このダンジョンの設計者は元勇者です(3)

 南の街外れのうらさびれた一角に、その店はあった。レンガ作りの一軒家。赤い切妻屋根から伸びた煙突と、壁を覆い尽くしているツタが魔女の屋敷を連想させる。

 「こんな店があったのか」

 軽く百年は経っていそうな建物を見上げてディオンはつぶやく。

 玄関扉の上の壁には『ダンジョン屋』と手書きの看板が取りつけられていたが、年季が入っているせいで、ところどころペンキが剥げている。おまけに微妙に傾いているのが、なんとも切ない気分にさせた。

 「中へどうぞ。まだみんな残業しているはずだから、紹介します」

 「ああ」

 若干緊張しつつ、ディオンは扉をくぐって店の中へと足を踏み入れた。

 そのとたん、部屋の奥から黒い物体がものすごい速さで飛びかかってきた。

 「うおっ!?」

 ディオンは身の危険を感じ、反射的に飛びすさる。

 しかし、とっさの行動ゆえの悲劇というべきか、扉の鴨居に頭をしこたまぶつけてしまった。

 「ぐはっ!」

 激しい痛みが後頭部を走り抜け、目から火花が散ってうずくまる。

 そこに何かがのしかかってきた。

 獣の臭いとうなり声。

 (やばい。食われる!)

