不死の軍勢を率いるぼっち死霊術師、転職してSSSランク冒険者になる。(1)

プロローグ 死霊術師の夜明け

 縄で両手を後ろに縛られた美女は、窮地に立たされていた。

 どこかも分からぬ湿地帯。

 背後にはおおよそ千を超える謎の軍勢が女に冷たい視線を送っていた。

 辺りは夜の闇に包まれ、白い月光に反射して見える様はまさしく魑魅魍魎。全身を骨格で形成した骸骨兵、腐臭漂う腐人の大軍が、軍隊の体を為している。

 そんな女の隣には、巨大なドラゴンと一人の女性の姿があった。

 彼らに、強大な魔法力があるのは明白だった。

 囚われている女は唇をきゅっと噛みしめて、小さく歯噛みした。

 「よりによってこんな時に、ですか……」

 小国の美女は、世界七賢人にも選ばれた傑物である。

 金に輝く長い髪の毛に、端正な顔立ち。

 先ほどまで戦場で、巨大な魔法力を駆使し、敵をなぎ倒し続けたとは思えないほどの華奢な体躯。

 《鑑定士》という職業を経て、数々の強敵相手に鍛錬を重ねて人類最終到達ラインであるSSランクの極みに至った。

 この度、国家に一大事が生じてそれに対処すべく動いていたところ、謎に包まれた勢力によって拉致された現状に、悔しさともどかしさを隠せないでいた。

 ──鑑定。

 苦し紛れに、後方の軍勢の中の一人を視る。

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 【名前】 骸骨兵

 【種族】 元・人間族

 【性別】 男

 【年齢】 32

 【職業】 兵士

 【クラス】D

 【所属】 不死の軍勢

 【魔法力】180

 【スキル】無

 【加護】 死霊術師の誓約

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 不死の軍勢を間近で見るのは初めてだった。

 近年、一人の死霊術師によって多数の死者が蘇り、国籍、生物を問わない最強の軍団が勢力を伸ばしつつあるということは風の噂で聞いていた。

 「ローグ様、例の女がようやく見つかりました」

 銀髪のポニーテールを左右に揺らし、眼前の男に頭を垂れて跪く女性。

 それに倣うように、十メートルは優に超えるであろう巨体を誇るドラゴンも頭を下げる。

 「あなたが噂の鑑定士か。イネス、ニーズヘッグ、よくやってくれた」

 眼前の男は労う。

 姿形は人間そのものだ。自身の隣にいるバケモノのような気味の悪い雰囲気は感じられない。

 女がじっと青年を見つめていると、隣の女性──イネス・ルシファーは表情を明るくした。

 「世界七賢人が一人、『最強の鑑定士』カルファ・シュネーヴル。この者の力を使えば、ローグ様の悲願達成に一歩近付くことができましょう。何やら慌ただしい様子なのがいささか疑問ではありましたが、いずれにせよ我々には関係のないことです」

 微笑むイネス。

 さらに隣では、ニーズヘッグと呼ばれたドラゴンが人の言葉を発す。

 『我が主の悲願達成となれば、今宵は祝杯を挙げねばならぬな。くはははは』

 そんな二人の忠誠を一心に受ける男ローグは、「いや、っつーかさ……」と困ったようにカルファを見つめた。

 「縄で縛る以外に何か手荒な真似でもしたのか? 何でこんな疲れ切ってるんだ。客人だぞ? 丁重に扱えとあれほど言っただろ」

 ローグの呟きに、イネスが首を振った。

 「いえ、ローグ様。この者は我々が捕らえる以前から既に憔悴しきっていました」

 イネスに続き、ニーズヘッグと呼ばれた巨龍も続く。

 『カルファ・シュネーヴルの仕えるサルディア皇国が、今まさに魔物の侵攻を受けている最中だと小耳に挟んだ。情勢が悪くなり、軍全体がパニックに陥って敗走していたことから護衛を付ける暇もなかったのだろう』

