熱契ねっけつ破恢者デストロイヤ(1)

 死に瀕した大地。

 死を捨て去った住人たち。

 そのはざまで呪われた生にしがみつく人間種。

 世界を造り変える手段すら見出した者どもが、霊長の地位を追われたのは遠い昔。

 支配種から旧世代と呼ばれる意味を知っている者は既に一握りしかいない。

 生命と熱を拒絶する枯れた荒野と終末の時。

 それでも──彼らは足掻き続けていた。

 これは、そんな時代の話。

一章 傷貌の男

 渺々と──

 刃にも似た鋭い風が、赤茶けた大地を渡っていた。中天に差しかかる月の下、まるで死者の怨嗟のように唄う風だ。

 荒野を男が歩いていた。頭からボロ切れを纏って、正面から吹きつける風の鋭さに耐えている。

 夜の荒野の気温はマイナス三十度近く。肌が感じるのは寒さではなく痛みだ。見る者がいれば、自殺志願者かと呆れただろう。

 「────」

 まるで死人のような男だった。血の気の引いた肌、どんよりと曇った目、老いた巡礼者のように足を引き摺りながら歩く。男の右の頬から唇にかけて、抉れて引き攣れた三本の爪痕のような傷痕が刻まれていた。

 視界は果てまで荒野。赤い砂と岩が延々と続く。

 風の強さが嵐の到来を告げていた。それでも──男は、他の道などないかのように、ただ前へと歩き続けていた。

 * * *

 荒野は人間を拒絶する。足を踏み入れてなお生きて戻った者は、一人の例外もなくそう答えるだろう。過酷な超自然、徘徊する凶猛な魔獣たち。

 そんな死と背中合わせの土地だが、夜明けは美しい。東の空が、ゆっくりと黒から紫へと変わっていく。赤い大地から次第に夜が拭われていく荘厳さは言葉にしがたい。残念ながら、その秘密を知る者がどこにもいない──とは限らない。

 「まさか、丸一日がかりになっちまうとは。荒野で夜明かしだなんて、よっぽど物好きか命知らずだよな」

 小さな岩山の足下に蹲っていた人影が、短い手足を器用にちょこまかと動かして立ち上がった。ずんぐりして小型のげっ歯類を連想させるシルエットなのは、火炎トカゲの皮で作ったお手製耐熱コートを被っているからだ。荒野で生き延びるためのものだから、半密閉式でコートよりも甲冑に近い。

 「何はともあれ、予想通りの嵐だったな。去るのも予定時間に一秒のズレもなし、几帳面な連中だぜ」

 半日着けていると大人でも音をあげる耐熱コートの窮屈さに一昼夜耐えきった、物好きで命知らずの名はドミナ。日除けゴーグルをあげて半分だけ顔を出すと、窮屈さが幾分かマシになった。この辺りでは珍しい緑の瞳とまだ幼さの残った顔で、悪党みたいに不貞不貞しく嗤う。

 一睡もせず夜明けを迎え、ようやくという態でグルグル巻きの防毒マフラーを下げると大きく深呼吸。荒野のど真ん中でも、夜明け前の僅かな時間は肺を痛める心配なく呼吸できる。

 かつてこの世界にも緑があり、出歩くのに重装備が必要な土地はなかった。『不死戦争』と呼ばれる戦争が原因で、世界の大半が荒野に変わってしまった世界で生きる人間種にとって、豊かな時代の出来事は飯のタネにもならない、色褪せた御伽噺だ。

 「生き返る気分だぜ。一晩中石ころみたいに蹲ってて、身体がいてーよ。お前もそうだろ」

 ドミナの背後でゆっくりと立ち上がった、金属でできた大きなカニみたいなものは機関獣だ。現象変成で作られる機関で、荒野でも文句一つ言わず大人十人分の荷運びをしてくれる働き者。

 現象変成とは、道具を作って世界を変えてきた昔の人間が、最後から二番目に作ったものだ。直接世界を書き換え、無から有を生み出すとされる奇跡の数式。もっとも、その成れの果てに赤い大地へ辿り着いたのだから、今の人間種には笑える話である。

 「おっと、時間を無駄にしてられねー。ウゴ、待機モード、指示があるまで停止。んじゃ、ひとっ走り行ってくるぜ!」

 機関獣の頭のデキは家畜よりもちょっぴりマシ。言葉は話せないが命令は理解する。今日日家畜なんて、都市か、よほど裕福な居住区でなければ見かけやしないが。

 相棒がその場に蹲って停止するのを確かめもせず、ドミナはゴーグルとマフラーを着け直し、ロクな道具も使わず、身軽に岩山を上っていく。

 三十メートルはある岩山をあっという間に乗り越え、頂上から見下ろすと、雪が降った直後のような白い雪原がぽつんとできている。

 「おーおー、ドンピシャ! 山ほどくたばってやがる」

 雪原に見える白いのは、カゲロウのような虫の死骸が積もった──いわば墓場。

 この辺りで嵐と呼ばれるのは、数年に一度、砂食いが交尾のために大量発生する現象のことだ。空の一部を白く染めて、雲のような大群で発生する砂食いは、進路にいるものを人も魔獣も区別せずに残さず喰らってしまう。荒野に数多くある、人間種を拒絶する自然現象の一つだ。

