンは大きなくしゃみをする。

 「あの、大丈夫ですか?」

 「誰のせいだと思ってるんだ……」

 「あの、よかったらこれで拭いてください」

 少女は、肩から下げたポーチからタオルを取り出して渡してくれた。

 「大丈夫だ。すぐ乾く。それより何か落ちたよ」

 タオルと一緒に落ちた紙を指差すと、少女はかがんで拾い上げた。

 「これは、ぽっぽ亭さんに頼んで、お店に貼らせてもらうつもりのチラシです」

 ディオンは、差し出されたチラシを読み上げる。

 「ダンジョン屋、従業員急募?」

 「ダンジョン屋っていうのは、わたしの会社です。文字通りダンジョンを造ったり管理してるんですけど、わたし、こう見えて社長なんです!」

 胸を張る少女のことを、ようやくディオンはまともに見た。顔は好みだし、胸は大きくもなく小さくもなく……ではなく、どう見ても自分と同い年くらいのようだ。

 「ちなみに、今いくつなんだ?」

 「十七歳です」

 「俺よりたったひとつ上。それで社長なんて、もしかしてすごく偉い人なのか?」

 冒険者しか経験のないディオンにとって、社長という肩書きは国王に匹敵するほど立派なイメージだった。金ピカの建物の中で、豪華な椅子にふんぞり返っているような。

 「チョップしたりして悪かった」

 「とんでもない。わたしが早とちりしたのがいけないんです。それよりも、先日はお世話になりました。改めて御礼申し上げます」

 「ん? 誰だっけ?」

 急に改まって挨拶されて驚いた。冒険者仲間にこんなかわいい子いたっけかなと首をひねっていると、少女はくいくいと自分の顔を指差す。

 「わたしです! ほら、迷宮で助けていただいた」

 赤いリボンで結ばれた髪を見て、記憶の焦点が結ばれた。

 「思い出した! ダンジョンの人か!」

 「ダンジョンの人!?」

 「あの時はゴーグルを付けていたからわからなかったよ。気づかなくて悪かった」

 「メイアです」

 深々とお辞儀をするメイアに、ディオンも名乗らざるをえない。

 「俺はディオン。ディオン・ファンデルだ」

 「知ってます」

 「……だよな」

 この街でディオンを知らない人間はいない。今や話題沸騰の時の人なのだ。

 「怪我はなかったみたいだね」

 「はい。あなたのおかげで助かりました。もし手を引っ張ってくれていなかったら、崩れ落ちる天井の下敷きになっていたかも」

 「ならよかった」

 「そのお礼がしたくて、ずっと捜していたんです。お宅にも伺ったんですが、ディオンはもう出ていったって言われて困ってたんです」

 「下宿屋は引き払ったんだ。少しでも倹約したくてさ」

 「あのう、やっぱりあの噂は本当なんですか?」

 メイアが、あたりを見回しながら声を潜める。

 「噂って?」

 「あなたが借金取りから逃げ回ってるって噂です。わたし、その噂を耳にしていたから、ディオンを見つけた時、いよいよ覚悟を決めちゃったんだ、止めないとって思っちゃって」

 「ないない。そもそも借金取りから逃げ回ってないし、覚悟も決めてないから」

 どうやらメイアは、自分が言うように早とちりしがちな性格のようだ。うまく喋れる自信はないが、ここはきちんと事情を伝えておいた方がいいだろう。

 「とりあえず座って話さない?」

 話せば長くなるので、近くのベンチに並んで腰を下ろす。

 「ダンジョンをぶっ壊した後の俺のことは知ってる?」

 「はい。噂でばっちり耳にしてました」

 頷くメイアに不安が芽生えたので、念のため逮捕されてからのいきさつを説明する。

 「警備隊に連行されて、そのまま牢屋に放り込まれた。罪状はダンジョン破壊罪だそうだ」

 一晩中抗議をしたが相手にされず、声も枯れ果てた翌朝、牢屋の柵越しに一枚の書類が差し出された。それは、ディオンの冒険者免許を永久的に取り上げるというダンジョン協会からの通達だった。

 「免許がなけりゃ迷宮に潜れないし、財宝を集めることもできない。いきなり人生詰んだってわけさ」

 「そんなのおかしいじゃないですか。ディオンは黒龍から街のみんなを救った勇者なのに」

 「そう言ってくれる人もいるんだけど、ダンジョンを壊したのは本当だからなぁ。だけど、街の人たちが俺のために署名活動をしてくれたんだ。黒龍が外に出て暴れ回ったら街は火の海になっていたはすだから、どうか罪を赦してやってほしいって」

 「ですよね。わたしもそう思います」

 メイアは力強く同意する。

 「それを聞いた時は嬉しかったな。で、ダンジョン協会が無視できなくなって、結局冒険者免許は取り上げるけど、ダンジョン破壊罪はお咎めなしってことになったんだ」

 「そうだったんですか。でも、ダンジョンを壊したことで、多額の借金を抱えたって聞きましたけど」

 「違う違う。確かに一度はそういう話もあったけど、みんなの声が後押しになって、こっちもお咎めなしになったんだ。だけど、ダンジョンを壊したのは本当だし、何もしないってわけには……だから責任を取って」