 その二人の言葉に、カルファは押し黙るしかなかった。

 巨龍の言う通り、カルファの国は今、魔物に侵攻されていた。

 当初はカルファの指揮のもと優勢だったものの、数にものを言わせて攻め込む魔物に対して次第に戦況は悪化。

 皇帝も民を捨てて逃亡したため、その場に残ったのは、世界七賢人と呼ばれ世界最強の一角を担っていた、このカルファ・シュネーヴルしかいなかった。

 だが、軍はもう散り散りになり、誰が敵か味方かも分からないような始末。

 サルディア皇国の滅亡も秒読み状態となっている状況で、この謎の集団に拉致された次第だ。

 「そっちの鑑定士さんからしてみれば踏んだり蹴ったりってわけだな。ってことは、この近くでまだサルディア皇国と魔物が戦っているってことか」

 さほど興味がなさそうに遠くを見つめるローグ。

 後ろのスケルトン、ゾンビ集団を呆然と見つめるカルファに、最後の光が差し込んだ。

 「お願いが……あります」

 このままでは遅かれ早かれ国は滅ぶ。

 そうなれば、陣頭指揮を執っている自分も殺されるだろう。

 どうせ死ぬのなら──賭けてみたいと、そう思った。

 民を守れなかったのは、自分に力がなかったから。そんなこと、重々承知しているつもりだ。

 だが、希望を抱いてしまう。

 この強大な謎の戦力があれば、もしかしたら魔物を退けられるかもしれない。

 滅亡に瀕している祖国を、救えるかもしれない。

 藁にも縋るような思いで、カルファは七賢人としての意地やプライドをかなぐり捨てて、頭を垂れた。

 「私たちの国を、どうか、お助けてください……!」

 涙ながらに訴えるカルファ。

 イネスは、汚物でも見るような表情でローグに告げる。

 「どんな立場で物を言う、人間風情が。たかが人間のためにローグ様のお手を煩わせるなど言語道断。ローグ様、我々の目的を達し次第、こやつらなど捨て置けばよいのです」

 「まぁ待て、イネス。一応俺だって人間だ。っていうか、俺は自分の職業を鑑定士に隠してもらいたいだけなんだけど……」

 「ローグ様以外の人間など、愚物そのものではないですか」

 「真顔で言ってるお前が心底怖いよ。だが覚えておけ、イネス。これからの俺の目的にはそういう人達の力が必要だ。愚物扱いなんてのはもっての外だからな。いいな?」

 「──はっ。失礼致しました」

 そんなイネスとローグの会話に、巨龍はやれやれと大きな翼を一度はためかせた。

 『彼我の戦力差と皇国の状況を見るならば、我に任せてもらいたい』

 待ちきれないと言わんばかりに翼を広げる巨龍に、ローグは「いや、まだだ」と手で止めて、カルファの前に座る。

 「なぁ、最強の鑑定士さん。そっちの国を救ったら、俺たちの言うこと聞いてくれるかい?」

 にっこりと屈託のない笑みを浮かべる青年ローグに、カルファは涙ながらに訴えかける。

 「我々の皇国を、皇国民を救っていただけるのならば、何でもすることをお約束致します! この身も心も、あなた様に尽くすことをサルディアの神に誓います──ッ!」

 「いや、そこまでは求めてないんだけど……まぁ、いいか。ニーズヘッグ、向こうの戦力を上空から偵察してきてくれ。イネスには後方で待機してる《不死の軍勢》の総指揮を任せる」

