熱契ねっけつ破恢者デストロイヤ(3)

 そして、今。

 「────」

 声無き叫び。何かを掴むように右手を虚空へ伸ばす。宙以外に掴むものはないが、爪が食い込むほどの強さで握りしめる。

 手応えのなさで、男はそこが荒野ではないと気づいた。最初に見えたのは薄汚れた天井。

 (……どこだ)

 目を覚ましたばかりだが、意識は緩むことなく急速に平常へと復帰した。男にとっては日常的なルーティーンだ。一瞬の弛緩が招くのは無惨な死なのだから。

 (光沢のある灰色の天井……簡易建材……どこかの居住区か)

 簡易建材は、領主が現象変成で生産し与えるもので、居住区の建物の建造によく使われる。簡易といっても、加工しやすく強度も確かで、量さえあればまともな建物を作るのに充分だった。〈麗起〉は人間を侮っているが、こういった部分では手を抜かない奇妙な連中だ。

 (室内にあるのは、簡易機関、部品、道具……珍しいな、住人は錬成技師らしい)

 錬成技師は、機関の操作や整備の専門家である。辺境では、一人いるだけで居住区の暮らしのレベルが変わる、腕の立つ医者以上に貴重な人材だ。そんな人間の住処にしてはみすぼらしいが。

 ここへ至ってようやく、男は自分が寝台に寝かされているのを理解した。

 (歩けるところまで歩いたはずだが……記憶が飛んでいる。拘束はされていない……捕まったわけではないか……どうやら、)

 行き倒れたかと思ったが、身体は目的を果たすべく動いたようだ。

 「嵐を越えられたか」

 男は横たわったまま、握りしめた己の拳を睨んで、満足そうに唇を歪めた。

 「『越えられたか』……じゃねーだろ」

 その声で傍らにいる存在に気づいた。あまりの迂闊さに自分の頭を消し飛ばしたくなる。何が平常通りか……すぐ近くの気配を見落とすとは。ここへくるまでの無理で、よほど身体にガタがきていたのだろう。

 「んだよ、睨みやがって。ケンカでも売ってんのかよ」

 鼻を膨らませながら睨み返してくる悪童、ドミナだった。

 * * *

 居住区周辺の環境は安定しているので、重いゴーグルや防毒マフラーは必要ない。ドミナは自分の根城にいる安心も手伝って、日焼けした健康的な肌と上半身のラインが出るラフな上着に、ダボッとしたズボンの身軽な恰好だ。

 荒野で拾った男をウゴへ載せて居住区まで運んだドミナは、そのまま住居へ連れ込んでいた。長たちには黙ってこっそりと。

 住人の大半が泥を啜るように暮らすここでは、流れ者が増える=物資が減ることに直結するので、いい顔はされない。それでも助けたのは、一言でいえば儲け話の匂いにピンと来たからである。

 「しっかし、悪運の強いヤローだな。丸一日倒れてやがったのに目を覚ますなんて。どういう生命力だよ」

 それはそれとして、ドミナは警戒を解かなかった。胡散臭いのは折り込み済み、問題はコイツの生命力だ。嵐の中で見つかって形が残っているのがおかしいし、さっき包帯を替えてやったら、死にかけの身体の傷が半分塞がっていた。トカゲか。

 〈麗起〉が現象変成で造る医療品は、居住区で主に使われる魔獣や鉱物から作る薬の何倍も効果があるが、それでもこんなデタラメは滅多にない。あるとすれば、何らかの機関を隠し持ってるケースだが、行き倒れる途中で失ったのか、男は装備らしい装備を持っていなかった。

 (コイツ……ヤバいネタだったか? 憑依系の魔獣を抱えてた、とかじゃねーだろうな)

 実体を持たず、憑りついた人間を動かす憑依系魔獣は、出現はごく稀だが迂闊に見逃すと厄介な手合いである。

 「…………デイだ」

 「はあ、なんだって?」

 「テメーではなく」

 「えっと、名前、が……デイ?」

 断片的みたいな男の言い様から、どうやら名乗ったのだとわかった。真っ当に喋ったので憑依系の線は消えて、生きた人間らしいと一安心する。

 「デイ、ねえ。変な名前……ま、見ず知らずのヤツに名乗るなら、誰だってそうするか」

 「どこだ?」

 「おい……衰弱が酷かったんだ。まだ起きるのは無理だって!」

 ドミナは慌てて制止した。まだ衰弱が酷い。寝返り一つでも相当辛いはずなのに、身体を起こして眉一つ顰めないとは。

 (いよいよ、どういうヤツなんだ?)