 総毛立った次の瞬間、頬をぺろぺろ舐められた。

 「……ん?」

 違和感を覚えておそるおそる薄目を開けると、人懐っこそうな目と目が合った。

 「犬?」

 ではない。よく見ると首が三つある。魔犬と呼ばれるケルベロスだ。三つの頭が同時にディオンの頬を舐めたり匂いを嗅いだり頭をこすりつけたりしてくる。

 「くすぐったい。やめてくれー!」

 体を入れ替えて逃げようとするが、ケルベロスは重くて動けない。メイアに助けを求めたが、彼女もおろおろするばかりだ。

 このままでは全身ケルベロスの唾液まみれになってしまう。泣きたくなっていると、どこからか鋭い声が響いた。

 「戻れ!」

 女性の声だ。ケルベロスは直ちに反応し、ディオンから離れて部屋の奥へと戻っていく。

 「やれやれ。ひどい目にあった」

 ディオンはよろよろと立ち上がる。服の袖をつまんで臭いを嗅ぐと犬臭かった。

 「最悪だ……」

 「ごめんごめん。この子たち、久しぶりのお客さんが嬉しかったみたい」

 鞭を持った女性が近づいてきた。

 ゆるやかにカールした緑の髪と琥珀色の瞳。黒のレザースーツを着ているが、豊かすぎる胸がそれを内側から押し上げていて、ぱつんぱつんに張り詰めている。

 「あたしはサンディ」

 ウインクをして右手を伸ばしてくる。メイアにはない大人の余裕を感じた。年上の女性と話す機会が少ないディオンは緊張してしまい、おっかなびっくり握手する。

 するとサンディはディオンの手に顔を近づけていき、くんくんと鼻を鳴らした。

 さらに舌を出し、ちろりと手の甲を一舐めされる。

 「わわわっ!」

 動揺したディオンは、サンディに舐められた右手を押さえながら、すすすと距離を取る。

 「ふふ。君の匂い、覚えちゃった」

 サンディは妖しく微笑み、ディオンは助けを求めてメイアを見た。

 「彼女はモンスター調教師。頼りになる、わたしにとってはお姉さんみたいな存在です」

 初めて聞く職業だった。しかし、言われてみれば、さっきまでディオン相手にはしゃぎまわっていたケルベロスは、サンディの足下で借りてきた猫のようにおとなしい。

 ケルベロスは凶暴なモンスターで、冒険者にとっては手強い相手のはずなのだが、この様子を見る限りそんな気配はまったくなかった。

 「これ、あんたが飼ってるのか?」

 ケルベロスを指差すと、サンディに思いっきり足を踏まれた。ヒールの先が突き刺さる。

 「いってえ!」

 「これ、とか言っちゃダメ。この子たちには、ちゃんと名前があるんだから。右の首からケル、ベル、ロス」

 ケルベロスは、サンディが頭を撫でるのに合わせてワン、キャン、ヒャンと鳴いていく。

 「……覚えやすい名前だな」

 あえて安直とは言わないでおく。ヒールの次は鞭が飛んできたらかなわない。

 「この子たち、君が気に入ったみたい」

 「それはどうも」

 メイアから借りたタオルで顔を拭いてから、ディオンは室内を見回した。ようやく周囲を確認する余裕ができたのだ。

 「ここは事務室です。二階は社員寮になっていて、サンディたちが住んでます」

 「俺の部屋もあるんだよな?」

 そこが一番重要だった。

 「もちろんです。一番手前の部屋が空いてますから使ってください」

 「ん? ちょっと待って」

 サンディは、メイアとディオンを交互に見つめる。それまでの笑顔が曇り、怪訝な表情へと変わっていく。ディオンを指差して、

 「彼、ウチのお客さんじゃないの?」

 「今日から一緒に働くことになったんです」

 「ねぇシローネ、聞いてる?」

 サンディは、事務所の奥に呼びかけた。書類が山積みになった机から、銀縁メガネの少女がひょっこり顔を出す。

 「いいえ。わたくしは何も」

 おかっぱ頭の眼鏡少女が、フレームの位置を直しながら答える。書類の山の陰になっていて気づかなかった。

 メイアが、ガイドのように右手を伸ばす。

 「彼女はシローネ。うちの経理担当です。まだ十三歳なのに、すっごく頭がいいんですよ。去年の全国算術選手権でなんと三位に入ったんですから」

 「その話はいいですから」

 シローネは椅子からぴょんと飛び降りると、てててっと小走りにやってきた。ディオンよりも頭ひとつ分くらい背が低い。

 「どうして事前に相談してくれなかったのです? 社員の採用面接は、わたくしの仕事のはずでしょう?」

 シローネは、ディオンを無視してメイアを見上げる。

 「勝手に決めちゃってごめん。困っている様子だったから、どうしても放っておけなかったの」

 「メイアのそういうところ、嫌いじゃないけどよくないですわ」

 「ごめんなさい」

 「まあいいですわ。で、これが新人ですの?」

 シローネは、ようやくディオンに視線を移す。会った早々『これ』呼ばわりされて、さっきサンディが怒った気持ちがよくわかった。これからは、相手のことはきちんと名前で呼ぼう。