 『──仰せのままに、我が主よ』

 「承知致しました、ローグ様」

 ローグの命令に、彼らは片膝を折って答える。

 ニーズヘッグは巨体を揺らしてあっという間に空に消えていき、イネスは後方の軍団を綺麗に二分した。

 あまりに統率された軍の動きに、一国の軍を預かるカルファにも驚きが隠せない。

 「ってわけだ、鑑定士さん。ここからあんたは案内役だ。よろしく頼むよ」

 やけに優しい軍勢の主──ローグの言葉に、カルファは目を丸くした。

 「あ、あの、ローグさんの目的とは、一体?」

 「あぁ、俺は、友達が欲しいんだ」

 「友達、ですか。ではやはり、職のせいで……?」

 「……まーね」

 悲しそうに、暗い空を見つめるローグとカルファのやりとりに、跪いてイネスは笑む。

 「ローグ様のお慈悲に不肖イネス、感服致しました。圧勝の二文字と共に目的の第一歩に大きく前進することになるのですね!」

 イネスは感激のあまり涙し……その主であるローグも、ため息交じりに苦笑する。

 「心より、心より感謝致しますッ!」

 カルファは今一度、予期せぬ援軍に頭を下げた。

 ローグの希望に満ちた瞳の傍らで、イネスの寂しそうな表情が垣間見えた。

 この日、サルディア皇国最後の砦であるカルファ・シュネーヴルは思い知ることになる。

 《不死の軍勢》の伝説は、この戦から始まったのだ──と。

 ***

 夜はさらに深まっていた。

 平野中央を静かに行軍する集団が一つ。数にしておよそ千を優に超えていた。

 その行軍は不気味そのもので、動きが完全に統率されていて、人々は生きた心地がしなかった。

 彼らの眼前にある深い森の最奥からは、続々と火の手が上がっている。

 森を突っ切れば、サルディア皇国の兵士たちと魔物が戦闘を行っている。

 「ローグ様。いかが致しましょう」

 不死の軍勢を先導するのはローグ、イネス、カルファの三人。

 月夜に光る一房の銀髪を揺らしたイネスは、火の手が上がる森の奥を見つめる。

 サルディア皇国での陣頭指揮を執っていたカルファは、自らが捕縛されて連れてこられたときよりも遥かに戦況が悪化しているのを感じていた。

 元々、敗走気味でいかに兵士を生きて逃がすかを考えていたぐらいだ。

 司令塔を失った軍は、瓦解寸前だった。

 「そうだなぁ……、鑑定士さん。敵は魔物って言ったけど、内訳は分かるかい?」

 「は、はい。現在サルディア皇国に攻め込んできているのは、十頭のゴブリンキングをそれぞれ将に据えたゴブリン主体の勢力です」

 ローグの問いに、カルファは歯噛みする。

 その隣でイネスは、ローグを諭すように言う。

 「ゴブリンといえば、Eランク程度の低級魔物。およそ百のゴブリンを統率できる知性と腕力があるとされるゴブリンキングですら、Dランクに届くか届かぬか。その程度の魔物に皇国の正規軍が壊滅していては、話になりません」

 刺々しいイネスの言葉に、カルファは苦悶の表情を浮かべた、その時だった。

 闇夜の中で進軍するローグたちの前に降り立ったのは、空高くから滑空してきた一頭のドラゴンだった。

 漆黒の翼を素早くたたんで、主の前に巨大な頭を垂れたニーズヘッグは言う。

 『サルディアの兵士は随分と数を減らしているようだ。ゴブリンキングを筆頭にした軍隊もいるが、違和感もある。少数のC級魔物、ミノタウロスまでもが皇国攻めに加担している』

 「ゴブリンとミノタウロスが手を組んだ、ということですか。本来なら知性の低い魔物同士が手を取り合うことなど有り得ないはずなのに……」

 『目の前の森を越えれば、そこには切り立った崖の下だ。サルディアの兵士たちは、ゴブリンの群れに上手く誘導されながら退路を断たれてもいる。崖を背に闘う皇国兵士を包囲してからじわじわ嬲り殺すつもりだろう。奴等にそのような知恵が身についたというのは聞いたことがない』