 顔に幾つもの傷痕があるせいで、とてもカタギに見えないが、睨んでいるように見えるのは、単に目つきが悪いせいらしい。

 「行き倒れてたテメーを助けて、ここまで運んでやったのは俺。ずいぶんと手間もかかったぜ」

 「そうか」

 沈黙が落ちた。しばし待ったが、デイは何も喋ろうとしなかった。無愛想なのか性分なのか、男にはまともに会話しようという意思そのものが欠けていた。

 「黙ってちゃー、話が続かねーだろ。何か言えよ」

 「………………女、か?」

 その一言にドミナはキレた。

 「何で疑問形なんだ! 俺が、女に、見えねーってのか? テメーの節穴の目玉くりぬいて、マジ魔獣の餌にしてやろうか!」

 とはいうものの、ドミナの恰好はお世辞にも女性らしいとはいえなかった。引っ詰めて布でまとめた髪も、油断のない目つきも、華やかさを感じさせない。

 「ここはどこだ?」

 デイはドミナの反応にはほとんど関心を示さないくせに、油断なく周囲に目配せした。まるで手負いの獣だ。昔この手の輩を見たことがある。今のご時世では珍しい、ロクデナシばかりだったが。

 「あのさ……どんな育ちか知らねーし興味もねーが、まずさ……こういう時は、礼じゃねー?」

 「……そうなのか」

 「そうだよ、そうなんですよ! ちっ……まあいい。んなこったぁどーでもいい。ここはニムラの第二十三居住区だ」

 「辿り着いたか」

 「だから! 辿り着いたか、じゃねーよ! 連れてきたの!!」

 ね、もう理解したでしょ? だったらね、ね、ねっと手を突き出すドミナ。

 だが、傷貌の男は微動だにしない。それどころか、差し出された手には目もくれなかった。無言で寝台から起き出すと、ボロの外套と数少ない装備を身に着け、そのまま出ていこうとした。

 「ちょ、もう動けるのかよ!? そうじゃなくて、まてまてまてまてまて……ないないないないない……!」

 まず一週間はまともに動けないと舐めていた男の、呆れるを通り越して怖気を振るう生命力に、ドミナは棒立ちで見送りそうになった。

 拾った時は正直胸が躍ったのだ。こんな呪われた世の中で、荒野を身一つで渡るような大馬鹿者が居ると知って。

 「テメー……バカはバカでも、ヤバい方のバカなのでは……」

 思わず正直に零してしまったが、男は至って平然としていた。

 「他人に馬鹿と言うのは勧めない」

 「ヤバい方のバカに真顔で説教された!?」

 相手に悪意や皮肉がなくて、なおさらショックが大きかった。が、打ちひしがれて突っ伏している場合じゃないと思い直す。男の行く手に、手を広げて立ちはだかった。

 「ちょっと待てつーの!」

 改めて男を直視して思う。幽霊みたいな男だと。死にかけているのを差っ引いても生気がない。そのまま煙になって消えても頷くような存在感のなさ。

 「それは、ない」

 「なにが、ない? えっと……理由が、か? テメーになくても、俺には大アリなんだよ! 行き倒れを助けて、ここまで運んで、ベッドまで貸してやった。そのまま無言で出ていかれちゃー、バカみてーじゃねーか」