 「ちなみにおいくらですか?」

 「ダンジョン協会の管理官は、二〇億ギルダーって言ってたな」

 「ひえっ」

 メイアが白目を剥いて倒れそうになるのを、ディオンは慌てて支えてやった。

 「おい、大丈夫か?」

 「二〇億ギルダーなんて、額が大きすぎて想像できないです。それをひとりで弁償するつもりなんですか?」

 「俺がやったことだ。責任は取る」

 「お咎めなしなんだから、お金を払う必要はないと思うんですけど……」

 「今回の件でみんなに迷惑をかけたのは本当なんだ。何もしないわけにはいかないよ」

 「そうだったんですか……」

 「弁償するために、これまで冒険で貯めた貯金とバイト代でこつこつ払っているんだが、まだまだ全然足りない。それで生活を切り詰めてるってわけさ」

 「ごめんなさい」

 不意にメイアは顔を伏せた。

 「わたしのせいでもあるんですよね。わたしがダンジョンでモタモタしていなければ、こんなことにはならなかったのに……」

 「別に君のせいじゃない。俺の腕が未熟だったから、あんなやり方しかできなかったんだ。もっと剣技を磨いておけばよかったんだ」

 ディオンは腰に吊した愛剣パラムドリムの鞘を叩いた。身のまわりの物は全て売り払っても、これだけは売らずにいた大切な家宝だ。

 「本当にごめんなさい」

 「だからもういいんだって。俺は、俺のしたことが間違っていたなんてこれっぽっちも思ってない。後悔なんてしていないさ。それに、俺、頭が悪いから難しいことはわかんないけど、いつだって顔を上げて生きていきたいしな」

 「わたし、ディオンのことを尊敬します!」

 「よしてくれ。恥ずかしいだろ」

 真っ直ぐにほめられて照れくさくなったディオンは、動揺しているのをごまかすために、メイアのチラシを目で追った。

 『アットホームで楽しい職場で働きませんか? 経験者優遇。住み込みも可能です』

 「住み込みも可能!?」

 思わず二度見してしまう。

 「なあ、これって本当か?」

 「はい。社員寮は個室なので、福利厚生もばっちりです」

 「なんておあつらえ向きなんだ!」

 思わずディオンは手を叩いていた。

 「応募する! 面接はいつ? できれば明日から入社させてくれ! いや、明日とは言わず、今日からでも!」

 下宿を引き払い、ぽっぽ亭もクビになって、今夜はこのベンチが寝床になるだろうと思っていたディオンにとって、住み込みの仕事は願ってもないものだった。これで夜露に頬を濡らしながら眠らずにすむ。

 「頼む。このとーり!」

 両手を合わせて伏し拝むと、メイアがその手を包み込むように握りしめて尋ねる。

 「ひとつだけ確認してもいいですか。ディオンは、迷宮設計士の資格を持ってますか?」

 「めいきゅう……なに?」

 「迷宮設計士の資格免許です」

 「なにそれ。聞いたことないんだけど」

 嫌な予感がする。免許といったら冒険者免許しか思いつかない。

 「ひょっとして、君の会社に入るには、その迷宮設計士免許が必要なのか?」

 「はい。このチラシにもちゃんと書いてあります」

 メイアの指差した先には、赤文字でしっかりと『要迷宮設計士免許』と記されていた。

 「気づかなかった……『住み込み可能』しか目に入らなかった。くっ……今夜も硬いここが俺の寝床か」

 硬いベンチを手で触る。

 「あ、大丈夫です。今の質問は忘れてください」

 メイアが、大きく首を振りながら言い直した。

 「えっ? だって免許が必要なんだろ?」

 「ええ。でもたとえば見習いとしてなら大丈夫じゃないかなあと」

 (視線をそらしたままそんなこと言われても、説得力皆無なんだが……)

 そう言いかけて思いとどまる。ここで余計なことを言ってメイアの気が変わったら困る。

 代わりに口をついて出たのは「お願いします」の一言だった。

 「こちらこそ、これからよろしくお願いします」

 「ありがとう社長!」

 「メイアでいいです。社員はみんなそう呼んでますから」

 「そっか」

 気軽な感じで名前を呼べるのが嬉しかった。

 「メイア」

 「なんですか?」

 「メイア」

 「だからなんですか?」

 「悪い。ちょっと呼ぶ練習をしてみただけだ」

 同い年くらいの女子を名前で呼ぶのは初めての経験なので、緊張してつい二回呼んでしまった。冒険者仲間はむさ苦しい男しかいなかったのだ。

 「えー、そんな練習、しなくてもいいですよぅ。普通に呼んでください。普通に」

 メイアが唇を尖らせる。怒っているわけではないようなのでほっとした。

 「では行きましょうか。ついてきてください」

 「ちょっと待った。その前にひとつだけ質問がある」

 「なんですか?」

 「……いや、やっぱいいや」

 『ダンジョン屋』って、具体的にはどんな仕事してるんだ? 迷宮設計士って何?

 そう聞こうとしたのだが、今度こそ本当に失望されるのが嫌だったので、咳払いをしてごまかしつつ、ディオンはメイアのあとをついていった。