 「裏で誰かが糸を引いてる可能性もあるってことか……」

 ちらり、ローグは真横で何も話そうとしないカルファを一瞥する。

 彼女は小さく口を結んで、身体を震わせていた。

 「皇国の兵士たちが崖の下に追い詰められたら合図を出してほしい」

 イネスとニーズヘッグが頷いたのを見てローグは続ける。

 「ニーズヘッグは、このまま空で待機。俺たちがゴブリンの群れに突撃したのを見計らって、吹き飛ばせ、ニーズヘッグ。死霊術師の誓約解除だ」

 『くはははははは!! 任されたッ!』

 にやりと笑みを浮かべたニーズヘッグは、再び漆黒の翼を大空に掲げる。

 「イネス、お前はミノタウロスの殲滅を頼む。一人で行けるな?」

 「当然です。主の前に、かのバケモノ共の生首を献上致しましょう」

 「そうか、期待して待ってるよ。《始祖の魔王》イネス・ルシファー。死霊術師の誓約、解除」

 「……久しぶりの姿ですわ。必ずや期待以上の成果をお持ち帰り致しましょうッ!!」

 カルファの背中に冷や汗が流れる。

 ローグの前に出たイネスの左目から、紅のオーラが流れている。

 イネスの瞳から、極大の質量を持つ魔法力がオーラとなって漏れ出しているのだ。

 ジジジと、強烈なオーラが音となって生じ、イネスの頭上に一対の白角が姿を現す。

 三対六枚の翼が背中に出現し、飛翔と共にあっという間にローグとカルファの前から消え去っていく。

 イネスの秘めた力が、暴力の化身であるようにさえカルファには思えた。

 「後はお前たちだけだな。不死の軍勢、死霊術師の誓約解除。暴れまわる魔物の掃討を命じる。思う存分──蹴散らせ」

 言葉を発すると共にパチンと、ローグが指を鳴らした。

 『ゥヴォォォォォォォァァァァァァッッッ!!』

 瞬間、今まで操られて忠実に動いていた後方の軍勢が、堰を切ったように森の中へと雪崩れ込んでいく。

 森の先にいる魔物を目がけて、一直線に突き進む。

 骨格だけで身体が形成されたスケルトン、肉が腐り、蠅が集っていても前へ進むゾンビ。二種類の怪物で形成されたローグの軍は、隊列もバラバラに森を突き抜けていく。

 先ほどまでの整列が嘘のようだった。

 「俺たちも行こう。鑑定士さんがいないと、俺たちが敵じゃないってことを信用してもらえないからな」

 あまりの勢いにへたりと地面に座り込んでしまったカルファは、畏怖の目でローグを見た。

 「ローグさん、少し、いいですか?」

 カルファの方を見ようとしないローグの背中が、とてつもなく恐ろしいものに見え始める。

 「先ほどの巨龍を知っています。サルディア皇国に古くから伝わる『龍神伝説』……お伽噺の中に出てくる、ニーズヘッグと呼ばれる龍王でしょうか?」

 「……」

 「先ほどの女性も知っています。かつて世界を混沌に陥れた初代魔王、イネス・ルシファーその人でしょうか?」

 「だとしたら、どうする?」

 「有り得ません! それらは、何百年も、何千年も前の伝説なのですから……!」

 狼狽する。

 世界七賢人と呼ばれ、世間の名声を手に入れたはずのカルファ・シュネーヴルの心臓は、どくどくと高鳴っている。

 「ローグ・クセルさん、あなたは一体……!」

 ふと、カルファは自身の鑑定能力をローグに使用した。

 もしかすると、自分はとんでもない存在に助力を申し出てしまったのかもしれない。

 世界を丸ごとひっくり返すような、そんなイレギュラーな存在を。