 「お近づきのしるしですわ」

 シローネが右手で風車を差し出した。羽根の部分に和紙を貼り合わせた手作りのものだ。

 「あ、どうも」

 なにげなく受け取ると、今度は左の手のひらを上にして差し出してくる。

 「二百ギルダーです」

 「金取るのかよっ!?」

 「これはウチのれっきとした商品です。わたくしが丹精こめて作ったのですから、労働の対価をもらうのは当然のことですわ」

 「商品っていうか、シローネが趣味で作ったものだけど」

 「サンディは黙っていてくださいませ!」

 「はーい」

 絶妙のタイミングでサンディが突っ込み、すかさずシローネが反撃する。このふたり、見た目もスタイルも対照的だが、息はぴったり合っているようだ。

 「金を取るならいらないよ」

 「受け取ったからには返品お断りですわ」

 シローネは手を緩めない。意外としつこい性格のようだ。

 「あいにく持ち合わせがないんだよ」

 「でしたら、代わりにその剣を引き取ってもよろしくてよ」

 シローネは値踏みをするようにメガネのレンズを光らせる。ディオンは慌てて腰に吊した剣を握りしめる。

 「こいつは先祖代々伝わる家宝なんだ。何があってもこいつだけは渡せない」

 「なかなかの業物と見ましたわ。確かに風車の対価としては釣り合わないようです。今の話は忘れてください」

 「当たり前だ!」

 「では二百ギルダーいただきます」

 「結局、金は取るのかよ! 断固拒否する!」

 「むきになっちゃって。か・わ・い・い」

 横でやりとりを見ていたサンディが、ディオンの髪をくしゃくしゃにする。

 それから髪を一房つまみ上げると匂いを嗅いだ。

 「よせって!」

 ディオンは、ダンジョン屋に来たことを後悔し始めていた。サンディといいシローネといい、ダンジョン屋の社員はくせ者揃いだ。まともなのはメイアだけか……

 そのメイアは、これまでのやりとりを見ながら、ずっと楽しそうに微笑んでいた。シローネが引き下がるタイミングを見計らって、改めてディオンを紹介する。

 「今日からダンジョン屋に〝見習い〟として入ることになったディオンです。みなさん、なかよくしてあげてください」

 「ディオンだ。よろしく」

 名乗ったとたんに、サンディとシローネは無言で素早く視線を交わし合った。

 「ディオンって、あの『猪突猛進』のディオン?」

 確認するように、サンディが尋ねる。

 「ああ」

 サンディの問いにうなずくと、シローネがそっとメイアの袖を引っ張った。

 「ちょっとよろしくて? サンディも」

 シローネが、ふたりを連れて奥の部屋へと引っ込んでいく。

 「なんなんだ?」

 首を傾げるディオン。しばらくはおとなしく待っていたが、いつまで経っても誰も戻っててこないので、手持ち無沙汰になってきた。

 暇つぶしに事務室の中をブラブラする。

 玄関を入ってすぐのこの部屋には、机がいくつか並べられていた。シローネの机にはソロバンが置かれていて、数字の書かれた紙束が散乱している。ペットフードが落ちているのはサンディの机だろう。その脇でケルベロスが丸まっている。ディオンにはもう関心がないようだ。

 壁に沿って本棚があり、『美術的建築史Ⅰ』だの『トラップ大全』などという難しそうな書物が並んでいた。右手には仕切りがあって、その奥には来客用のソファが置かれている。反対側には給湯室。正面にはシローネたちが入っていった建物の奥へと続く扉がある。二階への階段も、おそらく向こうにあるのだろう。