 「交尾の場所をえり好みしやがるなんて、人間よりよっぽどデキがいいぜ。おかげで、俺の役に立つってワケだ。雄どもが死んでる場所を見つければ、その近くには──」

 遺物が眠っている公算が高い、という寸法だ。砂食いの骸が作る雪原は、半日もしない内に荒野の風と砂が吹き飛ばして痕跡を消してしまう。お宝を手に入れるには、危険を冒して群れが落ちるまで追いかけ続けるしかない。言うまでもないが、後をつけるのは飛び切りに危険だ。はぐれ砂食いに襲われたら逃れる術はない。

 「ま、お宝は危険がトモダチなのさ」

 岩山の頂きから飛ぶように下りると、鼻を引くつかせて、地中に埋まって──正確には、砂食いが交尾のために掘り出して地上に露出しているはずの遺物を探した。これと見込んだ地点を中心に、積もっている死骸をバックパックに吊していたショベルで掻き分ける。

 作業は時間との戦いだ。グズグズしてたら、死骸の臭いを嗅ぎつけた魔獣どもがやってくる。何度目かに振り下ろしたショベルの先端が、カチンと固いものを探り当てた。

 「これは、デケー……悪食どもの食い残しだ、間違いねー…………って、な、なんじゃこりゃ?」

 現れたものは、待望のお宝ではなかった。人間が、俯せに行き倒れていたのだ。手応えがおかしかったのは、武器か何かの金属に当たったのだろう。

 「かぁ、死体かよ……いやいや、あり得ねーだろ、こんな場所で」

 死体程度でビビるほどドミナはヤワではないが、ここは荒野のど真ん中。人が立ち入るのは稀だ。仮に奇特な奴がいて、こんなところで行き倒れたとしても、骸はすぐさま魔獣に平らげられて骨すら残らない。

 「何だよ、邪妖精の悪さか? おっ、意外に……」

 ショベルの先で骸の外套のフードを取り払うと、若い男の顔が現れたので二度驚いた。左の頬に斜めに入った三つの傷痕。他にも傷だらけの荒んだ顔つきだが、冷静に見るとドミナよりも数歳上ぐらいの若造っぽい。といっても死体だけど。

 「若造の分際で、人生を儚んで荒野まで墓探しにでもきたか? ま、呪われた地で細かいことを気に病んでも、仕方ねー。こういう時は……襟擦り合うも何とやら……弔いぐらいはしてやるよ」

 若さなら引けを取らないドミナが、厳粛かつ厳かな表情で手を合わせた。それから意気揚々と死体の身ぐるみを剥ぐ。

 「るんるんるん♪ どうやってここまでやってきたのか知らねーけど、辿り着けただけでも運がいい……主に俺が。全部貰ってやるから迷わず成仏しろよ」

 鼻歌交じりは大目に見て欲しい。なにせ思わぬ臨時収入の気配だ。本命の墓掘りもいいモノが見つかりそうだし、こういう付録がつくのは日頃の行いがいいからだろう。

 「でも、大したものを持ってねーな。しみったれの役立たずめ」

 せめて外套を剥ぎ取ろうとしたその時──

 「ぎゃあああああああ!? えっ、なになにちょっとマジなのー」

 動かないはずの死体が右手をガシッと掴んだ。

 「ニムラは……」

 地の底に引き摺り込もうとする死神が存在するなら、まさにこんなであろうという声に心底ぞっとした。

 「に、ニムラへ行きてーのかよ? それなら、この辺は全部、ニムラ辺境領だよ」

 しどろもどろ……それでもちゃんと返事をしたのは、危険を顧みずに遺物を探して荒野くんだりまで踏み込む胆力を持つ、ドミナの意地であり矜持だ。睨み返す。言い返す。他人に弱みなんて見せてやるものか。

 「何とか言えよ……お、おいいいいい!?」

 男は力尽きたのか再び倒れてしまった。返事もしないまま。

 「気絶したのに手掴んで離さないのかよ。こんな世の中で、何をそこまで……」

 生命を拒絶する荒野を渡ってきた男の異常な執念に、ドミナは驚くよりも呆れた。

 「生きてんじゃ……しゃーねーな」

 自然と……笑みが零れていた。収穫ゼロにもかかわらず、胸が浮き立つようで、照れ隠しのように頭を掻いた。

 「おっと、時間切れだ。そろそろ魔獣どもが来やがる」

 地平に目を向けると、しらじらと朝日が昇るところだ。雲一つなく抜けるような、痛いほど青い空の下、赤茶けた大地がどこまでも続いていた。

 「それでも世界は美しい、か」

 世の中がどれほど醜悪でも、地べたに酸鼻を極めた骸が幾つ転がろうと、見える景色は変わりなく、吐き気がするほど透き通っている。

 「ったく、今回は大損だぜ」

 風だけに見送られて、ドミナは目覚めない男を重そうに引き摺っていった。