 ローグは困ったように頭をぽりぽりと搔いて、告げる。

 「不遇にも禁忌職を引き当ててしまった、独りぼっちの死霊術師ってとこかな」

 ***

 「分隊長! お、追い込まれています!」

 息切れも激しく、少数残ったサルディア皇国兵士数十人は走り続けていた。

 後方には牛頭人身のミノタウロスが八体、その手には自身の体長ほどに大きい棍棒が握られている。

 先端には鮮血とピンク色の肉片がこびりついている。何人もの仲間が、あの棍棒の一撃で絶命している。

 ミノタウロスを囲んでやってくるゴブリンの群れも、数えればキリが無い。事態は、絶体絶命だ。

 「諦めるな! 皇国の紋章を掲げた戦士として、最後の最後まで戦い抜くんだ!」

 集団の殿を務め、迫り来るゴブリンを斬り伏せているのは黒い顎髭を蓄えた男。

 分隊長と呼ばれたその男は、ゴブリンの身体を真っ二つにして、すぐさま次の攻撃に備える。

 だが、斬っても斬っても湧いて出てくるゴブリンには気が滅入りそうだった。

 自身の腰ほどの体長ながら、緑色の皮膚に包まれたゴブリンは、醜悪な顔を歪め、俊敏な動きで小刀を用いて味方の兵士の首筋を搔き切ろうとする。

 少しでも油断をすれば、鎧の間から小刀を差し込んでくるだろう。

 一体でも小賢しく素早いゴブリンに加え、一撃必殺で確実に屠りにくるミノタウロス。

 本来、手を取り合うはずのない魔物同士の突然の襲撃に、既に軍は総崩れになっている。

 ゴブリン軍の遥か後方には、それらの中でも一際大きな存在感を放つ化け物が立ち尽くす。

 ゴブリンたちの総大将、ゴブリンキングだ。

 それを倒さないことには、この統率されたゴブリンを振り切ることはできないだろう。

 前を走る味方の一人が、小さく歯噛みする。

 「この先、崖です! 奴等が放った火のせいで左右の森が通れないとなると、追い詰められました……ッ!」

 後退し続けるしかない兵士たちは、ゴブリンに誘導されるように崖の下にまで追い込まれていた。

 「……カルファ様は見つかったのか?」

 分隊長が周りを見回す。

 その言葉に、兵士の一人が俯いた。

 「いえ、先ほどから姿が見えません。ゴブリンどもとの最大衝突のときから!」

 「そうか、我が皇国の上層部は、攻め込まれたと知るや否や俺たちをとっとと捨てて逃げちまいやがった。そんな中でも、カルファ様は先頭に立って我らを鼓舞してくださった。カルファ様の顔に泥を塗るわけにはいかないな」

 ポンと、兵士の頭の上に手を置いたのは分隊長。その瞳は、覚悟のそれに変わっていた。

 後方には巨大な崖。逃げ場はない。

 左右は既にゴブリン、ミノタウロス連合軍による包囲網。

 満身創痍の状態で叫ぶ分隊長に、無数のゴブリンが襲いかかる。

 「ウゴァァァァァァアァァァッッ!!」

 一匹のゴブリンが、跳躍して鋭利な爪を分隊長に向ける。

 緑色の血で錆び付き、綻び始めた直剣をゴブリンの腹に突き立てた分隊長は、ゴブリンの口から吐かれた緑色の血を一身に浴びていた。

 分隊長は、最後に生き残った兵士たちの疲れ切った表情を見て、ギリと歯ぎしりをして──

 「サルディア皇国の高貴なる兵士たちよ! 死に場所をここと心得よ! 一匹でも多く駆逐し、一匹でも多くの屍を築き上げろ。これが俺たちの、サルディアの魂だと、この下卑た化け物どもに思い知らせるのだッ!!」