 「なんだこりゃ?」

 メイアの机の上に、書類に紛れて円筒形の物体がある。整頓されている机の中で、それだけが妙に浮いていた。

 「万華鏡か」

 穴を覗きながら回してみると、色とりどりの幾何学模様が回転しながら映し出される。幻想的で心奪われる鏡の世界が展開していく。

 「おっと、つい夢中になっちまった」

 我に返って、万華鏡をそっと元の場所に戻す。

 「それにしても遅いな」

 いいかげん事務所も探索し尽くした。元々気が長くはないディオンはそれでも何度かためらったあげく、とうとう我慢できずに奥の扉へと近づいていく。

 忍び足で歩いていったのは、冒険者として迷宮を探索していた習性が無意識のうちに染みついていたからで、決して他意があったわけではない。

 扉に耳を当てて精神を集中させると、辛うじて声が聞き取れる。

 「……ですから、彼は断った方がいいと……」

 扉越しでくぐもってはいるが、あの甲高い声はシローネに間違いない。会話の内容は断片的だが、『彼』というのが自分を指していることくらいディオンでもわかる。

 「……メイアは人がよすぎるんですわ。おかげでどれだけ迷惑したことか……」

 「まあまあ」

 なだめているのはサンディだろう。メイアの声は拾えないが、シローネの意見に反論しているのが気配でわかる。

 自分のことで、なにやら深刻な話し合いをしているらしい。息を殺しつつ、扉にいっそう体を密着させた。

 その瞬間。

 「誰っ!?」

 サンディの声がしたかと思うと、扉が内側に開けられる。バランスを崩したディオンは、そのまま奥の部屋へと転がり込んだ。

 「あいたたた……」

 腰を押さえながら顔を上げると、シローネが腰に手を当てて仁王立ちしていた。

 「盗み聞きとは、よい趣味ですわね」

 「違うんだ。あんまり遅いから気になっただけなんだよ」

 シローネにゴミを見るような目で見られて、しどろもどろで言い訳をする。

 「まあどうでもいいですわ。どうせ出ていってもらうのですから」

 シローネが、メガネのブリッジを人差し指で押さえて言い放つ。

 「さあ、早く出てお行きなさい! うんしょ!」

 シローネがディオンを押すが、鍛え抜かれた体はその程度ではびくともしない。

 「待ってくれ。いったいどういうことなんだ?」

 急に態度が変わったことが解せない。シローネの頭を押さえて適当にあしらいながら、メイアに尋ねる。

 口を開きかけるメイアより早く、サンディが答えた。

 「君の採用をやめろってシローネが主張してね。それで揉めてたってわけ」

 「なんだよそれ。俺が何したっていうんだ」

 「当然の結論ですわ」

 シローネは、ディオンを押し出すのをあきらめたのか、肩で息をしながら睨んできた。

 「疫病神ディオン。わたくしが知らないとでも思っていましたの?」

 「それって、ダンジョンを壊したことを言ってるのか? 確かに壊したのは本当だし、みんなに迷惑をかけた分は、何年かかるかわからないけど責任をもって弁償するよ」

 「だったら、ウチにも迷惑料を払っていただきたいものですわ。今すぐに」

 シローネがすかさず手のひらを上にして差し出してくる。

 「どういうことだ?」

 「やっぱり何もわかっていませんのね。……まあ、それはそれとして、そもそも迷宮設計士の資格がない人ができる仕事なんてここにはありません。お引き取りください」

 「シローネ!」

 それまで黙っていたメイアが止めた。

 舌鋒鋭く責め立てていたシローネも、さすがに口を閉ざす。

 「見習いなので資格はなくていいし、資格も……本人が望むなら取ってもらいます。誰だって最初は新人だし、要はやる気があるかないかじゃないかと」

 メイアは、拳を握りしめながらディオンを見つめてきた。

 「そうさ。やる気なら誰にも負けないとも!」

 それを見て、シローネはあきれ顔でため息をつく。

 「メイア、またひとりで突っ走っちゃって。サンディ、なんとか言ってあげてくださいな」

 「もう決めたの?」

 サンディの問いかけに、メイアはうなずく。

 「なら、あたしは構わない。仕事は大勢の方が楽しいし」

 サンディはメイアの肩を叩く。それからディオンにひらひらと手を振って、髪をなびかせながら隣の事務室へと戻っていった。

 「あ、ちょっとサンディ! もう、自分だけ物のわかった大人みたいな態度を取るなんてずるいですわよ!」

 地団駄を踏むシローネに、メイアが向き直る。

 「聞いてシローネ。ディオンは、わたしにとって命の恩人でもあるんです」

 「だから、恩を返すのは当然とでも?」

 「それだけじゃない。わたしがディオンに一緒に働こうって言ったの。迷宮設計士は一度交わした約束は必ず守らなきゃいけない。そう父さんはいつも言ってた」

 「それとこれとは話が違いますわ。何より彼は、自分がしでかしたことの重大さを本当に理解していません。わたくしはそれが許せないんです」

 「たしかにディオンのことを悪く言う人もいます。だけどわたしはディオンの行動が正しかったと思うし、誰にも命じられてもいないのに自分から償いをしたいというディオンの気持ちにも感動したの。だから、今度はわたしが助ける番だと思って。だからシローネ。お願い」

 「むぅ」

 シローネは頬を膨らませながら席を立つ。その際、わざとらしくディオンの足を踏みつけた。

 「あら、ごめん遊ばせ」

 謝罪の意思が全く感じられない棒読みでシローネは呟くと、小走りに部屋を出て行く。

 それを見てメイアが頷く。

 「よかった。納得してくれたみたい」

 「どこがだよ……」

 どうやらメイアは他者の行動を好意的に解釈する性格らしい。シローネが部屋を出て行ったのを、承諾の証と受け取ったようだ。

 「これでディオンもダンジョン屋の仲間ですね」

 「でも、本当にいいのか? なんかあんまり歓迎されてないような」

 ディオンはためらいがちに尋ねる。さっきまではあれほど必死だったのに、自分のせいでシローネたちとの仲がぎくしゃくしたのかと思ったら、なんだか悪い気がしてきたのだ。

 「なんの問題もないですよ」

 メイアは咳払いをして表情を改める。

 「それでは、ディオンは今日から迷宮設計士見習いという立場でよろしくお願いします」

 「こちらこそ」

 握手をしようと手を差し出したところに、隣の部屋からシローネが乱入してくる。

 ディオンの目の前に、箒とちりとりが突き出された。

 「えっと、これは?」

 とまどっていると、シローネは薄い胸を精一杯反らしながら、メガネをキラーンと光らせた。

 「掃除に決まっていますわ。事務所をぴかぴかにしてもらいますから」

 「もう夜も遅いんだけど、こんな時間に掃除しろってか?」

 「今日から働くって言いましたよね。ウチは無駄飯を食べさせておく余裕はありませんの。給料分はきっちり仕事をしてもらいますわ」

 「いってえ!」

 シローネに背中を思い切り叩かれて、ディオンはのけぞる。

 「あの、わたしも手伝いましょうか?」

 「掃除は見習いの仕事ですわ。メイアは自分の仕事に専念してくださいませ」

 メイアはシローネに追い出される。

 「手を抜いたら許しませんわよ。あなたのお給料なんて、経理のわたくしのさじ加減ひとつですから」

 「横暴だ!」

 「うるさい。さっさとやる!」

 シローネに一喝される。

 こうして、ディオンのダンジョン屋での一日目は、徹夜の掃除で更けていったのだった。