 「馬鹿なのか?」

 「ちげー! そういう話をしてねーよ!」

 「……他は」

 男が言うことは断片的すぎたが、視線で部屋を見回した様子にピンときて、ドミナはニヤリと笑った。初対面の相手がよくする反応だ。

 「いねえよ。ここには俺だけ」

 錬成技師としてドミナは若すぎるから、目端が利いて察しのいい奴なら師匠がいるのかと当たりをつける。いないと知って二度驚く。そこでペースを掴む黄金パターンが、この幽霊男には通じなかった。

 「わかった、ありがとう」

 「いえいえ、どういたしまして。それじゃあお気をつけて……ってちがーーーーーう!! 違う、そうじゃないのよ」

 男には確認以上の意味がなかったらしい。世間の正しさのない反応に、ドミナは溜息をついた。

 (コイツ……何だろう……)

 手応えがなさすぎて、怒るのが馬鹿らしくなってきた。しかし、ここで諦めるほど物分かりはよくない。今度は無視できないよう、目の前に右手をぐいっと突き出してやる。

 「借りは返すのが人ってもんだろ。助けてやった礼をしやがれ。何もねーってんなら、テメーの持ち物を売っぱらって金にしたっていいんだぞ」

 「ボロいが」

 「んなこと言ってんじゃねー! さっさと……って、どこ見てやがる!?」

 噛み合わない押し問答が続くかと思われたが、傷貌の男はドミナを見ていなかった。どこかあらぬ方、具体的には何もない部屋の壁を刺さりそうな怖い目つきで睨んでいる。

 「おい、話の途中で余所見してんじゃ、」

 外から腹の底まで届くような爆発めいた轟音が届いたのはその時だ。ずずんと部屋ごと揺れる振動と甲高い金属音にも似た咆哮が続く。

 「今の……まさか、機関獣の戦闘音!?」

 ドミナは血相を変えて外へ飛び出した。と思いきや、慌てて部屋へ戻ってきて、

 「テメー、ここを動くなよ。まだ終わっちゃねーんだ。逃げるんじゃねーぞ。地の果てまでだって、取り立てにいくからな」

 そして部屋の中では。残されたデイが凄愴に笑っていた。

 「……予想より早いな。ニムラはデキる領主らしい」

 * * *

 飛び出したドミナは、簡易建材の住居や集合住宅の並ぶ居住区の大通りを西へ走った。悪い予感。遠くの轟音に記憶が揺さぶられ、嫌でも思い出しそうになるのを堪えて、走ることに集中した。

 この第二十三居住区は二千人ほどが生活する、辺境では比較的規模の大きな居住区だ。街路には人が溢れていたが、どの顔も不安そうに見上げている。爆発音が轟く居住区の入口の方向を。

 「はいはい、ごめんよ」

 身を低くして、人の間をチョロチョロと縫い駆ける。

 「ドミナ! 流れ者の鼠め!」

 邪魔なのでちょいと押し退けた男が悪態をついたが、ヒラヒラと手を振っておく。

 「今は忙しい……後で相手をしてやるよ!」

 ドミナは、第二十三居住区生まれではない余所者だ。三年前に流れてきた当時はずいぶんと白い目で見られた。貴重な錬成技師だったおかげで受け入れられた。

 ドミナが来てからまともに動く機関が増えて、ここの暮らしは多少マシになった。修理ができずに四十年近く長の家の納屋の肥やしになっていた機関獣を直し、ウゴと名付けたのもドミナだ。それでも──余所者というだけで忌諱する者は珍しくない。

 ドミナの生まれ育った居住区は、三年前魔獣に襲われて壊滅した。辺境では珍しくない話だ。その時に家族を亡くし、運良くここへ流れ着いた──ということになっている。

 「ちょいとドミナ、どこへ行く気だい! 危ないことはよしとくれ!」

 「様子を見てくるだけだから、心配いらねーよ!」

 いつも何くれとなく世話を焼いてくれる、樽みたいな体型の気のいいオバさんに心配のお返しをする。

 『借りは返さなければいけない』

 ほとんど徒手空拳の無一文で流れ着いたドミナにとって、身につけていた技術を除けば、たった一つの持ち物がその生き方だ。それこそ鼠みたいな人生でも、譲れないものがある。