 鼻息を荒くしたミノタウロスや、ゴブリンキングの命令で一斉の突撃を仕掛けてくるゴブリンの軍勢を前に、追い詰められた兵士全員が覚悟を決めた、その時だった。

 「よく言った、皇国兵士さん。イネス! ニーズヘッグ!」

 『ヴァァッァァァァァ!!』

 皇国兵士の左方に突如、激しい轟音と共に、灼熱の炎が吹き荒れる。

 ゴブリンはその炎撃により、喉が焼かれたかのような呻き声を上げていた。

 闇夜に現れた漆黒の巨大龍は、口から極大の炎を巻き上げて、次々とゴブリンの群れを焼き焦がしていく。

 「ウギャォヤァァァオォウゴォォ!!??」

 業火に身をさらされたゴブリンは、灰となって消えていく。

 それに怯むこともなく、二メートルはあろうミノタウロスが一気にサルディア皇国兵士との距離を縮めようとするのだが──

 「そのまま、じっとしていることをおすすめしますよ、愚物ども」

 兵士たちの眼前に、三対の翼を持った美女が姿を現した。

 その白く輝く一対のねじ曲がった角と左目から迸る赤黒い魔力のオーラが、辺りを一気に彼女の色に染め上げていた。

 「破壊魔法──黄泉の糸」

 イネスは、迫り来るミノタウロスの間を瞬時に駆け抜けて、にやりと笑みを浮かべた。

 兵士たちの方を振り向いたイネスが両手に持っていたのは、八つの牛頭だった。

 頭と胴体が綺麗に分断された身体からは、赤黒い血が噴水のように湧き上っている。

 「光栄に思いなさい。今から行われる、我らが主の美技を見られるのですから」

 うっとりとした表情で、イネスは、新たに作られた包囲網に目を向ける。

 「な、何だ……何が、どうなっている……!?」

 いまだ現状を掴み切れていないのはサルディア皇国兵士。

 崖の下に追い詰められていた自分たちを包囲していた魔物が、さらに突然現れた何者かに包囲されている。

 「ゾンビ、スケルトンの軍勢多数! なぜかは分かりませんが、魔物を背後から急襲している模様です! 分隊長、突破するチャンスは今しかありません!」

 兵士の一人が、声の限り叫んだ。

 全身骨格のスケルトンが、手持ちの剣でゴブリンを斬りつける。腐臭漂わせるゾンビが、無造作にゴブリンたちに噛みついて肉を引きちぎる。

 そんな異様な光景を目にしながらも分隊長は、先陣を切って中央突破を試みた。

 「全員、この隙にこの包囲網から脱出する! 俺に付いてこい!」

 『──応ッ!!』

 崖の下に追い込まれていた兵士たちが一転、内と外からの挟撃によって今度は魔物が隊列を乱し始めていた。

 イネスは、両手一杯にミノタウロスの頭部を抱えながら恍惚とした表情で、自らの主であるローグの言葉を思い浮かべていた。

 ──魔物が皇国兵士を包囲殲滅しようとした時、背後にこっちの軍勢を位置づけよう。内と外から挟撃すれば、今度は魔物が俺たちの包囲の中に放り込まれる。鑑定士さんとの約束だからな、討ち漏らしは厳禁だ。右方をイネス、左方をニーズヘッグが攻めてくれ。後は、俺に任せておけ。

 「あぁ、さすがはローグ様です……ふふふふっ!」

 心底楽しそうな笑みが、イネスからこぼれ落ちる。

 皇国兵士たちが、包囲網から逃げ出したところには、一人の青年が立っていた。

 沈み掛けの満月の白光を背に受けて、魔法放出の準備に入ったローグ。片手を天に掲げ、優しそうな見かけから一転、目つきを鋭くした。

 「破壊魔法──魔王の一撃」

 ローグが、その手に溜まった魔法力を魔物の輪の中心に投げ込んだ瞬間、ゴブリンとゴブリンキングの間に一つの大きな暗い空間が現れた。

 その空間に飲み込まれるようにして、全てのゴブリンが姿を消していく。

 「空間魔法……だと!? いや、違う、何だ、あれは……!? ありえない、あんな桁違いな魔法力を、人間に使えるわけがない!」

 サルディア皇国の分隊長は、己の目の前で起こった一瞬の出来事に、目を奪われ続けていた。

 戦闘もようやく落ち着き始めた頃、へたり、皇国兵士が地面に尻餅をついた。

 「た、助かった……?」

 その顔は、生気が抜けたように腑抜けきっている。

 そんな中で分隊長だけが事態の大きさに、いまだ警戒の念を解かずにいた。

 「ローグ様。ミノタウロス八体の討伐が完了致しました」

 『ゴブリンも大概は我の炎撃で屠るつもりだったのだが、良いところは主に全て持って行かれてしまったぞ。くはははは』

 ローグ配下の古龍と魔王が、快活に笑う。

 その様子を側で見ていた皇国兵士の一人が、ぎょっとしたように呟いた。

 「ぶ、分隊長、俺も詳しくはないんですがあのドラゴン、子供の頃の絵本で読んだことがあるような気がしてなりません。もしや、『龍神伝説』の古龍ニーズヘッグでは、ないでしょうか」

