このダンジョンの設計者は元勇者です(7)

 まだ昼前だというのに、ぽっぽ亭の前には長蛇の列ができていた。

 「二列に並んでお待ちください。危険ですから押し合わないでくださいねー」

 『最後尾』の看板を持って、メイアが客を誘導している。行列はぽっぽ亭の前を横切り、角の路地を曲がってもまだ続いている。常連客もちらほらいたが、初めて来たらしい親子連れも多かった。

 「いやー、まさかこんなに評判になるとは思わなかった。おまえたちのおかげだよ」

 ポルコがほくほく顔で、ディオンの手を取る。

 「正直、最初は疑ってたんだ。だけど見てくれ。蓋を開けたらご覧の通りの大繁盛。おかげで店も昼前から大賑わいだ」

 「迷宮テントに入った客が、そのまま店に流れて飯を注文するって流れは完璧だろ」

 さまざまな仕掛けが施された迷宮テントの中には、ぽっぽ亭の割引券が隠されている。それを見つけた客が休息がてら店に入れば必然的に売上げが伸びるのでないかという、ディオンのもくろみはばっちり当たった。

 「これからもダンジョン屋をよろしくお願いしますわ」

 メイド服姿のシローネが、スカートの裾をつまんでポルコに礼をする。

 今日は特別サービスデーと称して、ダンジョン屋の社員総出でぽっぽ亭の手伝いに来ていた。

 シローネはフリルのついたピンクのワンピースに黄色のリボンタイ。エプロンとヘッドドレスを着け、ウェイトレスの仕事をこなしている。

 「シローネちゃーん。フルーツパフェ追加でお願いしまーす」

 「かしこまりました。ただいま伺いますわ」

 客の注文に、シローネは身を翻して店内へと戻っていく。てきぱきと給仕をし、客に頼まれれば毒舌のスパイスも添えてくれる。

 「七番テーブルのあなた、さっきからパフェばっか食べ過ぎじゃないですの? 店の収入になるからわたくしは構いませんけど、健康には気をつけるんですわよ」

 「シローネちゃん、こっちのテーブルにマンティコアステーキ大盛りね」

 「ちょっとちょっと、それはあなたの懐具合では背伸びしすぎですわよ。悪いことは言わないからコカトリスの唐揚げ定食にしておきなさい。おまけに青ブドウジュースをつけますから」

 そんなツンケンさが逆に話題を呼んだ。

 「さあさ、お立ち会いー。次はケルベロスちゃんの出番ですよ」

 裏庭では、サンディによるモンスター曲芸ショーが始まっていた。胸元に大きくスリットの入った黒のボンテージスーツに身を包み、鞭を自在に操ってケルベロスに玉乗りをさせている。

 サンディの刺激の強すぎる衣装に興奮した常連客が殺到し、奥さんに耳を引っ張られて出ていくオヤジたちが続出したが、子供たちは純粋だ。目を輝かせてモンスターの妙技に拍手と歓声を送っている。

 「サーカスみたいで楽しいよな」

 「おまえのアイデアなんだって?」

 ポルコが尋ねる。

 「ダンジョンだけじゃなくて、いろんな娯楽を融合させたら面白いかなって思ったんだ」

 「おかげで収入は倍増だ。手先は不器用だが、頭はなかなかまわるじゃないか」

 「俺も、いつまでも見習いの立場じゃいられないからな」

 面と向かってほめられると照れくさいのでぶっきらぼうに対応していると、行列誘導の仕事を店員に代わってもらったメイアが駆け寄ってきた。興奮気味にあたりを見回して、

 「すごい人気ですね。みんなディオンのおかげです。わたしたちだけでは、こんなアイデアは出ませんでした。見てください、ぽっぽ亭さんが、まるで遊園地みたいです」

 「いやー、ほんと大したもんだよ。ウチで皿を割りまくっていたのが嘘みたいだ」

 ディオンは、メイアについて回ったあの日の夜、書類と格闘しながらずっと考えていた。

 自分にできることはなんだろうかと。

 冒険者としてはそこそこの腕があると自負しているが、迷宮設計士の免許は持っていないのでこの業界ではただの素人だ。ダンジョンの設計図は引けないし、顧客との交渉も帳簿の管理もモンスターの調教も何もできない。せいぜい丸太を運ぶくらいが関の山だ。

 己の無力さに悶々としてベッドの上を転がっていると、ふと思いついた。

 技術がないなら、せめて知恵を出せばいいんじゃないか?