 「あんた、よくわからない男拾ってきて、看病でまともに寝てもいないんだろ。無茶ばっかりしてんじゃないよ!」

 「俺のことより……妙なことになりそうなら、さっさと逃げた方がいいぜ!」

 走り続けながら、自分の無責任な台詞にムカッ腹が立った。

 「逃げた方がいい……か、んなこと言ったって、逃げられるトコなんかねーだろ」

 辺境で居住区を失った人間は、十中八九野垂れ死ぬ。だから、流れてきたドミナが最初に覚えたのは、嘘をつくことだった。

 ──人間にとって運命は、受け入れるものだ。

 「イケてねえよ、ちくしょう!」

 それが堪えがたかった。

 (けれど、これが人生……こういうのが世の中……仕方がない)

 怒りと表現していいほどハッキリせず、胸にわだかまっている感情を、呪詛に代えて吐き出す。

 やがて、魔獣除けに居住区を囲んでいる壁と、跳ね橋式の入口が見えてきた。

 「はいはい、ごめんよ……あれは……!」

 野次馬の足下を這って最前列まで抜けたドミナは、心臓が止まるかと思った。世にも美しい男がいたからだ。〈麗起〉が手勢を引き連れていた。

 「領主の腰巾着……弁務官じゃねーか、わざわざ何しに……」

 美しいが冷たい、ガラスを連想する細身の容貌には見覚えがあった。忘れようとて忘れられない顔に、小さく歯軋りをする。

 野次馬たちが集まっているのも当然だろう。〈麗起〉がこんなところに直接足を運ぶなど、数年に一度もない。いったい何事なのかと、不安と恐れでザワつきながら、どう対処してよいか判らず、シェッドの長が来るのを待っていた。

 「わたくしは弁務官のベノワ。領主様より命を授かり、調査のために来ました」

 辺境領をはじめとした『国分け』や『領主』のような地位は、かつての人類に挑んだ頃、〈麗起〉たちが築いた帝国の残り香だ。何百年も昔、その最初の王が姿を消したせいで瓦解した失われた国の伝統を、不死の〈麗起〉たちは後生大事に守り続けていた。

 「何が調査だ、ふざけてやがる」

 ベノワの背後には、数体の機関獣が石像みたいに微動だにもせず、控えていた。ドミナが連れていた機関獣の同類だが、こちらは全長三メートルはある純然たる戦闘用。巨大な牙と顎を持つサメの胴と二本の足でできた鋼の獣は、人間ではまず太刀打ちできない死の使いだ。