 一人の兵士の言葉に、ざわざわとし始める皇国兵士たち。

 「馬鹿言え、そんなお伽噺の中にいるような古龍が、なんでこんな所にいるんだ」

 「でも、隣の女も無数の黒い翼を持っていた。俺、子供の頃ばあちゃんから聞いたことあるんだよ。『夜更かししてる悪い子は、無数の翼を持つ女に攫われる。恐怖の魔王が、悪い子を引き連れていくんだ』って……」

 「じゃ、そこの女は魔王だってのか? 魔族こそ滅亡しちゃいないものの、魔王なんてそれこそ遥か昔の話じゃねーか。魔王に憧れて破壊魔法を使おうとする魔法術師もいるくらいだからな」

 「でも、さっき見たのはどっからどう見ても人外レベルの魔法だったぞ……?」

 口々に言う兵士たちがいたが、イネスもニーズヘッグも、目の前の主に頭を下げたままだった。

 分隊長は、小さくため息をついて、彼らの後ろの軍勢を一瞥する。

 倒れたゴブリンを貪り喰うように肉を引きちぎり、本能のままに蠢くゾンビやスケルトンの集団だが、一向にこちらに攻め入る様子はない。それらのことに覚悟を決めたように呟いた。

 「先ほどの援軍には、大変感謝している。俺はこういう者だ」

 そう言って、分隊長は自分の胸に拳を宛がった。

 瞬間、分隊長の横には空間に投影されたステータス画面が姿を現す。

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 【名前】 カルム・エイルーン

 【種族】 人間族

 【性別】 男

 【年齢】 38

 【職業】 剣士

 【クラス】 C

 【所属】 サルディア皇国第二部隊分隊長

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 ローグの首筋に、冷や汗が流れる。この儀式は、身分証明のようなものだ。

 微かな笑みを絶やさずにいるローグは、「どうも、ローグ・クセルです」と手を差し伸べて握手の姿勢を作ってみる。

 ──だが、分隊長のカルムはそれに応じない。

 世の中には、星の数ほどの人物がおり、能力があり、職業がある。

 あっという間に命を取られる危険性を孕んでいるために、まずは自分に敵意がないことを示すための方法として、こうしたステータス画面開示によって友好を証明するのが一般的なのだ。

 「……先に言っておくが、俺に敵意はないよ」

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 【名前】 ローグ・クセル

 【種族】 人間族

 【性別】 男

 【年齢】 18

 【職業】 死霊術師

 【クラス】 不明

 【所属】 無

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 ローグの横にステータス画面が表示されると同時に、サルディア皇国の兵士たちの間にどよめきが走った。

 カルムは言う。

 「やはり、禁忌職だったか。後ろのスケルトンやゾンビの軍勢は、貴殿の手持ちのものだったのだな」

 「いや、そんな身構えなくても大丈夫だ。俺とて、皇国兵士さんたちと一戦交える気はないよ」

 努めて笑顔でいるものの、カルム含めた兵士たちの表情は、安堵のものから怯えのそれに変わっていた。

 こうなることは分かっていた。だから、ローグはこれまでステータス開示に応じてこなかった。

 これは、挨拶を返さないことと同じくらいに失礼なことなのだが、今回ばかりはそうはできない。

 彼らを救えば、世界七賢人とも呼ばれるカルファ・シュネーヴルの特殊スキル、《隠蔽》の能力で、職業を隠すことができる。

 それだけが、今のローグの望みだった。

 死霊術師は、死霊や死者を操る死霊術を用いることに長けた職業である。

 「死霊術師って言ったら、今までも禄なのがいないじゃないですか……! 数千の不死の軍勢で一国を滅ぼしたり、美女だけを攫って殺して蘇生させて自らの王国を作り、死体を使って残虐の限りを尽くす、イカれた連中ですよ……!」

 ローグの言葉を聞いた兵士の一人が、思わず恐怖を口にした。

 カルムは冷静を装ってローグに頭を下げた。

 「サルディア皇国分隊長として、お願い申し上げる。我々を救っていただいたことは感謝してもしきれない。だが、どうか……どうかこの地で戦死したサルディアの魂は、安らかに眠らせてやってはくれないだろうか。この通りだ。彼らは、祖国の誇りだ」