 ベッドから跳ね起き、徹夜で企画書を作成する。その数、三〇。翌日、メイアたちと慎重に会議を重ねた結果、そのいくつかがこうして採用されたのだった。

 「やはり同じ仕事ばかりしていると視野が狭くなってしまうんですね。ディオンがいてくれて本当によかった。従来の枠組みに囚われない考え方、わたしもすごく勉強になりました」

 シローネに言わせると、「素人ほど業界の常識をはみ出した革新的なアイデアを考えつく」ものだそうだ。ほめられたのか、いまいち判断はつかないが。

 「ちなみに、ボツになった企画はどんなのがあったんだい?」

 「『大迷宮ニンジャ大会』『英雄と行く海底迷宮ツアー』『秘密のうっふんラブラブ迷宮』。どれも俺の自信作だったんだけど」

 「面白そうじゃないか。ワシも入ってみたいぞ。特に一番最後のやつに」

 鼻息を荒くするポルコに、ディオンは首を横に振る。

 「コストの面で難しいんだそうだ。本当は俺もそれが一押しだったんだけどな」

 「すみません。せっかくディオンが素敵なアイデアを出してくれたのに。ウチにもう少し余裕があれば……」

 メイアは本気で申し訳なさそうにうつむいていたが、はっとひらめいたように顔を上げた。

 「そうだ! コスト削減のために、人を雇うかわりにわたしが一肌脱ぎましょう!」

 メイアが、いきなり上着に手をかける。

 「むほー、本当かい!?」

 「いやいや。嘘だから。脱がないでいいから! っていうか、おっさんも自重しろって!」

 ディオンは、ポルコの前に立ちはだかってその視線からメイアを隠す。ほんの冗談のつもりだったのに、メイアは本当に素直なので、うっかり変なことは言えないと思い知った。

 「そうですか。よかった。わたしもなんか変だと思いました」

 メイアは自分の頭をこつんと叩く。こんな感じだから、どうにもメイアは放っておけない。

 「とにかく、うちには余裕がないからせっかくのディオンの企画を形にできないんです」

 「だったら、スポンサーを見つければいいんじゃないか?」

 ディオンは、期待のまなざしでポルコを見る。

 「無理無理無理! ウチはそこまで余裕ないから! 協力したいのは山々だが、迷宮テントで精一杯だよ。すまないな」

 「だよな。知ってた」

 ため息をついた時、不意に後ろから声をかけられた。

 「スポンサーだったら、ボクが協力できるかもしれないよ」

 鼻にかかった声を聞いただけで、誰だかわかってイラッとした。振り返ると、エルゼンが薄っぺらい笑みを浮かべて立っている。

 「何しにきたんだ?」

 「とんだご挨拶だなあ。ダンジョン屋さんの仕事ぶりを拝見しに来たんじゃないか。メイア君、これはほんの気持ちだ。ボクからの祝いだと思って受け取ってくれ」

 エルゼンは、赤いバラをメイアに強引に押しつけた。

 「そこの使用人に、花瓶に活けてもらうといい」

 「困ります」

 迷惑顔のメイアに構わず、エルゼンは興味津々といった様子であたりを見回した。

 「ふぅん。予想以上に賑わってるじゃないか。だけど、この立地だとこの程度が限界のようだね。ダンジョン屋の技術を駆使したところで、収益はたかが知れてるんじゃないかな?」

 「相変わらず失礼なやつだな」

 ディオンは、思わず拳を握りしめていた。

 自分のアイデア、それ以上にメイアたちの努力を馬鹿にされて、黙っていられるわけがない。

 しかし、ディオンの拳が炸裂する前に、メイアが固い声でエルゼンに問いかける。

 「何がおっしゃりたいんですか?」

 「我が社と業務提携すれば、売り上げが十倍、いや百倍になることを保証しよう」

 「確かに…売上は増えるかもしれません……でも、やっぱり断らせてください」

 「メイア君、冷静に考えてくれたまえ。今回はたまたまうまくいったかもしれないが、ダンジョン屋の業績が年々下降線をたどっているのは紛れもない事実だ。このままだと経営は遅かれ早かれ行き詰まる。父上の代から築き上げてきたものが無になってしまうんだよ。ボクは、キミに救いの手を差しのべたいんだ。わかってくれるかい?」