 「あんな化け物を三体も連れて……こんな居住区、半時間もかからずに更地になっちまうぞ」

 いきなり打つ手のない瀬戸際な状況に、ドミナは歯噛みした。

 「要は、あのクソヤローが何を言い出すか、だ」

 それがなるべく穏便なことを……できれば何事もなく立ち去ってくれと祈るしかない。嵐が来た時、身を隠して通り過ぎるのを待つように。

 そこへ、先ほど聞いた破壊音が再び。

 「もう一体!? どうして、居住区をぶっ壊してんだ!?」

 四体目の機関獣が居住区を破壊して回っていた。建物が次々と、砂の山みたいに粉々にされていく。運悪く居合わせた住人は、逃げる暇すらなかったろう。

 騒ぎを聞きつけて、遅まきながら年老いた白髪の長が駆けつけてきた。

 「弁務官様、これは何事でございますか……」

 「あなたが代表ですか。全ては領主様の命令です」

 「我々は忠実でございます。何かの間違いでは……」

 何か粗相をしでかした罰で居住区が破壊されているのでは……と、長は地面を舐める勢いで平身低頭し慈悲を乞う。

 「勘違いをしないよう。あなたがたが不手際をしでかしたのではありません。叛逆者がこの辺りに逃げ込んだのです。近い居住区から虱潰しに捜しています」

 「叛逆者ですと……まさか」

 こんな状況だというのに長は苦笑いした。長にとって、『叛逆者』という言葉自体が悪い冗談にしか聞こえなかった。

 「叛逆者はコンラ辺境領の領主を破壊……いいえ、殺害したといいます」

 「〈麗起〉に歯向かう愚か者などいるはずが……」

 「無論、わたくしも信じてはいません。〈麗起〉を殺すなど、人間には不可能です。正体はどこかの辺境領主の手先でしょう」

 咆哮しながら機関獣が建物を粉砕する。叛逆者を燻り出すというより、仮にいるならもろとも潰してしまう勢いだ。

 「しかし、コンラの領主を手にかけた『叛逆者』が紛れ込んだというのであれば、草の根を分けても捜さねばなりません。辺境には分けるほどの草もありませんがね」

 「……事情は承知しました。しかし、これ以上居住区を破壊されれば、我々の暮らしが立ち行きません。どうか、しばしのご猶予を。我々の手で叛逆者を御身の前に引き摺り出してまいりますので!」

 「なるほど、わかりました」

 ベノワはパチンと指を鳴らし、鷹揚な返事に安堵している長を指差した。

 「……へ?」

 長の上半身が消えた。後ろにいた機関獣が、巨大な顎でパックリと食いちぎったのだ。内臓が飛び散り、酸鼻な臓物の臭いが立ち込める。

 「あなたがた人間種は領主様の貴重な財産。こういう時でもなければ、浪費するわけにもいきませんからねえ。せっかくの機会、久々に狩りの愉悦を楽しまないと」

 野次馬たちの悲鳴があがった。

 「さあ、素晴らしい一幕を」

 愉悦に蕩けた表情で耳を傾けながら、弁務官は再度指を鳴らす。鋼の軋るような高音の咆哮があがった。置物のような機関獣が動き出し、居住区の住人たちへ無差別に襲いかかった。ひょいひょいと小魚を啄む大型魚のように次々と噛み砕き、あるいは踏み潰す。

 「あのヤローっ……やりやがった!」

 ドミナの悪い予感が的中した。だが、考えていた最悪よりなお悪い。ほんの一瞬で阿鼻叫喚の巷と化した。悲鳴。流血。悲鳴。流血。冷たく磨り潰す死の臭い。

 混乱し走り回る連中に押されたり突き飛ばされたりしながら、ドミナもまた闇雲にその場を逃げ出す。この場に居続けるのは死そのものだから、選択の余地はない。

 「くそっ、いったいどうすりゃいいんだ……いや、何バカ言ってんだ俺は。どうにかって……どうにもなるもんじゃねーだろ」

 為す術がなかった。皆をどこへ逃がせば助けられるのか? それともいっそ、自分だけでも──

 「そんなの……行く場所なんてねえだろ。居住区がなけりゃあ、生きてけねーんだから……」

 「待ってください、叛逆者を助けたヤツを知っています! アイツです!」

 同じ区画に住む、普段はお人好しの男が、機関獣の顎に頭を挟まれ、金切り声をあげていた。命惜しさに指差した先は──ドミナだった。

 「本当です、俺は見ました。余所者の男を連れて帰ってくるのを!」

 「よせ! コイツらにそんなこと言ったって!」

 「わかりました」

 ベノワが頷くと、巨大な顎は無慈悲に閉じた。男の頭は噛み潰され、残った身体が痙攣のダンスを束の間踊った。

 「助けるという約束はしてませんよ」

 悪い夢のような現実だ。身近で知った顔が潰される生々しい血の臭いに、思い出したくもない記憶が引き摺り出されて足が竦む。

 「おや、諦めてしまいましたか? 少しは抵抗してくれないと」

 ドミナは声も出せなかった。相手は〈麗起〉だから、逃げたところで無駄だ。完璧な造形の手が胸倉を掴み、体重などないかのように片手で高々と掲げる。

 「余所者を拾ったのなら案内なさい」

 心底どうでもよさそうな口ぶりに、イヤでも思い知らされた。ドミナは手がかりではなく、新しい玩具だ。飽きたら、投げて、壊して、笑う。どんな返答をしようと、コイツは居住区を丸ごと破壊する。