 畏れ、怯み、かしずく。

 死霊術師というだけで嫌われ、畏れの念を抱かれるのだ。

 ローグには、祖国という概念はない。

 生まれ落ちた時は、どこかの国の孤児院だった。

 十二歳を迎える頃まで、そこから外に出ることは一度もなかった。

 孤児院で過ごすときから、背後にはスケルトン、ゾンビの存在が見えていたため、常にローグは気味悪がられ、近寄られることも無かった。

 十二歳の頃に各個人の能力適性と最適職業を測る神からの神託を受けるべく、礼拝堂に赴けば禁忌職業の死霊術師を引き当てた。スケルトンやゾンビがローグの背後に見えていたことの証明は為されたものの、余計に嫌われるようになる材料になるだけだった。

 その後、孤児院は魔族の襲撃により崩壊。唯一生き残り、一人で生きていくことを余儀なくされたローグは、国というものに対して何の感情を抱くこともなかった。

 だが、誇りをもって守ろうと思えるモノがあるという時点で、ローグには羨ましささえ感じられた。

 そんな思いを抱きながらローグは、誰よりも強くなって皆に認めてもらおうと、死ぬ思いで努力したら、今度は嫌われた上に怯えられるようになっていた。

 結局、生まれてこの方ローグには、友達がいたこともなかった。

 兵士の言ったような大それた野望など抱いたこともないのにもかかわらず。

 ──死霊術師という職業は、とことんツキがない。

 失望混じりに、ローグは呟いた。

 「見たかい、鑑定士さん。これが、鑑定士さんの力を借りたい理由だよ」

 ローグが振り向いた先には、カルファがいた。

 ゴブリンたちは既に一匹残らず屠られ、ゾンビやスケルトンの軍勢は動かない死体をなおも斬りつけ、噛みついている。

 「か、カルファ様……!? どうしてここに!?」

 月は沈み、太陽が地平線から昇る。

 スケルトンやゾンビの集団が、それらを避けるように我先にと地中に姿を消していく。

 そんな様子を見ながら、カルファは言う。

 「あなたたち。今すぐに既存の死霊術師の認識を改めなさい、とは言いません。ですが、この方たちは私たちの窮地を救ってくださった、英雄です」

 『……はっ!』

 カルファの言葉に、困惑しながらも返事をする兵士たち。カルファはローグの方に向き直った。

 「世界七賢人の威信をかけて、お約束通りローグさんの職業を隠蔽致します」

 「あぁ、助かるよ。隠蔽って言っても、ステータス表記上の死霊術師が消えるだけだから変わらないんだけど、これを隠せるってだけで俺は今までの人生で一番嬉しいよ。これで、どっかで新しい職業になって友達ってやつを作ってみたいね」

 「それで少し、提案があるのですが、よろしければ、サルディア皇国内にある冒険者ギルドで、『冒険者』をやってみませんか?」

 カルファは、何か考え込むような素振りで言ったが、ローグ側にはメリットしかない。

 今までは職業を隠蔽し、放浪生活を送るしかなかったのに居場所までも提供してくれるのだから。

 「冒険者か……それもいい。失った時を取り戻すには、一番かもしれないからな! ここが、俺のスタートだ!」

 夜が明け、不死の軍勢は土に還っていく。

 次の主の命令があれば、再び闇夜から姿を現すことにはなるが──当面の間、それらの軍勢を使うときはこないだろうと思いつつ。

 「それはそうとしてローグさん……イネスさんと、ニーズヘッグさんは一体どうなるのでしょう」

 カルファが、後ろで主の悲願達成を祝ってうるうると涙を流している二人を見る。

 「あいつらも、一緒に連れて行ってもらっていいかな?」

 「えぇ、もちろんです」

 こうして、世界最強クラスの元死霊術師とその配下、魔王と古龍の長い放浪生活が幕を閉じたのだった。