 「メイアは、おまえの手なんか握りたくないってさ」

 メイアを背中にかばいつつ、ディオンは前に進み出る。メイアの手からバラをもぎ取ると、エルゼンに叩き返した。

 「ここは迷宮を楽しみたい客が来るところだ。おまえみたいなやつがうろついてたら子供が怯えて泣き出しちまう。帰れ!」

 「使用人風情が、社長同士の話し合いに割り込まないでくれたまえ」

 エルゼンは、懐から櫛を取り出して乱れた髪をなでつける。それから初めてまともにディオンを見つめた。

 「今回はキミのお手柄みたいじゃないか。とりあえずおめでとうと言わせてもらうよ」

 「帰れと言ってるんだ」

 拳を震わせるディオンを無視して、エルゼンはバラを持ちながら、

 「せっかくのバラが散ってしまった。これだから冒険者は粗雑だから困る。おっと、元冒険者だったね」

 「っ!」

 「これだけは忘れないでいてくれたまえ。ダンジョン屋の経営を決定的に傾かせたのは、キミ自身だということを。キミが王立ダンジョンを破壊したせいで、あの迷宮の管理を請け負っていたダンジョン屋は大口の契約を失って多大な損失を被ったんだ。ダンジョン屋だけじゃない。仕事を失ったこの街の人々は全員キミを恨んでいる。そう、ひとり残らずね」

 「なん……だって」

 エルゼンの一撃は、ディオンの背筋を凍らせた。急速に喉が渇いていき、声が出せない。

 「メイア君。キミも言ってやったらどうだい? 彼のおかげで大迷惑を被ったって」

 「そんなことないですよ。エルゼンさんが大げさに話してるだけです」

 「メイア君は優しいな。しかし、キミも本当はそう思ってるんじゃないかい?」

 ディオンは、シローネに初めて会った時に疫病神呼ばわりされたことを思い出した。

 石のように固まったディオンを見て、エルゼンは満足そうにバラの花の匂いを嗅ぐ。

 「では、今日はこれで失礼しよう。スケジュールが押しているのでね」

 エルゼンはポルコに花束を放り投げると、マントを翻して去っていった。

 その後ろ姿を、ディオンは黙って見送ることしかできなかった。脳裏にはエルゼンの言葉が駆け巡っている。

 「ダンジョン屋の経営を傾かせたのは俺、なのか……」

 壊したダンジョンは何年かかっても弁償するつもりだったし、ダンジョン協会に毎月できる限り返済していくつもりだが、実際に迷惑を被っていた人間が目の前にいたことには気づかなかった。

 自分の頭の悪さに呆然とする。

 それに、頑張って造った迷宮テントを馬鹿にされただけでこんなに腹が立つのだから、心血を注いで造ったダンジョンを壊されたら、シローネでなくても文句のひとつも言いたくなるに決まっているじゃないか。

 「疫病神か……そうかもしれないな」

 「本当に気にしなくていいんですよ。モンスターが暴れてダンジョンが壊れるなんてよくあることだし、それくらい迷宮設計士はみんな覚悟していますから」

 メイアのフォローも耳に入らない。

 「くっ!」

 抑えきれない感情と共に、拳をぽっぽ亭の壁に叩きつける。

 鈍い痛みが走ったが、それよりも心の苦しさの方が遙かに大きい。やっとメイアの役に立てたと思ったのに、みんなに迷惑をかけていたことに改めて気付き、嬉しさなんて消えてしまった。

 足下が崩れ落ちるような感覚に、ディオンはいつまでも囚われていた。

 「お願いします!」

 ディオンは、テーブルに両手をついて頭を下げた。

 ぽっぽ亭にほど近い、街の中心地にある定食屋メンドリーナの亭主は、ディオンが差し出した書類を気のない様子で眺めている。

 「ぽっぽ亭の噂は聞いているよ。おたくの造った迷宮テント、連日大盛況だそうじゃないか」

 「はい。それで、メンドリーナさんもどうでしょう? そちらに記されているとおり、売上げが伸びるのは確実ですが」

 飛び込みの営業を始めて今日で半月。めぼしい店を何十軒もまわったが、色よい返事はもらえていない。

 メイアは同行しておらず、ディオンひとりで交渉していた。元々口下手なディオンにとってはきつい仕事だが、怖じ気づいている場合ではない。

 とにかく一件でも契約を成立させて、ダンジョン屋の経営に貢献するのだ。エルゼンに衝撃の真実を聞かされてから、ディオンにとってそれは絶対に成し遂げねばならない使命となった。