 死以上に敗北を悟った。人間では勝ち目がない現実に、這い蹲って命乞いをしたかった。一分一秒でも生き延びられるなら、何を投げ出したって惜しくない。

 「………………ざけんな」

 ねじ上げられて息をするのも難しい苦痛の中で、ドミナは歯を食いしばった。諦めきった身体の中に燃え滓みたいな小さな憤りがあった。ずっと押し殺し、錆ついていた感情を足がかりに、慈悲を乞う弱さをねじ伏せた。

 「案内しろ、と言ったのですが、聞こえませんでしたか?」

 「テメーらに尻尾振るくらいなら、死んだ方がマシだ! とっととやれよ、造りものヤローにくれてやるものは鐚一文ねーよ!」

 造りものとは、辺境で使われる〈麗起〉への蔑称だが、実際に使われることはごく稀だ。暴君だろうと〈麗起〉がいなければ、人間種は生きられない。悪態を吐く連中こそ、この世界では身の程を弁えない異端者だ。

 そして、人間如きが吠えたところで無駄な意地だった。潰される虫螻が怒っても、人間が何の痛痒も感じないのと同じことで。それでも──ドミナは抗わずにはおられなかった。

 「口の利き方を知らないようですね」

 ベノワは眉一つ顰めるでもなく、服についたゴミを捨てるようにドミナを地面に叩きつけた。

 「…………?」

 反射的に目を閉じて最期の時を待ったが、痛みはいつまでもこない。ドミナは薄目を開けて確かめた。

 ベノワは腕を振り上げたまま固まって、じっとどこかを見つめていた。

 (……何を見てるんだ?)

 視線の先を追う。血と臓物に塗れて無人となった街路の真ん中に──男がいた。

 右の頬に斜めに走った三つの傷──デイだ。足取りはふらついていた。明らかに異常だ。屍を無理やり立って歩かせているような歪さ、がではない。いや、それも異常だったが、傷貌の男はこの場でただ一人、逃げ惑う人々とは正反対の方向、弁務官を目指して真っすぐに近づいていく。

 死にたいのか、それとも……怪我のせいで状況がよくわかっていないのか。

 「ば、バカ……さっさと逃げろぉ!」

 血を吐くように叫んだのに、デイはそのまま向かってきた。馬鹿としかいいようがない。今ならまだ万に一つ生き延びる目もあるのに、わざわざ死にに来るなんて!

 「何者です?」

 「〈麗起〉だな」

 ベノワの問いかけを無視して、男はやってくる。

 「あなたたち醜い人間種とは全てが異なる、わたくしが何者か見てわからないのですか」

 「エメを知っているか?」

 男は破裂寸前の爆弾だった。

 探し求めていたものを、ニムラ辺境領の〈麗起〉の誰かが知っている──瀕死の男が言い残した手がかりは、真偽もわからない上に雲を掴むようだが、それがどうした。順番に一人ずつ聞いていく。その手始めが、この〈麗起〉だ。

 「何ですかそれは? わたくしは忙しい。質問に質問で返す無礼者の戯れ言に、これ以上付き合っている暇はありません」

 「そうか、なら……俺が、死だ」

 男が。デイが短く答えた。

 「これは……まったく会話にもなりませんね。〈麗起〉に立ち向かおうという愚行……とうに正気を失っていましたか。念のために聞きますが、叛逆者というのはあなたですか? こんな愚か者が二人もいるとは思えないので」

 ベノワが、ドミナを捕まえた時と同じ表情で指を鳴らした。住民を噛み砕いていた機関獣が、即座に猫科の猛獣を思わせる攻撃姿勢を取る。

 「まあ、叛逆者であろうとなかろうと、疑わしきは皆殺しで全て解決です」

 機関獣が、牙の間から人だったものの残骸を零しながらデイへ殺到した。

 踏み潰されるか、噛み砕かれるか。コンマ一秒先の惨劇にドミナが悲鳴をあげる。

 大地を踏み砕く機関獣の疾走音に交じって、男の微かな呟きがやけにハッキリと届いた。

 「────戦術破恢」

 落雷じみた、金属をハンマーで思い切りぶん殴ったような音。間髪入れず、ドミナの頭上を大きな放物線──先ほどの跳躍と真逆の軌道を描いて、機関獣の巨体が吹っ飛ばされていく。住居に激突し、更に大きな怒号。