 あの後も、メイアは変わらず親切に接してくれる。ダンジョン屋の屋台骨を傾かせた元凶のディオンに対しても、愚痴めいたことは一切言わない。

 メイアはどれだけ天使なんだろう。しかし、それに甘えていてはだめだ。自分の責任は自分で取る。ディオンは見よう見まねで覚えた営業トークを続ける。

 「空前のダンジョンブームが来ているのは間違いありません。誰でも気軽に迷宮探索気分が味わえる迷宮テント。メンドリーナさんもぜひ」

 「うむ。それなんだが」

 亭主は、メガネを外してレンズを拭く。

 「実はティンクル・ラビリンスさんからも同じような提案が来ていてね」

 「なんだって!?」

 「正直なところ、ダンジョン屋さんの見積もりよりもずいぶんと安いんだ。なので、今回はティンクル・ラビリンスさんにお願いしようと思っている」

 エルゼンのやつ、俺たちのアイデアをパクリやがったな。

 「そういうわけで、申し訳ないが今回は縁がなかったということで」

 定食屋を出ると、秋だというのに日差しがまぶしい。太陽までが敵に回っているようだ。

 「これくらいでめげてられるか!」

 頬を叩いて気合いを入れる。このままではメイアたちに合わせる顔がない。

 その後、何軒もの店をまわったものの、全部断られた。たいていはまともに話を聞いてもらえず、たまに興味を示したかと思えばすでにティンクル・ラビリンスに先を越されていた。どうやら向こうは人海戦術で街中の飲食店に声をかけているらしい。

 酒場で一休みしがてら歯ぎしりしていると、隣のテーブルから声がかかる。

 「貴公、ちょっとよろしいかな?」

 金縁の片メガネをつけた、見知らぬ中年男だった。卵のようにつるんとした顔で、口ひげだけが個性を主張していた。

 「吾輩はバロル男爵。もちろん知っているだろう?」

 ディオンは黙って首を振る。聞いたことのない名前だった。バロルと名乗った男は心外そうに顔をしかめたが、気を取り直すように咳払いをする。

 「近頃、興味深い噂を耳にしてね。黒龍退治の勇者が迷宮設計士に転職し、すばらしい迷宮を作り上げた。その名前がディオンとか」

 「俺だけど、なにか?」

 「やはり君であったか。黒龍退治の勇者に頼み事があって、ずっと捜していたのだよ。とりあえず吾輩のテーブルに来たまえ。そんなところでは話もできない」

 バロルは向かいの椅子を指し示す。勇者と呼ばれてすっかり嬉しくなったディオンは、言われるままに席を移した。

 「ワインはいかがかな? こんな店でも、ルミエールの赤はなかなかいける」

 高そうな銘柄を勧められたが遠慮する。ディオンは、メイアの真似をして紅茶党になると決めていた。

 「ならば彼にお茶を。最高級のやつを頼むよ。最高級の」

 「で、俺に話っていうのは?」

 「我が屋敷にも迷宮を造ろうと思ってね」

 バロルは、ワイングラスを揺らしながら先を続ける。赤い液体がグラスの中で波打ち、店の照明を反射してルビーのように輝いた。

 「まもなく妻の誕生日なのだよ。その祝いとして友人たちを招いてホームパーティを開くのだが、余興に迷宮を披露したいのだ。贅を尽くした他に類を見ない素晴らしい迷宮を、ぜひ君に造ってほしい」

 「俺が?」

 「愛する妻の誕生日だ、金に糸目をつけるつもりはない。もちろんこちらからもある程度のリクエストはさせてもらうが、基本的に自由に設計してもらって構わんよ。吾輩としては、君にその才能を存分にふるってほしいのでね」

 バロルはワインを飲み干すと、両手を組んで身を乗り出す。

 「勇者の君にふさわしい仕事だと思うのだが、引き受けてくれないかね」

 「それは」

 もちろん。と、返事をしかけて言葉を飲み込む。

 ディオンにとっては願ってもない申し出だが、どうも話がうますぎる気がした。

 そもそも、迷宮テントを造ったのはメイアたちであってディオンではない。自分は思いついたアイデアを提示しただけだ。

 そう告げると、バロルはさらに身を乗り出した。額がぶつかりそうな距離で熱く囁く。

 「吾輩は単なる迷宮設計士など求めてはおらぬ。君ならではのクリエイティブな才能を買っているのだ。停滞しきった業界に新風を吹き込み活性化させる。それが君のなすべき役割であり、吾輩はそれを支援することに心からの喜びを覚えるのだ」

 バロルは、シルクハットと杖を持って立ち上がる。

 「吾輩の屋敷に案内しよう。それで君の疑問も氷解するはずだ。ついてきたまえ」

 その夜、ダンジョン屋の事務室では緊急会議が開かれていた。

 「……それで、そのバロル男爵とやらと話をつけてきたってわけですのね」

 事情をディオンが説明すると、シローネが口火を切る。怒りを抑えつけているかのように、その声は低い。

 「わたくしたちに黙って勝手に。言語道断ですわ」

 「みんなの役に立ちたかったんだ」

 「でしたら、せめて事前に相談してほしかったですわ。メイアにも内緒で営業するだなんて。何か間違いでもあったらどう責任取るつもりですの。よくいるんですわ。はじめから迷宮を造る気なんてなくて、冷やかしで見積だけ出させて断ってくる不届き者が。有言実行しないサイテーな人種ですわ」

 「俺も最初はなんか怪しいかもって思ったさ。だけど屋敷に案内されて驚いたよ。館も庭もめちゃくちゃでかくてさ。玄関には執事とメイドがずらっーと整列して出迎えてくれたんだ」

 ディオンの興奮はなかなか冷めない。バロルの屋敷にはダンジョン屋がすっぽり入りそうなくらい大きな部屋がいくつもあり、いわくありげな壺だとか、一角獣の彫刻だとかがずらりと陳列されていた。

 「あれは本物の貴族だよ。それに、さすがに契約はまだしてないぞ。だからこうして相談してるんじゃないか」

 メイアの前には、ディオンが作成した契約書が置かれている。バロル男爵の署名済みだ。

 「バロル男爵って、サンディは知ってる?」

 メイアが尋ねると、サンディは記憶をたぐるように顎に人差し指を当てる。

 「思い出した。元々はどこか田舎の果物農家だったらしいけど、住んでいた村に新しく迷宮が造られるって話が持ち上がって土地が高く売れたとか。それでこっちに出てきて、爵位を金で買ったって噂が流れたことがあったっけ」

 「典型的なダンジョン成金ですわね」

 シローネが、猫じゃらしを片手に、足元のケルベロスをあやしながらため息をつく。どうやらバロルにいい印象は持たなかったようだ。

 「でも、金持ちには間違いないんだろ。この仕事を受ければ、ダンジョン屋も楽になるはずだ。違うか、シローネ?」

 「ウチの経営はいつだって火の車ですわ」

 「サンディはどう思うんだ?」

 「この契約書にサインをすれば、ウチには莫大なお金が入るわね。経営的には助かるけれど、その代わりダンジョン屋の総力をつぎ込む必要がある。他の案件もいくつか来ているけれど、そっちは断らないといけないかも。万が一、支払いが滞ったらまずいわよ」

 指に髪を巻きつけながら、サンディは続ける。

 「肝心のメイアはどうなの? ダンジョン屋はあなたのお店なんだし、あたしたちはメイアに従うだけ」

 ディオンたちの視線が、いっせいにメイアに注がれる。

 「それはもちろん決まっています」

 メイアは契約書を見つめていたが、ペンを取って自分の名前をサインした。

 そのとたん、張り詰めていた事務室の空気がひときわ緊張する。積極的に話を進めていたディオンでさえ、ごくりと唾を飲み込んだ。

 「なんか、思っていたよりあっさり決めたな。いいのかそれで」

 逆に不安になってきて、メイアに問いかけてしまう。シローネも、猫じゃらしの手を止めて念を押した。

 「よろしいのですわね。もう後には引けませんことよ」

 「ディオンが持ってきてくれた案件を無駄にしたくないんです。それに、ディオンの話を聞いていたら、バロルさんのダンジョン愛が十分に伝わってきました。ダンジョンを好きな人に悪い人はいません。きっと真面目で誠実な人に違いないです」

 「メイアのその前向きな思考、わたくしも見習いたいものですわ。わかりました。やってやろうじゃありませんか」

 シローネも覚悟を決めたようだ。

 「これから忙しくなりそうね。あたしの鞭がうなる時がきたみたい」

 サンディが妖しく微笑む。

 席を立ったメイアが、三人を見回して宣言する。

 「これよりダンジョン屋は、全力で本案件に取りかかります。どうかよろしくお願いします」

 「おうっ!」

 ディオンは、一瞬湧きかけた不安を振り払うように、腹の底から返事をした。

 「それでは気合いを入れるために、ダンジョン屋社訓を唱和します。ひとつ、ダンジョン屋は誠心誠意仕事をすべし!」

 「……やっぱりそれはやるんだな」

 「さあ、ディオンも一緒に恥ずかしがらずに大きな声で!」

 「お、おう」

 「ひとつ、ダンジョン屋は街の皆さんのお役に立つべし!」

 「ひとつ、ダンジョン屋は街の皆さんのお役に立つべし!」

 ディオンが持ち込んだ仕事の第一歩は、社訓を十七箇条唱えることから始まった。