 「──────」

 ドミナもそれを掲げていたベノワも、何が起きたのか判らずに目を見張る。機関獣は急所の頭部を無惨に潰されて、完全に機能停止していた。

 無造作にデイの右拳が突き出されていた。何が起きたのかは明白だ。ぶん殴って破壊したのだ。男が、素手で、機関獣を。

 「あり得ない……脆弱な人間如きが、いったい何を? コンラの領主を倒した叛逆者……本当にお前なのですか」

 ベノワは激高するのを踏み留まった。それ故に弁務官になり得た慎重さで、〈麗起〉の五感を研ぎ澄まして、念入りに目の前の相手を探る。

 「……やはり違う、〈麗起〉ではない」

 傷貌の男には〈麗起〉特有の波長を感じられなかったから、ベノワは不可解を恐れるのではなくデイを、人の脆弱さを嘲笑した。

 「いいでしょう、〈麗起〉の力……人間が及びもつかない、支配者の力を見せて差し上げましょう」

 素手で機関獣を屠ったのは、何らかの現象変成を使ったのだろう。が、人間には不可能。おそらく、機関を隠し持っている。

 「ですが、わたくしは用心深い男」

 殺すのは容易い虫螻でも、棘があるとわかっていて無策で近づくのは賢明な者がすることではない。油断すれば思わぬ手傷を負うかもしれず、そのような無様な部下を領主は許さない。

 盤石の勝利を期して、ベノワはまたしても指を鳴らす。付近の建物の屋上に、巨大な影がのそりと現れる。居住区を破壊していた三体の機関獣を集結させたのだ。

 包囲して三方から同時に襲いかかる。シンプルにして必勝の配置だ。

 だが、不死なる者よ──今こそ知れ。

 慎重に慎重を重ねるこの布陣が、本能に根差した恐怖故だと。

 「俺が、死だ」

 デイが宣言した。

 「〈麗起〉に死はありませんよ。愚かですね」

 弁務官が指を鳴らした。三体の機関獣が三方向に跳躍し、あるいは地上を走行し、タイミングを微妙にずらしながら襲いかかる。完全に同時よりも避けにくい。

 デイは右手を突き出し、五指を開いて迎え撃った。彼方へ手を伸ばすように。

 「軌装転概!」

 デイが、デイの身体が、血よりも赤い紅蓮の業火に燃え上がった。それは外身ではなく男の内、心臓から溢れ出した炎だ。燃え盛る炎が四肢に纏わりつくよう。

 炎中から突き出された鋼の拳が、不用意に近づいた機関獣の眉間をぶち抜いた。突き刺さった腕を振り下ろす。炎が飛び散って消え、機関獣の首がねじ切られる。

 「テメー、は……」

 吊されている状況も忘れて、ドミナは見惚れた。

 血のように赤く燃える鋼甲が、デイの全身を包んでいた。変わり果てた姿は、子供の頃に聞いた御伽噺に出てくる、大昔の甲冑騎士のようだ。

 「馬鹿なぁ、軌装だと!?」

 表面から陽炎に似た熱気を立ち上らせる赤い鋼に、残った二体の機関獣が躍りかかった。ぶつかるだけで建物を瓦礫に変える質量と、人間の視覚では追いきれない速度は、まさに鋼の獣。

 「ぬん!」

 迎撃の轟音はきっかり二度。鋼の拳の鉄槌に、二体の機関獣がそれぞれ縦と横に荒々しく引き裂かれ、残骸と化して無人の街路に撒き散らされる。

 「次は貴様だ」

 異形の鋼がベノワを指差した。全ては瞬く間の出来事だ。ドミナの目では追いきれず、何が起こったのか、断片的にしかわからなかった。

 「なんて酷い」

 目で追えたベノワは、可愛い機関獣の死に絶叫しながら、赤い鋼甲を纏った男の異様な姿に本能的な嫌悪を抱いた。